五島にとっては 『未来仏ミロクの指は何をさしているか』(2010年3月) 以来、約3年ぶりの著書となる。
【画像】 『予言・預言対談 飛鳥昭雄×五島勉』
内容
全4章で、いずれの章もノストラダムスをはじめとする様々な予言・預言を扱った対話によって構成される。
第1章 「今だから語れる『ノストラダムスの大予言』」 は、まず五島の『
ノストラダムスの大予言』がかつて起こしたブームについて回顧し、あの本を書くようになったきっかけや、そこでの資料の扱いについて語り、さらに現在の中国の台頭や福島での原発事故に関連する予言詩などについて扱っている。
第2章 「ハルマゲドンを実現させようとする人々」 では、五島と飛鳥が
詩百篇第10巻72番について、過去の解釈の「ズレた」部分を認めつつ、再解釈を行なっている。
第3章 「予言者たちが見た来るべき世界」 は、ノストラダムス以外に、仏典、アドルフ・ヒトラーの予言、
ファティマ第三の秘密などをとりあげている。
第4章 「日本の未来」 は、聖徳太子の予言などを引き合いに出し、2012年以降の日本の未来についての解釈を展開している。あわせて、五島の次回作の題材について、概要が述べられている。
コメント
五島勉の対談やインタビューは過去にいくらでもあった。
しかし、そうしたインタビューには、五島が近い時期に出した著書の内容をほとんどそのまま語り、インタビュアーが深く掘り下げることもない場合もしばしば見られた。ノストラダムス研究会 『ノストラダムス~21世紀へのメッセージ』(同文書院、1999年) 所収のインタビューや、『ムー』2010年8月号・9月号に掲載されたインタビューなどがその例だろう。
また、五島が段階的に主張を変化させてきたことなどをきちんと認識しないまま、1999年に人類が滅びると主張した人とだけ認識し、滅びなかったではないかと糾弾するようなインタビューも1999年以降の雑誌にしばしば見られたが、かみ合わない議論になったり、五島が投げやりな返答をしたりで、実りのある対話にはならなかった。
それらに対し、この対談は、対談相手の飛鳥昭雄がある程度はノストラダムスに関する知識を持ち、また五島の著書もいろいろ読んでいるため、質問の仕方や掘り下げ方にいくつか興味深い点が見られる。
たとえば、「
ブロワ城の問答」について、五島は今回、あれはアメリカの研究者から聞いたものだ、という従来まったく主張していなかった情報源を明かしているが、それについて飛鳥は正式な資料はあるのかと、踏み込んだ質問をしている。
このやり取りは、司馬遼太郎の小説などを引き合いに出しつつ「ドキュメント」の定義を再検討し、「ブロワ城の問答」を批判してきた懐疑派への反論を展開している文脈で登場している。
著書にエンターテインメント的な演出も織り交ぜていることを公言している飛鳥は、五島の釈明に好意的であり、その文脈では正式な資料はあるのかなどという問いは、なかったとしても不都合はない。
しかし、そのようなやりとりが行われていることによって、信奉者側のありがちな自己弁護というレベルにとどまらない興味深い対話が形成されている。
ほかにも、『大予言』初巻を書いた時に五島が南山宏を怒らせたと言われていることについての質問や、『大予言』がシリーズ化したのは出版社側の強い意向かという質問など、なかなか面と向かって聞きづらいような質問を飛鳥はぶつけている。
ただし、少なくとも文面からは、対話そのものが和気藹々とした雰囲気で行われたように見え、こうした質問も詰問しているようなトーンには見えない。
五島もそうした質問に対し、丁寧に回答している。
もちろん、すべてについて真実を語っているとは限らないし、意図的な嘘でなくとも記憶違いなども混じっているだろうが、今まで五島が語っていなかったことや語ろうとしていなかったことにいくつも言及していることは興味深い。
この対談で展開されている予言解釈について、当「大事典」は何ら支持するものではないし、ノストラダムス本人に関する情報源として何ら評価に値するものとは「解釈」していない。
しかし、日本の特異な
ノストラダムス現象に関連する文献としては、一定以上の価値をもつだろう。
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最終更新:2012年12月20日 19:04