原文
En Syracuse noveau fis figulrer1
Qui plus sera inhumain et cruel
De non latin en français2 singulier
Noir et farouche et plus sec que gruel.
異文
(1) figulrer : figulier (Ruzo 1975), figurer (Ruzo 1982)
(2) français : françois (Ruzo)
校訂
1行目の異文は、3行目との韻を考えれば figulier が最も適切である。
3行目の異文は時代ごとの正書法の変化によるもので、ノストラダムスの時代には françois のほうが妥当である。
日本語訳
シラクーザで陶工の新しい息子が、
より非人間的で残酷になるだろう。
ラテン民族でない者から独特のフランス人となる。
黒く粗野で、粗い穀粉よりも乾いている。
訳について
1行目は figulier を採用した。百詩篇正篇では
百詩篇第9巻12番で一度だけ使用例があり、「陶工」 の意味だろうという点で諸論者が一致している。なお、figurer なら「作る、デッサンする」などを意味する動詞である。
3行目は「ラテン語でないものから独特のフランス語になる(訳される)」とも訳しうるが、人物の描写と判断して訳した。
4行目 gruel という語は現代フランス語になく、ノストラダムスも百詩篇正篇では一度も使っていない。
ピエール・ロレ(未作成)は gruau (挽き割りカラスムギ、穀粒、オートミール) と注記し、
ピーター・ラメジャラーはそのまま gruel (薄い粥) と英訳している。DMF、DALF、DFE には見当たらないが、DAF には確かに gruau の意味で載っている。『ジーニアス英和大辞典』では英語の gruel の語源として、あらびき粉を意味する gru に縮小辞 -el がついた古フランス語の gruel から、と説明されている。
「 gruau よりも乾く」 ということがどういう意味の成句なのかは、古語辞典で gruauや sec を調べても見当たらないのでよく分からないが、文脈からすれば、冷淡さや酷薄さを示すものなのだろう。
解説
シラクーザの独裁者というと古代の僭主たちが思い浮かぶが、「陶工」とのつながりも、後半との繋がりも不鮮明である。
最終更新:2013年02月02日 12:10