百詩篇第3巻40番


原文

Le grand theatre 1 se viendra redresser:
Le dez 2 geté 3 ,& les rets ia tendus.
Trop le premier en glaz viendra lasser,
Par 4 arcs 5 prostraits de long temps 6 ia fendus 7 .

異文

(1) theatre : Theatre 1672
(2) Le dez : Les dez 1568 1590Ro 1597 1600 1610 1611 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1672 1716 1772Ri 1981EB, Les dex 1605 1628 1649Xa
(3) geté 1555A 1555V 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro 1649Ca 1650Le 1668 1840 : iettez T.A.Eds.
(4) Par : Pars 1600 1610 1627 1650Ri 1716
(5) arcs : arc 1605 1611 1628 1649Xa 1672
(6) long temps : longtemps 1611B 1981EB, long-temps 1627 1644 1649Xa 1653 1665
(7) fendus : feu dus 1665

(注記)1588-89はI-20に差し替えられており、不収録。

日本語訳

大劇場が建て直されることになるだろう。
押し出された天蓋とすでに張られていた網が、
大音響の中、当初の構造物を過度に疲弊させることになるだろう、
割れてからかなり経つ迫持 〔せりもち〕 の崩壊のせいで。

訳について

 全体の読みはピエール・ブランダムールの釈義に従った *1
 まず2行目 dez は一般に dé(s) (さいころ) の綴りの揺れと解釈されることが多く、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースなどもその読み方である。しかし、当時のフランス語でも単数のさいころは dé と綴っていたことが、DFEなどからは分かる。
 他方、ブランダムールはエドモン・ユゲの辞書などを手がかりに、dais (天蓋) の揺れであったことを示した。ユゲは dais の語釈として plateau (舞台) なども挙げているようである。
 さらに geté (jeté) は普通ならば 「投げられた」 だが、「押し出された」(pushed out)、「置かれた」(put) などの意味もあった *2
 4行目 prostrait はラテン語 prostratus やプロヴァンス語 prostrat からで、「打ち倒された」「打ちひしがれた」「ひっくり返った」などの意味 *3

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「劇場がふたたびあがり」 *4 は、grand (大) が訳に反映されていない上、後半がぎこちない。
 2行目 「さいが投げられ 網はひろがり」 は ja (すでに) が訳に反映されていない。
 3行目 「はじめ鐘を鳴らして疲れさせ」 は trop (過度に、あまりに) が訳に反映されていない上、premier は冠詞が付いているので副詞ではなく名詞だろう。
 4行目 「弓で長いあいだひれふすまでうつだろう」 は、prostraits を英語の prostrate に 「ひれ伏す」 の意味があることにひきつけたのだろうが、ja (すでに) がある以上、de long temps は 「長い間」 ではなく 「ずっと前から」 の意味に取らないとおかしい。

 山根訳について。
 1行目 「大寺院が再建されよう」 *5 は、theatre を 「寺院」 と訳すのが不適切だろう。古語辞典の類でも temple と同一視する意味合いは見当たらない。
 3行目 「弔鐘を鳴らす偉人は過労に陥るだろう」 はかなり強引な訳に見えるが、4行目 「とっくの昔に裂けた矢に打ちのめされて」 は一応そうも訳せる。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、インソルビリア・デ・アリアコの中に置かれるべき詩篇とだけ述べた *6 。インソルビリア・デ・アリアコを直訳すれば、アリアコ(ピエール・ダイイ)の解決不可能性(または自己言及のパラドクス)とでもなるだろうが、どういう意味の慣用句なのか、当「大事典」としては正確にはつかめていない。ダイイの著書には『概念と解決不可能性』という著書があったので、その中の事例に当てはまるということかもしれないが、いずれにしても、ろくに解釈を示せていないことは確かであり、ガランシエールの表現に深入りしても大した意味はないだろう。
 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)アンドレ・ラモンロルフ・ボズウェルジェイムズ・レイヴァーの著書には載っていない。
 エリカ・チータムも事実上解釈を放棄していた *7

 セルジュ・ユタンはフランスの第四共和政終焉(1958年)の予言ではないかとした *8

 ヴライク・イオネスクは、かつてソ連崩壊が引き金となって起こる第三次世界大戦の予言と解釈していた *9

同時代的な視点

 2行目の dez をどう訳すかによって全体のニュアンスがかなり異なるように思われる。それを天蓋や舞台など、劇場の建築要素と読むならば、4行目の arc も当然にして迫持 (アーチ状構造物) の意味にしかならず、全体は大劇場の倒壊事故の描写以外に読みようがない。
 ピエール・ブランダムールはそのような読み方に従って、大劇場が崩れる事故を描いている百詩篇第6巻51番百詩篇第9巻83番などと同類の詩篇と位置付けていた *10
 当「大事典」としても、それが最も自然な読み方であろうと考える。

 ピーター・ラメジャラーは2行目の dez をさいころの意味にとり、古代の遊戯を再興しようとした当時の動きと関連付けていた *11


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