アヴィニョン

  アヴィニョン (Avignon) は、南フランス、ヴォークリューズ県の県庁所在都市。古称はアウェンニオ (Avennio)。現名称はそれが転訛したものだが、語源未詳である。なお、ジュラ県にある同名の町の方はローマ人名アウェンヌスからではないかと推測されている *1
 ローヌ川とデュランス川の合流点に近く、古くからの交通の要衝であった。9世紀以降、地域の中心都市となったが、異端とされたアルビ派に加担した都市として制圧され、13世紀にはプロヴァンス伯領に編入された。
 本格的な発展はいわゆる「教皇のバビロン捕囚」時代以降のことで、アヴィニョン教皇庁の所在地として栄えた。その後も教皇領となっていたが、1791年にフランス領に組み込まれた。

 現在でも、特に教皇庁時代の多くの建造物群が残り、その歴史的景観は 「アヴィニョン歴史地区」 の名前で世界遺産にも登録されている *2


【画像】 『週刊世界遺産 アヴィニョンの歴史地区』

ノストラダムス関連

 ノストラダムス一族のうち、父方の出自はアヴィニョンだった。
 ノストラダムス自身、十代の頃にアヴィニョン大学に通ったといわれている。この点の確実な史料はないが、実証的にも一応支持されている。
 晩年に当たる1561年には、サロン=ド=プロヴァンスでのカトリックによるプロテスタント迫害のあおりをうけて、アヴィニョンへの転居を検討し、少なくとも2ヶ月間避難していたことがあった(BN ms. Lat. 8592の27番の書簡で言及されている)。
 そのときに何らかのコネクションができたものか、『1563年向けの暦』はアヴィニョンの出版業者ピエール・ルーによって刊行された。なお、かつてはルーが1555年の『予言集』アヴィニョン版の刊行者と位置づけられることもあったが、それはルーの活動歴と一致しないため、そのまま受け入れることは出来ない。
 他方、ノストラダムスを批判したローラン・ヴィデルの本が刊行されたのもアヴィニョンだった。

予言の中での言及

 『予言集』では以下の詩篇で言及がある。

 さらに暦書でもたびたび言及しているが、少々風変わりな言及には 「ローヌ川とデュランス川に近い我らのメソポタミア」(『予兆集成』 第1巻407番) というものがある。
 周知の通りメソポタミアは 「二つの川の間」 という意味のギリシア語がもとになっているが、ノストラダムスはその語をローヌ川とデュランス川の合流点に近いアヴィニョンにも用いていたのである。

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