百詩篇第8巻13番


原文

Le croisé frere 1 par amour 2 effrenee
Fera par Praytus 3 Bellerophon 4 mourir,
Classe à mil ans 5 la femme forcenee
Beu le breuuage 6 , tous deux apres perir.

異文

(1) frere : fere 1600 1627 1650Ri, Frere 1672
(2) amour : amdur 1610
(3) Praytus : praytus 1650Le
(4) Bellerophon : Bellephoron 1597 1600 1603Mo 1610 1627 1644 1650Ri 1716, Belleforon 1653 1665, Bellerofon 1840
(5) mil ans : milans 1600, mi lans 1610 1716, Milan 1627 1644 1653 1665 1840, Milans 1650Ri
(6) le breuuage : breuuage 1600 1610 1644 1650Ri 1653 1665 1716, breuage 1627, le breuage 1611B, le breueage 1672

校訂

 2行目 par の存在が少々不自然である。ロジェ・プレヴォはカッコに入れて除いてしまっている。
 3行目 mil ans (千年間) は Milan (ミラノ) の誤植か。ロジェ・プレヴォピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースはミラノと読んでいる。エドガー・レオニは milan (鳶) とする読み方をメインに採用した。

日本語訳

十字軍に参加した修道士は愛ゆえに抑えが利かなくなり、
プロイトスのようにベレロポンを死なせるだろう。
ミラノに軍隊。婦人は半狂乱になり、
飲み物があおられ、後に二人とも果てる。

訳について

 1行目 frere の中心的な語義は「兄弟」だが、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースも monk をあてているので、それらに従って修道会におけるブラザーの意味に解釈した。
 2行目 par を「~のように」と訳したのはリチャード・シーバースの英訳で like が使われていたことを踏まえたもの。エドガー・レオニピーター・ラメジャラーは through を採用しており、そちらの方が直訳に近いが、文脈からするとシーバースの読みの方が適切に思える。中期フランス語の par は様々な前置詞の代わりとして使われたし *1 、ノストラダムスは「~のように」という意味も持つ pour と変わらない使い方をすることがあったので、一応は語法上も許容される余地があるだろう。仮に par の意味をできるだけ踏まえつつ、シーバースの読みに近づけるとしたら、「プロイトスのやり方でベレロポンを死なせるだろう」とでもするべきか。
 3行目は mil ans を Milan とする校訂に従っている。classeは陸の軍隊の意味も艦隊の意味もあり、ノストラダムスはしばしば後者の意味で使っているが、この詩の舞台がミラノ(北イタリア内陸部の都市)だとすれば、間違いなく前者だろう。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目「受難の兄弟が激しい愛によって」 *2 は、croisé を「受難の」と訳すのが不適切。ヘンリー・C・ロバーツの英訳で使われていた crossed を転訳した際に生じた誤訳だろう。
 3行目「狂乱の婦人が千年も飛びまわり」は誤訳。classeがなぜ「飛びまわる」になるのか不明。おそらくはロバーツの英訳に出てきた fleet を動詞と勘違いしたか、fly と見間違えたのではないかと思われる。
 4行目「酒飲みが酔っぱらって あとで両方とも危険な状態になる」は前半が誤訳。breuvage は「飲み物」という意味で、酒飲みなどという意味はない。ロバーツの英訳は The drink being drunk で別におかしくはないが、大乗訳はこれを妙な形で転訳したのではないだろうか。

 山根訳は、おおむね許容範囲内の訳である。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、「ベレロポンとプロイトスはともに架空の名前である」としか述べていなかった *3
 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードロルフ・ボズウェルジェイムズ・レイヴァーの著書には載っていない。

 アンドレ・ラモン(1943年)は、1行目の croisé frere を十字架をもつ兄弟と理解し、当時の枢軸国でカギ十字をもつナチス・ドイツと解釈し、最後の行の二人とは、枢軸国のほか2国のことと解釈した *4

 エリカ・チータムは16世紀以降にベレロポンたちの神話になぞらえることができそうな事件は見当たらないとしていた *5

 セルジュ・ユタンはおそらくナポレオンのことではないかとした *6

 ジョセフ・サビノはベレロフォン号でセントヘレナ島に移送されたナポレオンに関する詩で、実はナポレオンが妻に毒殺されたことを暴露していると解釈した *7

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォは、マキァヴェッリが1520年代にまとめた『フィレンツェ史』に登場する6世紀ロンゴバルド王国の伝説的なエピソードがモデルではないかと指摘した *8
 岩波文庫版の『フィレンツェ史』から再構成すると、それは以下のような話である。
 ロンゴバルド王アルボインはパンノニアを攻め落とした際に王女ロスムンダを捕らえ、妻にした。アルボインはその後、北イタリアに攻め込み、ミラノ、パヴィーア、ヴェローナなどを一挙に占領することに成功した。
 しかし、ロスムンダはパヴィーアで開かれた祝宴の席でのアルボインの無神経な振る舞いから彼に殺意を抱き、自分の侍女に思いを寄せていた勇敢な貴族ヘルメキスを利用することを計画する。侍女に成りすましてヘルメキスと関係を持ったロスムンダは、それを種に自分への協力を承諾させ、アルボイン殺害に成功した。しかし、アルボインにかわってロンゴバルドの支配者になることには失敗し、2人は東ローマ帝国のイタリア総督ロンギヌスのもとに身を寄せた。
 ロンギヌスはロスムンダが元ロンゴバルド王妃であり、財宝を所持していたことから、彼女と結婚することでロンゴバルド王国を手に入れることを画策し、ロスムンダの説得にかかった。ロスムンダはそれを承諾し、ヘルメキスに毒入りワインを飲ませた。自分が毒を飲まされたことに気付いたヘルメキスは、死ぬ前にロスムンダにも同じワインを無理やりに飲ませたため、2人とも死んでしまい、ロンギヌスの企みも失敗した *9

 プレヴォは要約にあたり、ロスムンダがロンギヌスをミラノ地方 (milannais) の王にすることを承諾したとしている。たしかにロンゴバルド王国の中心は北イタリアのミラノ周辺の地域に存在していたので間違いとはいえないし、そういう風に要約すれば、詩の中に「ミラノ」が出てくることとも対応する。
 ピーター・ラメジャラーはプレヴォの説を踏襲している。

 プレヴォの読み方は、ベレロポンの話と似通っているように思えなくもないが、ロスムンダもロンギヌスも (マキァヴェッリの書き方に従うならば) 純粋に打算で動いていた要素が強く、恋愛感情のもつれという色彩が強いベレロポンのエピソードや、「抑えの利かない愛」が出てくるこの詩と、それほど強く類似しているかには疑問も残る。


【画像】『フィレンツェ史』上巻


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