百詩篇第7巻32番


原文

Du mont 1 Royal naistra d’vne casane 2 ,
Qui caue 3 , & comte 4 viendra tyranniser,
Dresser copie 5 de la marche Millane 6 ,
Fauene 7 , Florence d’or & gents expuiser 8 .

異文

(1) mont : Mont 1672
(2) casane : Casane 1672
(3) caue : Duc 1672
(4) comte 1557U 1557B 1568A 1568B 1590Ro : compte T.A.Eds.(italic(){sauf} : Compte 1672)
(5) copie : cople 1628, Copie 1672
(6) Millane : Milane 1981EB 1716
(7) Fauene : Fauence 1665 1672, Ravenne 1840
(8) expuiser 1557U 1557B 1568A 1590Ro 1840 : espuiser T.A.Eds.

(注記)1611Bでは省略されている。

校訂

 エドガー・レオニピーター・ラメジャラーは2行目の comte を compte と校訂している。実際、そう読まないと意味が通らない。

 ブリューノ・プテ=ジラールは、4行目 Florence を Flora(未作成) と校訂した。これは韻律の都合を考慮したものだろう。

日本語訳

王家の山の小屋から生まれるだろう、
地下倉と勘定を壟断しに来るであろう者が。
ミラノ辺境の軍隊を召集するために、
ファエンツァとフィレンツェで黄金も人材も使い切る。

訳について

 1行目 mont Royal はとりあえず 「王家の山」 と直訳した。文脈からすれば、イタリア語でそういう意味を持つ 「モンテレアーレ」 と意訳しても問題はないだろう。
 casaneの正確な意味は不明だが、多くの論者がラテン語 (およびイタリア語、スペイン語、ポルトガル語) の casa に由来する語としているので、とりあえずは 「小屋」 としておいた。
 4行目 Favene については、一般的に Faenza (古称は faentia) と見なされているので、ここでもそれを採った。百詩篇第3巻74番(未作成)では Favence と綴っているので、マリニー・ローズが見るように、単なる誤植 (1字脱落)だったのかもしれない。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「モントロイヤルから小屋に生まれ」 *1 は、それぞれのパーツとしてみれば一応成立するが、文章として意味不明ではないだろうか。また、イタリアの地名が頻出している詩で mont Royal をなぜ英語読みするのかも不明。
 2行目 「公爵や伯爵以上に圧制的に」 は、cave が Duc に改竄されている底本に基づいているせいもあるのだろうが、現在ではまったく支持できない。
 3行目 「彼は謀反をおこしたところで軍をおこし」 は、意味不明。「軍をおこし」 が Dresser copie の直訳だろうと見当がつくが、残りがどうして「謀反をおこしたところで」になるのか、語学的根拠がまったく分からない。
 4行目 「ファバンスとフローレンスは金と人をからにするだろう」 は、直訳としてはむしろ正しい。しかし、文脈からすれば、ファエンツァとフィレンツェを主語に取るのは不適切だろう。

 山根訳について。
 1行目 「モンテレアーレの岸より生まれよう」 *2 は、意訳の範囲として許容されるだろうが、casaneが 「岸」 となっているのは、正しいのかどうか分からない。もとはエドガー・レオニが bank と訳していたことが元になっているのだろうが、この場合の bank は 「銀行」 の方ではないのかとも思える。
 2行目 「専制君主への道を計算ずくで掘り進める者が」 は、意訳にしても強引ではないだろうか。「掘り進める」 はおそらく cave (地下倉) を強引に動詞化したのだろうが、妥当性は疑問である。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、「解釈の必要なし」という一言で片付けた *3
 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は未来の戦争の一情景と解釈した *4

 アンドレ・ラモンロルフ・ボズウェルはムッソリーニの出現と解釈していた *5

 ヘンリー・C・ロバーツは、「王家の山」を語源とするカナダのモントリオールから強大な指導者が現れる予言と解釈していた *6 。これに触発されたのか、五島勉も1974年の西丸震哉との対談で、疑問符つきではあったが、モントリオールから独裁者が現れる予言と解釈したことがある *7

 セルジュ・ユタンは総裁政府や統領政府時代の、フランス軍によるイタリア征服と解釈した *8

懐疑的な見解

 五島がモントリオールと解釈したのは、1976年のモントリオール五輪を控えた時期で、同市への注目が上がっている時流に便乗したという側面もあったのではないだろうか。実際、オリンピック終了後に出された『ノストラダムスの大予言II』や以下の続刊では、モントリオールへの言及は一切ない。

同時代的な視点

 エドガー・レオニは1行目の「王家の山」が意味するのは、そういう意味を持つイタリア地名「モンテレアーレ」ないし「モンレアーレ」とした。シチリア島にはモンレアーレがあるが、この場合はそちらではなく、フィレンツェ市内の地域名で、メディチ家の起源といえる場所だという。そしてファエンツァは当時は教皇領に属していた。つまり、ここで予言されていたのはメディチ家がかかわる何らかの事件ではないかとした *9
 この解釈は、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらもほぼ踏襲した。
 信奉者側にも、エリカ・チータムのように、レオニの読み方を盗用した者はいる(チータムは情報の出所を一切明示していない。「盗用」という表現はそうした事情による)。

 レオニの解釈でも、結局のところどのような事件が想定されていたのかがはっきりしないのは事実だが、出てくる地名を整合的に関連付けた点は評価してよいだろうし、一定の説得力を持つだろう。


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