百詩篇第7巻8番

原文

Flora1 fuis, fuis le plus2 proche Romain3,
Au Fesulan4 sera conflict donné:
Sang5 espandu6 les7 plus grans8 prins à9 main,
Temple ne sexe10 ne sera11 pardonné12.

異文

(1) Flora : Florira 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716
(2) plus : plur 1627
(3) Romain : Romin 1627
(4) Fesulan : fesulan 1568 1590Ro 1611B
(5) Sang : Sans 1600 1610 1716
(6) espandu : espandus 1644 1653
(7) les : le 1668P
(8) grans : grand 1668P
(9) à : en 1672
(10) ne sexe : ne sexe ne sexe 1665, ne Sexe 1672
(11) ne sera : sera 1627
(12) pardonné : pardonne 1668P

校訂

 4行目 sexe (性) は secte (宗派) の可能性がある。ピーター・ラメジャラーは直訳しつつもその可能性を示していたし、リチャード・シーバースは sect と英訳している。確かにその方が文脈には合っているようにも思われる。

日本語訳

フローラよ、逃げよ。逃げよ、ローマに最も近き者よ。
ファエスラエで衝突が起こるだろう。
血が流され、最も偉大な者たちが手中に囚われる。
神殿も性も赦されないだろう。

訳について

 4行目は、sexe を secte と読むのが正しいとすれば、「神殿も宗派も赦されないだろう」となる。宗派と読む方が分かりやすいのは確かだが、性と読むのだとすれば、「神殿も性も」というのは、「宗教者か俗人かも、男性か女性かも関係無しに」といった意味だろうか。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目「フローラは飛んで飛んで もっとも近いローマから」*1は、「飛んで飛んで」が誤訳。flee (逃げる) と fly (飛ぶ) の取り違いだろうが、実はこの訳はテオフィル・ド・ガランシエールがやらかしていたものだった。ガランシエールの場合、もともと誤植が非常に多い本なので、誤訳だったのか誤植だったのか判然としないが、ヘンリー・C・ロバーツ大乗和子がそれを無批判に継承したのは明らかにおかしく、彼らが本当にフランス語原文を読めるのかどうかに疑問を投げかける。

 山根訳は、やはり1行目「フィレンツェ 逃げる 逃げる もっとも近いローマ人」*2が微妙。確かに、fuis は直説法一人称・二人称単数の現在形および単純過去形でもあるので、現在形の平叙文と訳せないわけではないが、この場合は二人称単数に対する命令形だろう。要するに、「フローラよ、(お前は)逃げろ」というわけである。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、Fesulanがイタリアの地名、フローラが花の女神だと述べただけで「あとは平易」と片付けた*3
 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)ロルフ・ボズウェルジェイムズ・レイヴァーの著書には載っていない。

 アンドレ・ラモンは、近未来のローマの支配者がイタリアで惹き起こす虐殺事件の予言と解釈した*4

同時代的な視点

 ジャン=ポール・クレベールの読み方によると、これはローマとフィレンツェの対立の結果、フィレンツェ近郊のフィエーゾレで衝突が起こることを描いているのだという。
 ただし、そのクレベールも、ピーター・ラメジャラーも、モデルの特定には成功していない。


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最終更新:2012年09月17日 11:46

*1 大乗 [1975] p.204

*2 山根 [1988] p.243

*3 Garencieres [1672]

*4 Lamont [1943] p.269