原文
Classe Gauloyse
1 n’aproches
2 de Corseigne
3
Moins
4 de sardaigne
5,tu t’en
6 repentiras
7
Trestous8 mourres
9 frustrés
10 de laide
11 Grogne
12:
Sang nagera : captif
13 ne me
14 croyras.
異文
(1) Gauloyse : gauloise 1589PV 1590Ro 1981EB
(2) n’aproches : n’aproche 1557B 1588-89 1597 1600 1610 1611B 1656ECL 1668 1712Guy 1716 1981EB, naproche 1672
(3) Corseigne : Corsegue 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1597 1600 1610 1712Guy 1716 1772Ri, corsegne 1588Rf, Corsegne 1589Rg 1589Me 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1672, Corsaigne 1668P
(4) Moins : Moings 1590Ro
(5) sardaigne 1555 1627 : Sardaigne T.A.Eds. (sauf : Sardeigne 1588-89)
(6) t’en : n’en 1665, ten 1672
(7) repentiras : reoentiras ?[sic.] 1716
(8) Trestous : Tresto’ 1557B
(9) mourres 1555 : mourés 1557U 1589PV, morrez 1557B, mourrés 1568A 1590Ro 1627 1840, mouriez 1665, mourrez T.A.Eds.
(10) frustrés : froustrez 1600
(11) laide 1555 1627 1672 1712Guy 1840 : l’aide T.A.Eds.
(12) Grogne 1555 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 : grogne T.A.Eds. (sauf : graigne 1656ECLa, Greigne 1656ECLb 1672)
(13) captif : Captif 1656ECLb 1712Guy
(14) ne me : ne 1588-89, tu ne me 1656ECLa
(注記)
1656年の解釈書(1656ECL) では、p.125 と p.248 の2箇所で挙げられているが、原文が相互に違うので、前者を1656ECLa、後者を1656ECLb とした。
校訂
ピエール・ブランダムールは3行目 mourres を mourrez に、laide を l’aide に、Grogne を groeigne に、4行目の後半 captif ne me croyras を captifve, me croyras にそれぞれ校訂した (また、いちいち断っていないが、2行目の sardaigne は Sardaigne と綴っている)。
これらの校訂は、
ブリューノ・プテ=ジラールや
リチャード・シーバースらが踏襲した。
日本語訳
ガリアの艦隊よ、コルシカには近づくな、
ましてやサルデーニャには。汝はそれを悔いるだろう。
一人残らず殺され、救いは断たれる。鼻面が
血を泳ぐだろう。囚われてから、汝は我を信じるだろう。
訳について
1行目 Corseigne はコルシカ (Corse) の綴りとしては変則的なものだが、コルシカと読むことに特に異論は見られない。サルデーニャとの位置関係を考えても、それが最も自然だろう。
ブランダムールが採用した3行目の groeigne は1行目との韻によって要請された校訂であり、意味は grogne と変わらない。現代フランス語でそれは 「不平不満」 の意味であり、16世紀にはそれに近い 「口論」(dispute) の意味もあったが、同時に 「鼻面、豚面」(groin) の意味もあった。
4行目もブランダムールの校訂に従った。彼が指摘するように、意味内容からすれば、ここで ne が入るのは明らかに不自然である。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1・2行目 「フランス艦隊はコルシカに近づかず/サルジニアから離れて後悔するだろう」は誤訳。1行目の n’approches は、活用形から言って2人称単数に向けた命令形であることが明らかである。2行目冒頭 moins は劣等比較の表現。
3行目 「汝らは船の救済に失敗して死ぬだろう」も誤訳だが、これは元になった
ヘンリー・C・ロバーツの英訳自体に問題があり、grogne が great ships と英訳されている。これは後述する1656年の解釈書やガランシエールの読みが元になっているのだろうが、不適切。
4行目 「血は流れ いけどられ 私を信じなくなるだろう」 は、ブランダムールのような読み方をせずに、ne をそのまま残した訳としては、許容範囲のアレンジだろう。
山根訳について。
1行目 「フランス艦隊はコルシカに届かない」は、大乗訳と同じような問題を抱えている。
3行目 「一人残らず死ぬ 岬からの救いむなしく」 は grogne を 「岬」 と訳しているのが現代では不適切。かつて
エドガー・レオニは古フランス語で岬を意味する groing と同一視しており、山根訳の元になった
エリカ・チータムの英訳でもそれが踏襲されていたことによるのだろう。かつての通説的な読みに従った訳し方としては間違いとは言えない
4行目 「血の海を泳ぐ虜囚 きみはわたしを信じないだろう」 は、ne を残した場合に、区切り方によっては成立する。
信奉者側の見解
1656年の解釈書では、1556年1月にラ・ガルド男爵の艦隊が遭遇した困難に関する予言と解釈した。その際に、3行目の Greigne はプロヴァンス語でガレー船の意味であると主張した(ただし、LTDFには似た綴りも含めて、そのような単語は載っていない)。
テオフィル・ド・ガランシエールは、この解釈をほとんどそのまま引き写した。
同時代的な視点
ピエール・ブランダムールは、1553年8月からのフランス艦隊によるコルシカ島攻略と結びつけた。この攻略戦の序盤はフランス軍の優位で展開し、全島の占領にこぎつけたものの、ジェノヴァや教皇庁を敵に回したことで、それからまもなく制海権を失ったコルシカ駐留のフランス軍は、兵糧を断たれて苦境に立たされることになったのである。これらの事件は、1555年5月に公刊されたこの詩を書いていたであろう時点から見て、直近の情勢といえるものであった。
この解釈は、
高田勇・
伊藤進、
ピーター・ラメジャラー、
ジャン=ポール・クレベール、
リチャード・シーバースらが追随しており、実質的に定説化している。
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最終更新:2015年03月10日 16:29