ぼくらの昭和オカルト大百科

 『ぼくらの昭和オカルト大百科』は初見健一の著書。2012年に大空出版の大空ポケット文庫の1冊として刊行された。


【画像】 カバー表紙

内容

 「70年代オカルトブーム再考」という副題が内容を端的に示している。序章にあたる「00」と、「01」から「05」までの章で構成されている。

  • 01 終末
  • 02 UMA
  • 03 超能力
  • 04 UFO
  • 05 心霊

ノストラダムス関連

 「01 終末」は当時の終末ブームを再考するもので、中心的に扱われているのは五島勉の『ノストラダムスの大予言』である。上に掲げたカバー表紙自体が、そのパロディとなっている。

コメント

 当「大事典」の性質上、ノストラダムス論に絞ってコメントしておく。

 著者の初見健一は1967年生まれであり、実際に1973年から74年にかけてのブームを体験した世代の証言としては、一定の価値を持つだろう。
 ただし、その内容にどこまで信憑性があるかというと疑問も残る。著者はこんなことを言っているからである。

  • で、一九九九年が無事に明けてしまうと、これはもう、いたしかたないと言えばそれまでだが、さまざまなメディアで「吊るし上げ」が行われた。「人類の叡智は予定されていた滅亡の回避に成功した」とかなんとか、五島氏が苦しい弁明を強いられていたのは記憶に新しい。*1

 しかし、五島勉はこんな弁明をしていない。
 確かに、1999年7月1日付の朝日新聞などでは、予言は回避するための警告だったという線のコメントも寄せたことはある。
 しかし、それは何も起こらなかった後に出た釈明ではない。

 そして、1999年が結局何も起こらないまま明けてしまった後に寄せられた批判に対しては、「滅亡を回避できた」 などという線での釈明などはまったくおこなっていないのである。
 2000年の雑誌のインタビューに対して、ユーゴ紛争などを引き合いに出して外れていないと主張したこともあったし (ちなみにその記事の見出しは 「ホントに懲りない五島勉『ノストラダムス外れてない』」であった*2)、2000年に刊行した『アザーズ 別のものが来る(未作成)』では、温暖化、オゾン層破壊、核軍備などを引き合いに出し、「ここからも、『恐怖の大王が降ってくる』というノストラダムスの見通しは、一〇〇%とは言えないが相当正確だったことがわかる」*3とも述べていた。

 そして、2001年のアメリカ同時多発テロ以降は、『イスラムvs.アメリカ 「終わりなき戦い」の秘予言』(2002年)から『予言・預言対談 飛鳥昭雄×五島勉』(2012年)に至るまで、一貫して2年ずれてアメリカ同時多発テロ事件という形で的中したという主張を繰り返していた

 「さまざまなメディアで」というのならば、当然、初見は朝日新聞以外のメディアも相応の数はチェックしていたはずだが、それでどうして上のような認識になるのだろうか。

 「記憶に新しい」はずの事柄について事実と全く整合しないことを述べているようでは、はたして40年も前の体験を正確に述べることができているのかという疑問を禁じえないであろう。

 著者の初見健一は、当時の「子供たちの誰もが」「オカルトリテラシー」を備えていたと主張し*4、「僕たちは一九九九年の『世界の終わり』を本気で信じていたわけではない。基本的には『そんなわけないじゃん』とおもっていたのである*5と言い切っている。

 著者の初見は1967年生まれであり、1973年には小学一年生であった。
 その年代で果たしてそこまで達観した認識でいられたのかという点にまず疑問を感じるが、かりに初見個人がそうであったとしても、さくらももこのように、当時は本気で信じていたと述懐している者もいる上に、何よりもその後も信じ続けて新興宗教などにのめりこんで行った人々も多くいる (オウム信者にも、この本がショックだったことを回顧する者は複数いる)だけに、過度に一般化して述べるのは適切ではないだろう。

 なお、初見は五島の著書に嘘が多いと批判されていることについて、当時の大半の読者は、そうした本の大げさな主張は寅さんの「啖呵売」のようなものと割り切って楽しむことができていたので、時代状況から切り離して批判されていることには同情的なコメントをしている*6

 その初見が述べるノストラダムスの生涯では、「ここで人物像を簡単に紹介しておきたいのだが、事実と虚構がないまぜになった非常にやっかいなプロフィールの持ち主なのだ*7とした上で、「『予言集』が大ヒットして有名になった彼は、VIP待遇で王宮に出入りするようにまでなり、売れっ子占星術師として権力者たちの相談に乗っていたそうだ*8などと述べられている。

 こうした要約からは、エドガール・ルロワピエール・ブランダムールらの実証的研究によって、ノストラダムスの実像がかなりの程度明らかにされていることは読み取れない。
 そもそも、国王アンリ2世と謁見した理由が『暦書』の成功によるものだったし、生前のノストラダムスが有名になったのは、『予言集』が売れたことよりも、『暦書』によるところが大きかった。

 また、ノストラダムスが王族に謁見できたのは数回に過ぎず、その謁見場所も王宮とは限らなかった。
 つまり、「VIP待遇で王宮に出入り」などというのは事実ではない (それはどちらかといえば、日本では五島勉らの著書によって広められた虚像である)。晩年に 「王附常任侍医・顧問」 に任命されるが、それは名誉職のようなものであり、任命後に王宮に実際に出仕した事実もない。

 1970年代に比べてノストラダムスの実証的研究が飛躍的に進展しているにもかかわらず、前述のような事実と反する伝記を現代においてさえ述べている初見が、小学校低学年だった当時のブームの時点で嘘を嘘として割り切って楽しめるだけのリテラシーを備えていたと主張したところで、果たして額面どおりに受け取れるのか疑問である。

 また、初見健一はのちに五島勉にインタビューした際、「幼少期のトラウマと向き合うような不思議な体験だった!」と述懐している*9
 だが、嘘を嘘として割り切るリテラシーをもってブームに接していたなら、トラウマ(心的外傷)など生まれるはずもない。

 結局のところ、五島の物言いがそうであったように、初見の物言いもまた、昭和の啖呵売のような物として、「そんなわけないじゃん」と話半分に受け止めておくのが正しい読み方なのかもしれない。

書誌

書名
ぼくらの昭和オカルト大百科
副題
70年代オカルトブーム再考
著者
初見健一
版元
大空出版
出版日
2012年11月20日
注記

外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌(Bibliographie provisoire)

Titre
Bokura no Shôwa Okaruto Daihyakka (Traduction / L’Encyclopédie d’Occultisme populaire dans notre ère de Shôwa)
Sous-titre
70 nendai okaruto bûmu saikou (Traduction / Reconsidérant que l’occultisme a connu une vogue dans les années 1970)
Auteur
HATSUMI Ken’ichi
Publication
OZORA Publishing Co., Ltd.
Lieu
Tokyo, Japon
Date
le 20 novembre 2012
Note


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最終更新:2016年07月23日 18:26

*1 同書、pp.43-44

*2 『週刊朝日』2000年12月15日号

*3 五島『アザーズ』p.28

*4 同書p.49

*5 同書、p.48

*6 同書、p.44-45

*7 同書、p32

*8 同書、p.34

*9 『昭和40年男』2016年6月号、p.146