カトリーヌ・ド・メディシスへの献辞 (1556年)

 ノストラダムスは『1557年向けの暦』において、王妃カトリーヌ・ド・メディシスにあてた献辞を掲げていた。

原文

A LA CHRISTIANISSIME ET SERENISSIME CATHERINE REINE DE FRANCE.

MA Dame, en m’essayant a tout 1 mon pouuoir de satisfaire au vouloir de vostre maiesté ; apres auoir paracheué la natiuité de monseigneur le Daulphin, me suis remis sur mon estude ordinaire pour supputer l’Almanach de l’Année M. D. LVII. qui est pour maintenant le Présent 2 que vous puis offrir, combien que peu digne de vostre haultesse, toutesfois le plus propre à ma profession. Vous suppliant qu’il vous plaise le prendre en gre, comme de treshumble affection ie le vous dedie, & aussi de veoir encores plus songneusement le genese de vostre premier fruict. C’est pour le particulier.
 Quant au general, ie trouue que d’icy à l’an mil cinq cens cinquanteneuf les astres font indication de tant & si diuers troubles, que la carte ne seroit suffisante pour en receuoir les discours qui s’en peuuent faire, mais ce sera pour vn autre temps & loisir Par[sic.] les presages & par le present Almanach est amplement declarée la constitution de la presente année, comprenant d’abondant vne partie de l’année merueilleuse. LVIII. & encores quelque chose de l’année LIX. qui sera l’année de la paix vniuerselle : par la grace de celuy qui par son eternelle prouidence fait mouuoir les Astres. Auquel ie prie, Ma dame, vous tenir longuement en ce plus que Royal mariage. De Salon, ce 13. de Ianuier. 1556.

 Vostre treshumble & tresobeissant seruiteur & suget
 M. Nostradamus.

語注

  • (1)à tout は avec や tout de suite などの意味があった(DMF)。
  • (2) le present とは若干表現が違うが、ce present は「本作品」(l’ouvrage présent)の意味があった(DMF)。この場合、そういう意味なのではないかと思われる。
  • (3)mariage は 「夫」(mari) の意味があった(LAF)。

日本語訳

敬虔なるキリスト教徒にして、いともやんごとなきフランス王妃カトリーヌ様へ

 王妃様 1 、わが力をもって陛下のお望みをかなえようと試みておりまして、王太子殿下の立太子礼 2 が完遂した後、私は『1557年向けの暦』を算定するための普段の研究に戻りました。それが今こうして献上させていただける作品でして、御身の高貴さにはあまりにも不釣合いな代物ではございますが、私の職業にはもっとも見合ったものにございます。私はそれをあまりにも卑賤な感情によって、同じく、陛下の最初の果実の淵源 3 をなおいっそう注意深く見ることによって、陛下にそれを捧げた次第ですから、それを陛下にご笑納いただくことでお喜びいただけることを切に願います。以上は特定個人に向けるものです。
 全般的には、いまから1559年まで、星々があまりにも多くの様々な騒擾を示しております。その起こりうる言説を受け止めるには星位図が十分ではありませんが、それは別の時機を見てのこととなりましょう。予兆集とこの暦によって、当年の構成は十二分に示されておりまして、驚くべき年である58年の一部と、さらには世界的な平和の年となるであろう59年の何事かも存分に含まれております。それらは永遠なる神意によって星々を動かしめる御方 〔=神〕 のお蔭によるのです。王妃様、私はその方に、陛下をご夫君たる国王以上に長らくその内に抱きとめていただきますようにと祈ります。サロンから、1556年1月13日。

 陛下のきわめて賤しくも従順なる従僕にして臣下
 M. ノストラダムス

訳注

  • (1) この訳では Ma Dame を「王妃様」、vous や votre majesté を「陛下」、votre を「御身 (おんみ) の」 と統一している。
  • (2) 直訳は「王太子の誕生の後」 である。ただし、当時の王太子フランソワは1544年の生まれで、1556年初頭に書かれた手紙とは時期が合わない。そこで、ここでは正式に王太子と位置付けられた後、と見なして上のように訳した。
  • (3) 正確な意味は不明だが、おそらくは近い将来の偉業の前兆が1557年に見られるということではないだろうか。

コメント

 ノストラダムスは晩年に『王太后への書簡』(1566年)という形でもカトリーヌへの書簡を公刊しているが、それと比べてもこの献辞は簡略なものである。

 1557年の騒擾は、その年のサン=カンタンの戦いでの大惨敗などを的中させたといえなくもない。また、1558年が驚くべき年になるというのは、イングランドからカレーを奪還したことを指し、1559年の世界的な平和はカトー=カンブレジの講和条約を指すと見れば、それなりに当たったように見える。

 しかし、1550年代半ばはイタリア戦争の最後の争いが繰り広げられていた時期であり、国内ではプロテスタントの台頭がいくらかの事件を惹き起こしてもいた。具体的に明示しなければ 「騒擾」 の的中例など、いくらでも挙げることができたはずだろう。
 そして何よりも、「1559年」 は、アンリ2世が不慮の事故死を遂げ、一気にヴァロワ王朝の弱体化が始まった年だということを忘れてはならない。本当にそれを見通せていたのだとすれば、王妃に捧げた献辞でその年を 「世界的な平和」 の年などと位置づけることはなかったのではないかと思われる。


名前:
コメント: