百詩篇第9巻36番

原文

Vn grand Roy 1 prins entre 2 les mains d'vn Ioyne 3 ,
Non loing de Pasque 4 confusion 5 coup 6 cultre 7 :
Perpet. 8 captifs 9 temps que fouldre 10 en la husne 11 ,
Lors que trois freres 12 se 13 blesseront & murtre 14 .

異文

(1) Roy : roy 1568A 1590Ro
(2) entre : être 1716
(3) Ioyne : ieune 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1656ECL 1668 1672 1840, loyne 1981EB
(4) Pasque : Pasques 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1656ECL 1668 1672 1840
(5) confusion : Conclusion 1656ECL
(6) coup : coup. 1668
(7) cultre : custre 1627, de coulire 1656ECL
(8) Perpet. : Perpet, 1600 1627 1644 1650Ri 1650Le 1653 1665 1840, Perpet 1605 1611 1716 1981EB, Perpete 1656ECL
(9) captifs : cattif 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1672, Cattif 1656ECL
(10) temps que fouldre : temps ! que fouldre 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca, foudre 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1716 1840, que foudre 1650Le 1668, foudres 1653 1665, temps quel foudre 1656ECL
(11) husne : huine 1611 1981EB, husine ? [sic.] 1627, husine 1644 1650Ri 1653 1665 1840, Hune 1672
(12) Lors que trois freres : Trois freres lors 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1656ECL 1668, Trois Freres lors 1672
(13) se : ce 1568A
(14) murtre : meurtres 1600, meurtre 1590Ro 1611B 1627 1644 1650Ri 1653 1656ECL 1665 1672 1981EB

日本語訳

ある大王が一人の若者の手に捕らわれる、
復活祭から遠くない時期に。混乱、短刀の一撃、
終身の捕虜たち、その時代には檣楼 〔しょうろう〕 に雷がある、
三兄弟が互いに傷つけ殺しあう時に。

訳について

 2行目 Pasque について。現代フランス語では pâque はユダヤ教の過越祭、Pâques はキリスト教の復活祭 (復活日、復活大祭) と使い分けられるが *1 、当時は Pasque と Pasques はともに復活祭の意味があった *2
 3行目 Perpet. captifs は captifs à perpétuité (終身の捕虜たち) と読んだジャン=ポール・クレベールの読み方に従っている。ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースも captives for life と、クレベールと同じように英訳している。
 同じく3行目後半は、動詞が決定的に不足している。「雷がある」は直訳で、おそらく落雷があることを示しているのだろうが、聖エルモの火と解釈するクレベールの読みにも配慮するために、限定は避けた。ちなみに、檣楼 〔しょうろう〕 というのは、船のマストの上部についている見張り台である。関係詞 que に忠実に訳せば、「檣楼に雷があるところの時代」 となるが、4行目とのつながりを考慮し、あえて上のように訳した。
 4行目最後の murtre (meurtre) はそのままだと男性名詞だが、クレベール、ラメジャラー、シーバースがいずれも動詞 meurtrir に引き付けて理解しているので、それに従った。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目「王が若き人の手に」 *3 は、grand (偉大な) や prins (捕らわれる) が訳に反映されていない。
 3行目「あわれなときマストの頂点で火が」は、前半が不適切。これは異文 cattif をイタリア語 cattivo にひきつけて「悪い、悲惨な」と理解した1656年の解釈書の系譜に属する読みだが、現代の研究水準からすれば支持できないだろう。

 山根訳について。
 3行目「永遠の虜囚 雷電が頂上にあるとき」 *4 については、後半 husne (檣楼) を単に「頂上」とだけ訳すことに問題がある。もっともそれは、on the top としか訳していなかったエリカ・チータムの英訳に見られた問題でもある(それはさらに遡れば、エドガー・レオニの英訳の丸写しであった)。DFE で hune を引くと、The scuttle of the mast of a ship とあり、単に top とだけ訳すのが適切とは思えない。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、アンリ3世の暗殺(1589年8月2日)と解釈した。1行目はアンリ3世がドミニコ会の若者 (ジャック・クレマン) に殺されたことを指し、2行目はその陰謀がその年の復活祭の後に練られていたこと、暗殺後にヴァロワ王朝断絶という混乱を惹き起こしたこと、凶器が短刀であったことなどを的中させたとした。ただし、後半の要素については解釈していなかった *5
 ウジェーヌ・バレスト(1840年)はこの解釈を部分的に引用しつつ、ほぼそのまま踏襲したが、その際には詩句の提示の時点で後半を省略してしまっていた *6
 アナトール・ル・ペルチエ(1867年)もアンリ3世の暗殺とし、最後の行の「三兄弟」は、アンリ3世と、その前に即位していた2人の兄王フランソワ2世、シャルル9世と解釈したうえで、「三兄弟の最後の一人が傷ついて死ぬ」と読み替えた *7
 アンリ3世の暗殺とする解釈はチャールズ・ウォードアンドレ・ラモンが踏襲した *8

 1656年の解釈書では、1560年にナヴァル王アントワーヌ・ド・ブルボンが若きフランス王フランソワ2世に捕らえられ、生命の危機にさらされたことと解釈された。4行目の「三兄弟」は、アントワーヌ、ブルボン枢機卿シャルル、コンデ親王ルイ・ド・ブルボンの3人で、彼ら兄弟がカトリックとプロテスタントのいずれの陣営に就くのかで一致していなかったことを指すという *9テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)はこの解釈をそのまま踏襲した *10

 アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)は、アンリ4世の暗殺とした。アンリ4世は57歳の時に34歳のラヴァイヤックの凶刃によって殺された。そして、それは復活祭の33日後の5月14日に起こったことが前半に予言されていると解釈し、最後の行の「三兄弟」は、アンリ4世が即位する直前のヴァロワ家の最後の3人の王フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世と解釈した。前述の通り彼らは兄弟で、病気や暗殺によって3人とも若くして亡くなった *11
 アンリ4世の暗殺とする解釈は、ジェイムズ・レイヴァーが踏襲した *12

 エリカ・チータムはケネディ家の三兄弟に関する詩ではないかとし、長兄のジョン・F・ケネディ大統領とロバート・ケネディが暗殺されたことに続き、エドワード・ケネディも暗殺されるのではないかと解釈した *13

 セルジュ・ユタンは解釈が難しいとしつつ、1行目はナポレオン3世がスダンの戦いで囚われたことを指すのではないかとした *14

同時代的な視点

 ピーター・ラメジャラーは出典不明としており、ほかの主だった研究者たちもモデルとなった出来事は挙げていない。

 ノストラダムスの時代の三兄弟といえば、1656年の解釈書が挙げていたブルボン家の三兄弟のほか、シャチヨン家の三兄弟 (フランソワ・ダンドロ、ガスパール・ド・コリニー、ボーヴェ司教オデ・ド・コリニー=シャチヨン) が知られていた。シャチヨン家の三兄弟はモンモランシー大元帥の甥にあたり、プロテスタント側に早くから加担していた有力者であった。
 ただし、この詩に適合しそうな史実は当「大事典」としても見つけられないでいる。

 エドガー・レオニが指摘していたように、「三兄弟」はアンリ2世への手紙百詩篇第8巻17番第8巻46番などにも登場する。


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