百詩篇第5巻72番


原文

Pour le plaisir d’edict 1 voluptueux 2 ,
On 3 meslera 4 la 5 poyson dans l’aloy 6 :
Venus sera en cours 7 si vertueux,
Qu’obfusquera 8 du Soleil 9 tout aloy 10 .

異文

(1) d’edict : d’Edict 1557B 1649Xa 1656ECL 1668 1672 1712Guy, dedict 1627 1653 1665
(2) voluptueux : Voluptueux 1712Guy
(3) On : Oo 1627
(4) meslera : mslera 1611B
(5) la : le 1589Rg 1656ECLa 1712Guy 1716
(6) l’aloy : la loy 1588-89 1594JF(p.232) 1656ECL 1668 1840, la Loy 1605 1628 1649Xa 1672 1712Guy, la foy 1597 1600 1610 1611 1627 1644 1650Ri 1653 1981EB 1665 1716
(7) cours : Cours 1656ECL
(8) Qu’obfusquera : Qu’ofusquera 1590Ro, Qu’offusquera 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1656ECL 1665 1668 1712Guy, Qu’obsusquera 1605, Qu’obfnsquera 1627
(9) du Soleil : du soleil 1568A 1568B 1568C 1588-89 1590Ro 1981EB, Soleil 1600 1610 1716, le Soleil 1627 1644 1650Ri, le soleil 1653 1665 1840
(10) aloy : à loy 1568I 1590Ro 1597 1600 1610 1611 1627 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1981EB 1665 1716, a loy 1605 1628, à soy 1840

(注記)ECL は p.117とp.163に登場しているが、1箇所だけ些細な食い違いがあるため、前者を ECLa としている。

校訂

 ピエール・ブランダムールジャン=ポール・クレベールは特に校訂していない。
 2行目 l’aloy について、エヴリット・ブライラーは後代の版にある la loy を支持している。ピーター・ラメジャラーは2003年の段階で疑問符つきで la foi とし、2010年には疑問符なしに faith と英訳している。faith という英訳はリチャード・シーバースの著書にも見られる。
 4行目 aloy について、ブリューノ・プテ=ジラールは後の版にある à loy を支持している。

日本語訳

享楽的な王令の望むところのせいで、
品位に毒が混ぜられるだろう。
ウェヌスが流通においてあまりにも力強くなるだろうから、
太陽の品位をことごとく暗くするだろう。

訳について

 1行目 plaisir について、現代フランス語では普通 「喜び」 の意味だが、一部の成句に残るように、「望み」「意図」などの意味があり、クレベールはその意味に解釈している。エドガー・レオニピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらはいずれもそのまま pleasure と英訳しているが、その語の示す範囲も広い。
 2箇所の aloy(未作成) はひとまず 「品位」 と訳した。「金位」 と訳すことも可能で、ピエール・ブランダムールらの読みに従うならそうすべきだろうが、より中立的な訳を採った。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 3行目 「金星は大いなる需要のもとにあって」 *1 は、元になっているはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳をほぼそのまま転訳したものだが、「需要」(request) の根拠が不明。
 4行目 「太陽の混ぜものすべてを暗くするだろう」 は、aloi に 「合金」 の意味もあるので 「混ぜもの」 は一応理解できないこともない。

 山根訳について。
 2行目 「毒が法に混入されよう 宮廷で」 *2 は、前半は la loy で校訂した結果としても、最後の 「宮廷で」 はおそらく3行目の en cours を訳した結果だろうから、2行目にあるのは不自然。また、cours (流れ) と cour (宮廷) は別で、宮廷の意味ならここで複数形にする必然性が分からない。
 4行目 「太陽の栄光 ことごとく翳りをおびよう」 は元になったはずのエリカ・チータムの英訳をそのまま転訳したものだが、aloy が 「栄光」 となる根拠が不明。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、前半を1576年5月の王令の予言とした *3 。これは第5次ユグノー戦争を終わらせたボーリュー王令のことで、プロテスタント側の礼拝の自由などを認めたものだった。カトリックだったシャヴィニーは、それが 「法」(聖なる法=キリスト教) に 「毒」(=プロテスタント) を混ぜるものであったと解釈した (彼は2行目の 「品位」 aloi を 「法」 la loy としている)。後半については、当時の宮廷が享楽にふけり、君主の世評が翳ったことと解釈した。

 1656年の解釈書バルタザール・ギノーも、それぞれ時期は違うが、ユグノー戦争期に出されたプロテスタントに融和的な王令についてとした *4
 1656年の解釈書からの引き写しが多いテオフィル・ド・ガランシエールは、この詩については漠然とした解釈をつけるにとどめており、プロテスタントや寛容王令とは結び付けていない *5

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの解釈に類似しているのはアナトール・ル・ペルチエも同じだが、彼の場合は1577年9月 *6 のポワチエ王令 (ナントの王令の土台のひとつとされることもある、プロテスタントに融和的な王令) と結びつけた。後半が退廃的な国王アンリ3世の宮廷についてとする点は、シャヴィニーとほとんど変わらない *7
 この解釈は、チャールズ・ウォードジェイムズ・レイヴァーエリカ・チータムネッド・ハリーらが踏襲した *8

 セルジュ・ユタンはルイ14世の治世についての予言とした *9

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールはこの詩の後半について百詩篇第4巻30番百詩篇第6巻23番などと関連付け、ウェヌスは銅の、太陽は黄金の比喩とした上で、貨幣価値の下落のモチーフであるとした *10ジャン=ポール・クレベールも同じような読み方であった。

 これに対し、ロジェ・プレヴォはドイツでトマス・ミュンツァーらが蜂起した1524年には、フランス各地でもプロテスタントの運動が盛り上がっていたことが影響しているとした *11
 ピーター・ラメジャラーは1535年のクシー王令 (檄文事件に端を発したプロテスタントへの迫害を停止し、亡命者の帰還も許した) がモデルと判断した *12

 当「大事典」としては、貨幣下落がモデルになっていると考える方が自然だろうと考える。しかし、仮にプロテスタントに対する宥和的な王令を描写したものだとしても、ラメジャラーが示したように、ノストラダムスがこの詩を書く以前にも宥和的な王令は存在していたので、信奉者らのようにノストラダムス死後の事件を的中させたと考える必要はないだろう。


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