超ミステリーの嘘99

 『 超ミステリーの嘘99 』 は、双葉社が2009年に刊行したコンビニ本 (コンビニなどで売られたペーパーバック版) である。編者は東京怪奇現象研究会。表紙には 「写真210点収録!! 徹底検証で暴かれたヤラセ捏造疑惑!!」 とある。


【画像】 『超ミステリーの嘘99』 表紙

内容

  • 第1章 UFO & エイリアンミステリーの真相 (30項目)
  • 第2章 未確認動物UMAの真相 (17項目)
  • 第3章 「歴史を変えるタブー」 オーパーツの真相 (13項目)
  • 第4章 超能力・終末予言の真相 (17項目)
  • 第5章 日本史ミステリー&秘密結社の真相 (12項目)

 基本的に見開きの2ページ分で1項目が解説される形式になっているが、1ページ目が解説、2ページ目が画像になっているので、各項目の掘り下げはそれほど深いとはいえない。

ノストラダムス関連

 第4章の最初の項目が 「『ノストラダムスの大予言』は複雑な散文形式 原文を読めばなんとでも解釈可能なポエムだった!!」 (pp.138-139) となっている。
 まず、恐怖の大王の解釈が多様であったことを紹介した上で、的中例として百詩篇第1巻81番がチャレンジャー号爆発の予言とされることがあることに言及する一方、細部に合致しない点があることを説明し、ノストラダムスの予言は 「所詮は意味不明なポエム」 と結論付けている。

コメント

 当「大事典」の性質上、ノストラダムスに絞ってコメントする。
 実質的にわずか1ページの解説というせいもあるのだろうが、懐疑論として質の高いものとは言えない。見出しからして 「散文形式」 というのが意味不明である。ノストラダムスの予言は基本的に四行詩である (1行10音節の交差韻という原則を持っている) ので、それは散文ではなく 「韻文」 である。見出しに 「ポエム」(詩) という 「散文形式」 と矛盾する (文学類型として散文詩というものもあるが、ノストラダムスの詩はそうではなく、著者自身も文中で 「四行詩」 と明記している) 表現があることからしても、著者は散文と韻文の区別がついていないのではないかと思われる。

 ノストラダムスの予言が的中しているとする見解には、当「大事典」 も大いに批判的ではあるが、反面、ブリューノ・プテ=ジラール(パリ大学教授)、リチャード・シーバース(ニューヨーク大学教授)といったまともな仏文学者たちによる文学作品としての再評価も行われている作品について、散文と韻文の区別もつかない論者が 「所詮は意味不明なポエム」 と結論付けるのは、自身の無知をさらしているだけではないだろうか。

 この本では、チャレンジャー号の解釈として 「カッパ、テータ、ラムダ」 に言葉を補い、アメリカのサイオコール (チオコール) 社を導く例が紹介されている。確かにその解釈はジョン・ホーグなどが展開し、英語圏ではそれなりに知られていると思われるが、日本の信奉者でこの解釈をした論者はいなかった。では、なぜそんな日本でマイナーな解釈を紹介したのかといえば、おそらく参考文献欄に挙げられているロバート・キャロルの 『懐疑論者の事典』(楽工社) から安易に転用したのだろう。キャロルの懐疑論は英語圏のものなので、事例紹介も日本ではなくアメリカで知られている例が挙げられているからだ。このことからすると著者は、日本のノストラダムス現象について、ろくに調査していないのではないかと疑わせる。


【画像】 『懐疑論者の事典・下』

 書名を『諸世紀』としているのも、すでに五島勉などさえもこの題名を使わなくなっているだけに、著者のリサーチ不足を示しているように思われる。

 懐疑論の趣旨自体は、「どうとでも解釈できる」 というものに過ぎず、ノストラダムス予言への批判としてはなんら目新しいものではない。
 いたずらにノストラダムス予言を持ち上げて読者を怖がらせる本に比べれば、まだましなのかもしれないが、安易な懐疑論はむしろ信奉者側の 「ほら、懐疑派はこんなお粗末な批判しかできない」 というような反論を招き、きちんとした懐疑的視点を根付かせる上では、かえって有害になりうるようにも思われる。

再版

 2013年4月に双葉社の双葉新書の1冊として、『オカルトまゆつば論』 の題名で再版された。著者は中井和志となっており、コンビニ本のときの編者と名義が違うが、著者略歴によると 「オカルト情報を科学的に分析する『東京怪奇現象研究会』を主宰」 とある。

 ノストラダムスについては「『ノストラダムスの大予言』は複雑な散文形式のため、どうとでも解釈可能だった!!」(pp.142-143) に収録されている。題名が少し変わっているように、「ポエム」 という語が見出しからも文中からも消えている。しかし、その結果、結論部分が 「所詮は意味不明な散文にすぎないのである」 に変わっていて、あいかわらず散文と韻文の区別がついていないことをうかがわせる。

 内容的にはコンビニ本のバージョンと変わらないので、立論そのものの問題点や疑問点はそのままである。


【画像】 『オカルトまゆつば論』 カバー表紙

外部リンク



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