百詩篇第6巻1番

原文

AVtour1 des monts2 Pyrenees3 grand4 amas
De gent estrange, secourir roy5 nouueau:6
Pres de Garonne du7 grand temple8 du Mas9
Vn Romain10 chef11 le caindra12 dedans13 l'eau14.

異文

(1) AVtour : AV tour 1589Rg 1590Ro 1597 1605 1610 1611B 1649Ca 1649Xa 1650Le 1650Ri 1716 1772Ri 1981EB
(2) monts : mont 1627, Monts 1672 1772Ri
(3) Pyrenees : Pirenés 1589PV, Pyrené es 1605 1628 1840
(4) grand : grans 1568 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Le 1650Ri 1716 1981EB
(5) roy 1557U 1557B 1568 1580PV 1716 : Roy T.A.Eds.
(6) nouueau: : nouueau? 1653 1665
(7) du grand : dn grand 1590Ro
(8) temple : Temple 1672 1772Ri
(9) du Mas : du. Mas 1568C, de Mas 1653, de Mars 1665
(10) Romain : ramant 1588-89
(11) chef : Chef 1672
(12) caindra 1557U 1557B : craindra T.A.Eds.
(13) dedans : dedã 1590Ro, devant 1668P
(14) eau : Eau 1672

校訂

 ブリューノ・プテ=ジラールは3行目の du Mas を de Mas と校訂し、リチャード・シーバースもそのまま踏襲している。しかし、しばしば解釈されるように南仏の地名 Le Mas だとすれば、du Mas のままでよいはずであり、このあたりの校訂は Mas をどう解釈するかによるだろう。
 なお、1568Cで du. Mas と変なところにポワン(ピリオド)があるのは当然誤植だろうが、エリカ・チータムがこの表記を転写していることは、彼女の底本がこの系統であることを示している。

日本語訳

ピレネー山脈の周囲に大群、
それは新しい王を救うための異邦人たち。
ガロンヌ川のル・マスの大寺院の近くで、
ローマの首領は彼を水の中に囲い込むだろう。

訳について

 前半を行にとらわれずに訳すと、「ピレネー山脈の周囲に新しい王を救うための異邦人たちの大群」となる。
 4行目はcaindraを craindra (恐れるだろう)と同一視するかどうかで訳が変わる。ここではピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールの読み方に従い、craindraと同一視しなかったが、リチャード・シーバースは同一視して「ローマの首領は水中で(彼を)恐れるだろう」と読んでいる*1
 もっとも、「彼」は「新しい王」を指すとしか思えないが、助けを必要とするような人物を「ローマの首領」が恐れるというのは不自然ではないだろうか。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳は、まず前半「ピレネー山脈をめぐって/新しい王を救うために未知なる人々を集め」*2が少しおかしい。多少の意訳を混ぜているにせよ、ピレネー山脈をめぐって集めるという意味合いがあるかは疑問である。
 同3行目「ガロンヌ近くのマースの大きな寺院で」は、マースについた語注「フランス北部からオランダへ流れている川の名」が問題。マース川 (Maas, ムーズ川) とは綴りが違う上にガロンヌ川はフランス南東部を流れているので、マース川は近くになく、意味不明になってしまっている。これはもとになったヘンリー・C・ロバーツの英訳で Maas とされていたせいだろう。
 同4行目「ローマの首長は彼を苦境で恐れさせるだろう」は、dedans l'eau (水中で) がなぜ「苦境で」となるのか不明。ロバーツの英訳でも普通に in the water となっていた。

 山根訳は、特に問題はない。4行目「ローマの指導者 水中の彼に怯えるだろう」*3も、前述の通り、一部の専門家たちも採用している訳である。

信奉者側の見解

 基本的に全訳本の類でしか触れられてこなかった詩である。そのため、19世紀以前だとテオフィル・ド・ガランシエール以外の解釈は見付からない。もっとも、その彼の解釈も地名の解説にごく簡略な推測がついているだけで、何も解釈していないに等しい。

 エリカ・チータムは3行目のル・マスが古代遺跡の多く残る南仏のル・マス=ダジュネだろうとしたものの、ローマの指導者が誰のことなのかは不明瞭とした*4。しかし、その日本語版では、20世紀末に中国軍がヨーロッパに侵攻し、とくにその海軍にローマ教皇が怯えることを予言しているとする原秀人の解釈に差し替えられた。

 セルジュ・ユタンは1814年と1815年に、ピレネー山脈近くの諸地方は(ナポレオンでなく)ルイ18世を支持したことと解釈した*5ボードワン・ボンセルジャンは、そこに未来の大君主を救出することという解釈を付け足した*6

同時代的な視点

 エドガー・レオニはル・マスをル・マス=ダジュネ (Le Mas-d' Agennais) と理解し、青年期のノストラダムスが住んでいたアジャンに近く、いくつもの古代遺跡があること、とりわけ古代ケルトの太陽神に捧げられた神殿が有名であることなどを説明した。
 ル・マスの同定はおおむね支持されているが、ジャン=ポール・クレベールはもうひとつの可能性として、改革派の拠点のひとつになっていたル・マス=ダジル (Le Mas-d' Azil) も挙げている。

ピーター・ラメジャラーはモチーフの類似性として、プルタルコスの『対比列伝』に登場する、スッラの追撃を恐れたガイウス・マリウスの話を挙げている*7

【画像】関連地図


名前:
コメント:
最終更新:2012年09月13日 22:07

*1 Clébert [2003], Lemesurier [2010], Sieburth [2012]

*2 大乗 [1975] p.175。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 山根 [1988] p.211

*4 Cheetham [1973], Cheetham [1990]

*5 Hutin [1978]

*6 Hutin (2002)[2003]

*7 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]