百詩篇第8巻27番


原文

La voye auxelle 1 l’vne 2 sur l’autre fornix
Du muy 3 deser 4 hor mis 5 braue & genest 6 ,
L’escript 7 d’empereur 8 le fenix 9
Veu 10 en celuy 11 ce qu’à 12 nul autre n’est 13 .

異文

(1) auxelle : Auxelle 1672
(2) l’vne : l’vn 1605 1611 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672 1840 1981EB
(3) muy : mey 1772Ri
(4) deser : desert 1611B 1627 1644 1650Ri 1650Le 1668 1840 1981EB, de fer 1649Ca 1672
(5) hor mis : hormis 1590Ro 1600 1653 1665 1840, hors mis 1627 1644 1650Ri 1672 1981EB
(6) & genest : genest 1590Ro
(7) L’escript : L’Ecrit 1672, L’esc it 1981EB
(8) d’empereur : d’Empereur 1597 1600 1603Mo 1610 1611 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1672 1716 1772Ri 1840 1981EB
(9) le fenix : la Phoenix 1672, le Phenix 1611 1981EB
(10) Veu : Vru 1597 1603Mo 1611A
(11) en celuy : à celuy 1597 1600 1603Mo 1610 1611 1627 1644 1650Ri 1716 1981EB
(12) ce qu’à : ce qu’a 1590Ro 1605 1650Le 1668A 1672, qu’à 1611B 1981EB
(13) n’est : nest 1672

校訂

 ロジェ・プレヴォは1行目の auxelle を aurelle、2行目の brave (勇者) を drave (イヌナズナ) と校訂している。ピーター・ラメジャラーは2行目の校訂の方を支持したが、1行目 auxelle については aus eaux と校訂した。ジャン=ポール・クレベールはプレヴォによる2行目の読み方を紹介した。リチャード・シーバースは、明記していないが、英訳を見る限りではラメジャラーの読みを踏襲しているようである。

 2行目の Du muy が Du Muy となるべきという点は、プレヴォ、ラメジャラー、クレベール、シーバースのいずれもが一致している。

日本語訳

イヌナズナとエニシダを除けば荒涼としたル・ミュイの
アウレリア街道にて一つの迫持の上に別の迫持。
フェニックスたる皇帝の碑文、
それには他の誰に向けられたものでもないことが見られる。

訳について

 2行目は1行目を修飾している。日本語としてある程度自然になるように訳すことが難しかったので、翻訳では1行目と2行目の順序を入れ替えて訳している。また、1、2行目の読み方については、プレヴォの読み方を踏襲した。「アウレリア街道にて」 の部分は、ラメジャラーの読みに従い、「水道にて」 でも意味は通る。
 2行目の genest は現代式に綴れば genêt で、「エニシダ」(金雀枝) の意味である。しかし、現代の genet (小型馬) と同一視する見解は古くからあり、エドガー・レオニマリニー・ローズらはこの読みを採っている。「勇者とエニシダ」 では支離滅裂なので、どちらかを誤記または綴りの揺れと見なし、「イヌナズナとエニシダ」 か 「勇者と小型馬」 と読むことになるだろう。当「大事典」では、プレヴォ、ラメジャラー、シーバースらの読みに従い、前者を採用している。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目「オークレレの道は一方が弓形で」 *1 は、l’un sur l’autre (一方が他方の上に) がきちんと訳に反映されていない。
 2行目「勇ましく鉄の舟を押しだし」は、deser を de fer (鉄の) と読み替えたガランシエールの版が底本になっていることを踏まえても、muy が「舟」になる理由が分からない。こうした訳の元祖はガランシエールだが、muid (樽) からの連想によるものだろうか。

 山根訳は、エドガー・レオニ辺りの時代までの通説的な読み方としては許容範囲内である。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、「この詩に意味のある解釈を見出せない」とだけ述べていた *2
 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)アンドレ・ラモンロルフ・ボズウェルジェイムズ・レイヴァーの著書には載っていない。

 エリカ・チータムはおそらくプロヴァンスを舞台とする詩ではないかと述べていた *3

 セルジュ・ユタンは、ナポレオン帝国がかつてのカール大帝の版図と重ねあわされていると推測していた *4

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、アドルフ・ヒトラーとその主著 『我が闘争』 と解釈した *5

 ヴライク・イオネスクは、竹本忠雄とのやり取りを踏まえ、1行目の二重の橋が意味するのは皇居の二重橋のことで、日本が原爆投下の後に不死鳥のごとく復活したことと解釈した。また、そこで小型馬を genet でなく genest と綴ったのは gen-est と分解し「東方起源の」という意味を込めたためだと主張した。さらに、2行目の muy をスペイン語 (大いに) として理解し、そのアナグラムで核分裂が導き出せるとも主張した *6

 竹本はそのイオネスク解釈の際に言及していた考えを自著でも推進し、「勇者と小型馬」 が意味するものは皇居前に立つ楠木正成像と解釈し、3行目の「皇帝の碑文」を「天皇の詔勅」と訳すことで、さらに日本との結び付けを強めた *7

同時代的な視点

 前半のル・ミュイとアウレリア街道 (かつてアルルまで延びた街道) は、詩の舞台がプロヴァンスであることを示している。そして、プロヴァンスには世界遺産になっている古代の水道橋ポン・デュ・ガールが今も残る。ポン・デュ・ガールはまさに 「ひとつの迫持(アーチ)の上に別の迫持(アーチ)」 が重なっている巨大建造物である。
 以上はロジェ・プレヴォが最初に提示し、ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースらが細部に違いはあるものの、おおむね踏襲している読みである *8

 後半は読みが一致せず、プレヴォは1536年の神聖ローマ皇帝カール5世によるプロヴァンス侵攻と理解し、ラメジャラーは何らかの考古学的発見についてではないかとした *9

【画像】ポン・デュ・ガール *10



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