原文
La naturelle
1 à si hault hault
2 non bas
Le tard retour
3 fera martis
4 contens,
Le
Recloing ne
5 sera sans
6 debatz
En empliant
7 & perdant
8 tout son temps.
異文
(1) La naturelle : Le naturelle 1597Br 1603Mo 1605sn 1611 1606PR 1628dR 1649Ca 1649Xa 1650Mo 1716PR(a c), Le Naturel 1672Ga
(2) hault hault : hault 1568X 1607PR 1610Po 1650Mo, haute 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Le 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1697Vi 1720To 1840
(3) retour : retours 1716PRb
(4) martis 1568A 1627Ma : marris T.A.Eds. (sauf : maris 1611 1981EB, matris 1650Mo)
(5) Recloing ne : Rec loing ne 1650Le, Recloingne 1650Mo, Recloingene ne 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To
(6) sans : sens 1720To
(7) empliant : employant 1591BR 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Di 1644Hu 1650Mo 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668P 1716PR 1840 1981EB, emploiant 1650Le 1668A 1672Ga
(8) perdant : perdans 1603Mo 1650Mo
校訂
1行目 hault hault は 1568X の異文にあるように hault の誤記の可能性がある。ただし、それだと後半律がおかしくなるようにも思える。
2行目 martis は1568年版の異本を含め、他のほとんどの版がそうであるように marris の誤記だろう。
日本語訳
正当な女性が低くなく非常に高くへ。
遅れた帰還が夫たちを争わせるだろう。
検真が討論なしに行われることはないだろう、
かの時のすべてを満たし、また失いつつ。
訳について
1行目 naturelle を
エドガー・レオニ、
ピーター・ラメジャラー、
リチャード・シーバースはいずれも 「非嫡出の女性」 の意味に理解しており、
ジャン=ポール・クレベールも疑問符つきでその読み方も示している。確かに現代フランス語で enfant naturel とすれば 「非嫡出児」 の意味になるし、古い英語の用法でも natural child はその意味である。
しかし、中期フランス語では逆に 「正嫡の、適法の」(légitime) という意味があり、
ロジェ・プレヴォは現代フランス語の légitime と同じく 「妻」 の意味を導いている。当「大事典」の訳は、そちらの読み方を採用した。
2行目 contents は、「満足した」の意味とするのが一般的だが、ここでは contendre (争う) の派生形と理解した (DMF には「争い、争論」 を意味する content が載っている)。 marris はプレヴォに従い、 maris (夫の複数形) の綴りの揺れと理解している。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目「自然はあまりに高く 高きは低くなく」は誤訳。「自然」ならば nature となるべきで別の語である。特に、大乗訳では 「高い地位の人が私生児を生んだので (以下略)」 というロバーツの解説が訳出されているので、前述の英語の成句などを知らない読者には 「私生児」 が一体どこから出てきたのか意味不明だろう。
2行目「おそくもどってきた人が悲しみにあまんじ」 は、marri がフランス語で 「残念に思う」 という意味を持つことを考慮すれば、意訳としては許容範囲内かもしれない。ラメジャラーやシーバースの英訳はそれに近いが、彼らの英訳の場合は Her late return making the aggrieved content と、明らかにニュアンスが違う。
3行目 「レクロイングはあらそいをし」 は、
Recloingをそのまま音写するにしても、フランス語なら 「ルクロワン」 と表記すべき。二重否定文を肯定文として訳しているのはいいが、sera (英語のbe動詞にあたる) を「~する」と訳すのは不適切ではないだろうか。
山根訳について。
1・2行目 「私生児の娘 いと高く/低からずして高し 遅れた帰国が 悲嘆に沈む人々の慰めとなろう」は、なぜか1行目の後半が2行目に回されているのが少々不自然で、あまり必然性が感じられない。しかし、その点を除けば、伝統的な読み方の訳としては許容範囲内だろう。
3行目 「妥協せる者 物議をかもすことになる」も、
Recloingの伝統的な読み方に従ったものとしては許容されるだろう。
信奉者側の見解
ガランシエールは3行目の Recloing のみについてコメントし、全体の鍵になる造語だが、何に由来するのか誰にも分からないと述べていた。そのガランシエールの注を見ていたであろうロバーツも、具体的な事件とは結び付けていなかった。
エリカ・チータムは「多くの注釈者」が、エリザベス1世と解釈し、彼女が当時ヘンリー8世の離婚問題に関連して私生児扱いする者たちがいたことと結びつけた。この解釈は
エドガー・レオニのほぼ丸写しといってよいものだが、レオニは先行する提唱者をまったく挙げておらず、当「大事典」としても確認できていない。「多くの解釈者」というチータムの主張が誤りなのか、レオニの指摘後、英語圏の泡沫的な解釈者たちで追従するものが多かったのかは、当「大事典」としては未検証である。
同時代的な視点
ロジェ・プレヴォは、社会史家ナタリー・デイヴィスの名著でも知られる16世紀の偽亭主騒動「マルタン・ゲール事件」 がモデルになったと推測しており、
ジャン=ポール・クレベールも関連性を指摘している。
マルタン・ゲール事件とは、南西フランスの小さな村アルティガットで1550年代に起こった事件であり、長いあいだ家を空けていた夫マルタン・ゲールがひょっこり帰ってきて、数年間、妻ベルトランド・ド・ロルスと平穏に暮らしていて子どもまで生まれたものの、実はそれは本物のマルタンではなく、詐欺師アルノー・デュ・ティルだったという事件である。
この事件は地元の裁判所で争われた後、1560年に
トゥールーズの高等法院に控訴された。そこでは、偽マルタンが昔のことをあまりにも多く記憶していることや、彼を本物と証言する近親者たちの存在もあって、偽マルタンこそが本物と認定される寸前までいくのだが、そのときに長らく所在不明だった本物のマルタンが法廷に現われ、一気に真実が明らかになるというドラマティックな展開を見せた。
この事件は 「ラングドック地方のどの村でも話題になっていた」とされ、高等法院で審理に当たったジャン・ド・コラス自身が『忘れがたき判決』という著書にまとめ、1561年に公刊していた。ノストラダムスは『予言集』のなかで、(しばしば好意的ではないとはいえ) トゥールーズに何度も言及していたのだから、何らかの関心は持っていたのだろうし、その町の高等法院で大騒ぎになったこの事件を知っていたとしてもおかしくはないだろう。
ましてや、その本の初版は
リヨンのアントワーヌ・ヴァンサンによって刊行され、同じ年には別の作家ギヨーム・ル・スュウールによるこの事件の記録 『驚くべき物語』 が
リヨンの
ジャン・ド・トゥルヌによって公刊されていたことを考えれば、ノストラダムスが知りえた可能性はさらに高まるだろう。
ただし、
ピーター・ラメジャラーは、この詩について出典不明としている。詩の情景が明らかに強い類似性を見せており、ラメジャラーはプレヴォの解釈も知っているにもかかわらず、マルタン・ゲール事件と結び付けていない理由は、おそらく次の2つだろう。
まずは前述の通り、彼は1行目を 「(領主の)非嫡出の娘」 と訳していることにある。そう訳してしまえば、これを農村で夫の帰りを待ち続けた婦人ベルトランドと結びつけることは難しくなる。
もうひとつは、
1558年版『予言集』が実在するのかということである。基本的に実在説を採っているラメジャラーの立場からすれば、1558年にはこの詩が出現していたことになるので、この説は採れない(偽マルタンの 「帰還」 は1556年のことだったが、1558年の時点で偽物と疑う訴訟は始まっていない)。
【画像】 N・Z・デイヴィス 『帰ってきたマルタン・ゲール』
最終更新:2019年11月18日 01:00