百詩篇第6巻71番


原文

Quand on 1 viendra le grand roy 2 parenter 3
Auant 4 qu’il 5 ait du tout l’ame 6 rendue 7 :
Celuy qui moins le viendra lamenter 8 ,
Par lyons, d’aigles 9 , croix, 10 couronne 11 vendue 12 .

異文

(1) Quand on : Qu’on 1665
(2) roy 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1590Ro : Roy T.A.Eds.
(3) parenter : parenté 1588-89
(4) Auant : Auant le iour 1656ECL
(5) qu’il : quil 1672
(6) du tout l’ame : du iour l’ame 1649Xa, l'ame 1656ECL, du tout l’Ame 1672
(7) rendue : renduë 1597 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1656ECL 1665 1668 1716 1772Ri 1840
(8) lamenter : lamenrer 1867LP
(9) Par lyons, d’aigles : Par lyons, d’Aigles 1588-89 1627, D’Aigles, Lions 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1656ECL 1668 1672, Par Lyons, d’Aigles 1597 1600 1610 1611 1644 1650Ri 1981EB, Par Lyons, d’aigles 1653 1665, Pat Lyons, d’Aigles 1716, D’aigles, lyons 1840, Par Lyons, aigles 1867LP
(10) croix, : Croix, 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1672, Croix 1656ECL(ヴィルギュルがない), croix . 1840
(11) couronne : coronne 1557B, Couronne 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1672 1840, Courone 1656ECL
(12) vendue 1557U 1557B 1568 1588-89 1590Ro 1649Xa 1772Ri : venduë T.A.Eds. (sauf : de Rüe 1656ECL 1672)

(注記)三行目が丸ごと異なるものについては上では採録しなかった。それらは以下の通り。
  • On le verra bien tost apparenter 1594JF p.62&64 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668A 1672 1840
    • bien tost : bien-tost 1656ECL, bientost 1668P
    • apparenter : apparenté 1588-89

校訂

 3行目全体と4行目冒頭の大幅な改変はジャン=エメ・ド・シャヴィニーが広めたもので、正当性は大いに疑問である。シャヴィニーが解釈にあわせてかなり自由に原文を書き換える傾向があるのは、他の詩篇でも明らかである。
 なお、上の異文欄で示したように、その異文は1588年から1589年の粗悪なパリ版の方で先に出現していた。このことは、シャヴィニーの異文の正当性にさらなる疑問を投げかけることになるだろう。

日本語訳

その大王の葬礼を執り行おうと人々がやって来るであろう時に、
― 彼がその御霊を完全に返してしまう前に ―
それをあまり悲しむことにならないであろう者へと、
獅子たちと鷲たちを介して、十字架と王冠が売られる。

訳について

 1行目 parenter はこの詩にしか登場しない古語で、LAFには 「葬儀を執り行う」(faire des funérailles) とある。エドガー・レオニジャン=ポール・クレベールなどの論者はラテン語の parentare からという形で 「埋葬する」「(死への)最後の儀式を行う」などの意味を導く者もいるが、結論としては変わらない。
 2行目は1行目を説明しているので、行と一部の言葉の順序を入れ替えて、「その大王が御霊を完全に返してしまう前に執り行われる彼の葬礼に、人々がやって来るであろう時に」 とでもしてしまう方が、意味は理解しやすいだろう。
 問題は4行目で、さまざまな読みが想定しうる(最後の vendu の活用形は売られるものが単数であることを示しているが、こういう場合には複数の名詞を受けている可能性があることは、ピエール・ブランダムールらによってしばしば指摘されてきた通りである)。ここではとりあえず、リチャード・シーバースの読みに従ったが、「十字架の獅子たちと鷲たちのために、王冠が売られる」(ピーター・ラメジャラー)、「獅子に、鷲たち、十字架、それに王冠が売られる」(ジャン=ポール・クレベール) などの読み方もあるし、「獅子たちを介して、鷲たちの十字架と王冠が売られる」 と訳すことも可能だろう。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「大いなる王一族のところにやってくるときに」 *1 は誤訳だろう。「一族」は parenter を parent (親) にひきつけたのだろうが、活用形からはそう読めない (parente や parenté ならば、「家族」の意味がある)。
 3行目 「いまや明白となった事実を見るだろう」 は、シャヴィニーが広めた異文に依拠したものであり、現在では支持すべき理由がない。なお、その異文を採用するとしても、apparenter (縁続きになる) と apparent (明らかな) を混同しており不適切。
 4行目 「鷲とライオンと十字形の王冠とで」 はvendu (売られる) が訳に反映されていない。

 山根訳について。
 2行目 「彼が自分の魂をあきらめてしまう前に」 *2 は、rendre (rendu) を「あきらめる」と訳すことの妥当性が疑問である。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、1559年のアンリ2世の死の前後と解釈した。彼が採用した異文の場合、詩の中の「彼」は鷲、獅子、十字架などと縁続きになることが示されているが、実際、アンリ2世は息子や娘の結婚を通じて、スコットランド (獅子)、神聖ローマ帝国 (鷲)、サヴォワ公国 (十字架) などと縁戚関係を持ったが、娘たちの結婚に際して行われた馬上槍試合の怪我がもとで命を落としたのである *3
 1656年の解釈書でも1559年の出来事と解釈され *4テオフィル・ド・ガランシエールウジェーヌ・バレストによる解釈も同様であった *5

 セルジュ・ユタンはナポレオンと解釈していた *6

 エリカ・チータムは一般的な詩として、特定の事件には当てはめていなかった *7

同時代的な視点

 ジャン=ポール・クレベールは、確かに詩の情景がある程度アンリ2世の死とも結びつくことを認めているが、この詩の初出が1557年であることから採れないとした *8
 実際、暦書に掲載されたアンリ2世への献辞同じくカトリーヌ・ド・メディシスへの献辞など、1559年以前に発表されていた作品を見る限りでは、ノストラダムスがアンリ2世の死を見通せていたとは思えないので、近未来の見通しとして書いたというような想定も成り立たないだろう。

 ロジェ・プレヴォは神聖ローマ皇帝カール5世の生前譲位(1555年) がモデルではないかとした *9リチャード・シーバースピーター・ラメジャラーもこの説を採った。「皇帝」か「大王」かという些細な違いはあるし、4行目の読み方など、細部に不明瞭な点はあるが、十分に可能性はあるだろう。

その他

 1588-89の第6巻はこの詩で終了している(これらの版には正篇の第7巻以降の内容は含まれていない)。


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