百詩篇第7巻7番

原文

Sur le combat1 des2 grans cheuaulx legiers3,
On4 criera le grand croissant confond:
De nuict5 ruer6 monts7, habitz de8 bergiers9,
Abismes10 rouges dans le fossé11 profond.

異文

(1) combat : cobat 1772Ri
(2) des : de 1668P
(3) legiers 1557U 1557B 1568 1772Ri : legers T.A.Eds.
(4) On : Ont 1627
(5) nuict : nuic 1981EB
(6) ruer 1557U 1557B 1568A 1590Ro 1772Ri : tuer T.A.Eds. (sauf : tuer. 1867LP)
(7) monts : morts 1867LP 1840, mont 1649Ca, Moutons 1672
(8) habitz de : Brebis 1672
(9) bergiers 1557U 1557B 1568 1772Ri : bergers T.A.Eds. (sauf : Bergers 1672)
(10) Abismes : Vbismer 1627, Abismer 1644 1650Ri 1653 1665
(11) fossé : fosse 1653, foslé 1716

校訂

 3行目 ruer について、ブリューノ・プテ=ジラールは tuer (殺す) を採用している(ただし注記なし)。リチャード・シーバースもそのまま踏襲しているが、ジャン=ポール・クレベールピーター・ラメジャラーは支持しておらず、当「大事典」としても採用には否定的である。

日本語訳

偉大な軽騎兵たちの戦いで、
人々は大きな三日月が撃破されたと叫ぶだろう。
夜に山々に殺到する、羊飼いの装束の者たちが。
深い溝の中の赤い深淵。

訳について

 1行目 cheval leger は現代語で直訳してしまうと「軽い馬」だが、これは「軽騎兵団に属する騎兵」の意味である*1
 3行目 ruerをどう訳すかで、若干意味合いが変わる。
 4行目について、ラメジャラーは「赤い者たちが深い溝の中に駆け込む」というような意味に訳しているが、これはおそらく冒頭の abismes を abismez ないし abismer と読み替えた結果だろう。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 まず1行目「軽い騎手の闘争心で」*2は、combat が「闘争心」となる理由が不明瞭。
 2行目「かれらはさけび大きな三日月のしるしはめちゃくちゃにされ」は、区切り方によってはそういう訳も可能である。
 3行目「夜かれらは羊飼いを装って羊を殺し」は、ruerが tuer に、monts (山々) が moutons (羊) になっている底本のせいだが、さすがに2箇所も詩句が異なると意味も印象もずいぶん違ってしまう。

 山根訳について。
 1行目「軽快なる荒馬の戦いで」*3は、現代語の直訳としては誤りではないが、上記の通り、cheval leger は軽騎兵を意味する慣用表現だったので不適切だろう。
 2行目「大いなる新月の敗北が宣言されよう」は、croissant を「新月(旗)」と理解するのが、解釈を交えた訳といえるだろう。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、偉大な「半月」(half moon) はトルコのことだと一言触れていただけだった*4
 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードジェイムズ・レイヴァーの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は近未来の戦争で「三日月の帝国」が没落し、アルプスの山岳地帯で、羊飼いに化けた者たちによって殺されることと解釈した*5
 アンドレ・ラモンも似たようなもので、未来に起こる戦争において、フランス人ゲリラが羊飼いの扮装をして敵を殺すことの予言とした*6
 この種の解釈をもっとも極端に突き詰めたのが、ステファン・ポーラスである。彼は羊飼いに化けたゲリラが、イスラム教徒の兵隊を700万人も殺害することになると解釈した*7。この解釈については山本弘がその強引さを紹介している*8

同時代的な視点

 ピーター・ラメジャラーはモデルの特定はしていないが、2行目の「三日月」はイスラーム勢力かアンリ2世のどちらかだろうとした。
 アンリ2世は三日月をモチーフにした紋章を用いていたので、その可能性もなくはないが、詩百篇第6巻70番予兆詩第38番などが勝利者としてのアンリ2世を描いたものらしいことからすれば、それほど可能性は高くないものと思われる。

 3行目はアラブ系の遊牧民の比喩なのだとしたら、敗北して逃げ込むということなのだろうか。

 イスラーム勢力のヨーロッパ侵攻は中世によく見られたものであり、南仏もたびたび攻略対象となっていた。その時期になにかモデルがあるのかもしれないが、特定は難しいだろう。


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最終更新:2012年09月10日 22:20

*1 DMF

*2 大乗 [1975] p.204。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 山根 [1988] p.243。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 Garencieres [1672]

*5 Fontbrune [1939] p.239

*6 Lamont [1943] pp.337-338

*7 ポーラス [1997] pp.256-257

*8 山本 (1998)[1999] pp.262-263