フィレンツェ

  フィレンツェ (Firenze) はイタリアのトスカーナ州の州都。フランス語名は フロランス (Florence)。語源は「花の都」である。アルノ川沿岸に位置し、古くから交通の要衝となっていた。


【画像】 若桑みどり 『フィレンツェ』

歴史

 古代ローマ時代の都市フロレンティア (Florentia) を起源とし、12世紀にはかつてのフィレンツェの支配者といえた都市フィエーゾレにかわってトスカーナ地方の中心都市となった。
 新興商人らの下で発展したフィレンツェは、途中、皇帝派と教皇派の対立やペスト大流行などによる混乱もあったが、メディチ家が支配権を確立した15世紀以降、全盛期を迎えることになった。

 15世紀末には神学者ジロラモ・サヴォナローラによる神権政治によって、メディチ家の支配が途絶えた時期もあったが、1532年にはアレッサンドロ・ディ・メディチが神聖ローマ皇帝カール5世からフィレンツェ公に叙されたことで、13世紀以来続いていたフィレンツェ共和国は終わり、フィレンツェ公国となった。
 フィレンツェ公国はさらに1569年にトスカーナ大公国になり、都市フィレンツェはその首都として機能した。
 メディチ家が1731年に断絶したあと、大公の地位はフランスのロレーヌ家に移ったが、19世紀にリソルジメント運動の盛り上がりを受けて大公が退位し、1860年にはイタリア王国への併合が決まった。1865年から1871年にはイタリア王国の首都であった。

 現代は製靴、繊維、化学などの各種工業の発達する都市であり、往年の繁栄を偲ばせる歴史的街並みが「フィレンツェ歴史地区」の名前で世界遺産に登録されている *1


【画像】 『世界遺産イタリア編 「ローマの歴史地区・フィレンツェの歴史地区」』(DVD)

ノストラダムス関連

 ノストラダムスは何度かイタリアに足を伸ばしたことがあったため、フィレンツェにも立ち寄った可能性はあるだろう。

 また、町そのものではないが、フィレンツェを一時支配したサヴォナローラの思想には強い影響を受けており、セザールへの手紙にはサヴォナローラの著書(ラテン語)から、そのままフランス語に訳して移入した箇所も多く見られる。

 1564年にはこの町の出版業者ジョルジョ・マレスコッティによってノストラダムスの『閏年1564年向けの占筮と暦』が出版された。
 また、偽ノストラダムスであるフィリップ・ノストラダムスの『1566年向けの占筮あるいは真の判断』(刊行者不明、1565年)、『豊年、凶年を付した万年暦』(フランチェスコ・トージ、1591年)が出版された。

 ノストラダムスの予言詩では以下の詩篇に登場している。

 ほか、しばしば花の女神フローラ(Flora) として登場していることが指摘されている。そちらの登場箇所については該当記事を参照のこと。

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