ファティマ第三の秘密

 「 ファティマ第三の秘密 」は、1919年にポルトガルの小さな村ファティマで聖母の幻像が語ったとされている3つの予言の最後のもの。かつて封印されており、1999年以前には未公表だったため、その流出版と称する予言などが、ノストラダムス関連書でもしばしば採り上げられることがあった。
 2000年にローマ教皇庁教理省によって全文が公表され、日本でも翌年カトリック中央協議会による翻訳が公刊された(すぐ下の画像の文献がそれである)。


【画像】 教皇庁教理省 『ファティマ 第三の秘密 - 教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最終公文書』

内容

 ファティマはポルトガルのサンタレン県レイリア近郊の小さな村であった。1917年に地元の3人の子ども、ルチア、ジャシンタ、フランシスコが聖母の出現を目撃し、5月13日の最初の出現以来、10月まで毎月13日に聖母と言葉を交わし、3つの秘密を授けられたという。
 ファティマの第1の秘密は、第一次世界大戦が近く終わること、第二の秘密は次の教皇の時代に新たな世界大戦が起こることだったとされる。これらは、いずれも事後に公表され、ほぼ成就したと位置付けられている。
 聖母が現われたとされる1917年の教皇はベネディクト15世。その次の教皇ピウス11世は1939年2月までの在位で、同年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻から始まった第二次世界大戦は若干ずれている。この点、信奉者はスペイン内戦などを引き合いに出し、十分に的中していると解釈している *1

 第3の秘密は封印されたままになり、1960年に公表されるという当初の期限設定を過ぎても公表されなかった。それを読んだパウロ6世が恐怖のあまり卒倒したなどという話も伝えられ、憶測ばかりが膨らんだ。1981年には、第3の秘密を公表しろと要求する犯人によるハイジャック事件も起こった。
 1960年代にはドイツのメディア『ノイエス・オイローペ』が、第3の秘密の原文を入手したとして報じ、いくつかのメディアがそれを後追いで紹介した。
 その予言はかなりセンセーショナルなもので、20世紀後半に世界的な大戦争が起き、天から下される火と煙があらゆる海の水を蒸発させ、数千万人規模の犠牲者が出るというような予言を含んでいた(初期の「流出文書」の日本語訳は、ダニエル・レジュ 『第3の予言』 たま出版、1990年、に巻末付録として収録されている)。

 2000年にローマ教皇庁は公式に第3の秘密を公表した。その内容は、教皇だけでなく多くの聖職者たちも殺されるという悲惨なビジョンではあるが、従来「流出」していた文書ほどにはセンセーショナルなものではなかった。この予言については、1981年に起こった当時の教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件によって成就したと解釈された。
 教皇庁の教理省は、この第3の秘密の原文(手紙のファクシミリコピー)と翻訳、関連する書簡、ラッツィンガー枢機卿(当時。のちのローマ教皇ベネディクト16世)による神学的解説などをまとめて公刊した。前述の通り、日本でもカトリック中央協議会によって日本語版が出され、原文・訳文とも容易に確認できるようになっている。

 陰謀論的な説を唱える論者たちは、公表されているものよりも、当初「流出」した文書の方が正しいと主張する。だが、「流出」文書の方は無条件に信じられるのに、ルチア本人がかつて自分が書いた手紙と認め、ほかに第3の秘密を記した文書はないと表明している方は信じられないというのもおかしな話である *2

 また、公表された文書はパウロ6世が卒倒するほどのものではない、という批判もある。しかし、卒倒したという話自体の信頼性が疑問である上、それが事実だとしても、公表された全文はカトリックの大受難を予言しているとも解釈できるものである。パウロ6世が聖母の出現を深く信じていたのならば、そのような絶対的存在から自分や信者たちに悲惨な死が迫っていると告げられたと感じた時に、卒倒したとしても不思議ではないように思われる。


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