ノストラダムス研究史 (伝記研究)

  ノストラダムスの伝記研究の歴史 について概観する。
 「ノストラダムスとは何者か」 を考えるとき、彼の生涯を実証的に裏付けてゆく作業は欠かせない。しかし、それが本格化したのは20世紀半ばになってからのことであった。

伝説の形成

 ノストラダムスについての最初の評伝はジャン=エメ・ド・シャヴィニーの 「ミシェル・ド・ノートルダム師の生涯に関する小論」 だろう。これは彼の著書 『フランスのヤヌスの第一の顔』(1594年) に収録され、17世紀以降の『予言集』 の多くの版に再録されたことで、そこに描かれたユダヤ系の名家に生まれ、医師としても予言者としても絶大な成功を収めたノストラダムスの生涯や人物像が、大いに広められた。
 断片的な情報ではあったが、ノストラダムスの実子セザール・ド・ノートルダムの『プロヴァンスの歴史と年代記』(1614年) も、ノストラダムスについての情報を提供した。


【画像】 『故ミシェル・ド・ノートルダム師の占筮に関するシャヴィニー殿の解説』復刻版。『フランスのヤヌスの第一の顔』の部分的な再版。

 17世紀になると、匿名の解釈書 『ミシェル・ノストラダムス師の真の四行詩集の解明』(1656年) が、フロランヴィルの領主との「城豚と黒豚の話」 など、後の多くの文献に引き写される伝説を収録した。
 18世紀には、ノストラダムスの姪の孫にあたるパラメド・トロン・ド・クドゥレ(未作成)が手稿 『ミシェル・ノストラダムスの物語の要約』(18世紀初頭) *1 を執筆し、シクストゥス5世との出会いのエピソードなどを紹介した。また、同時期の作家ピエール=ジョゼフ・ド・エーツによる 『ノストラダムスの生涯』(1711 / 1712年) には、ノストラダムスが古代ユダヤの失われた十支族のひとつであるイッサカル族の末裔であるとする系譜が語られるなどした。
 こうした伝説的なノストラダムス像の形成にとって欠かせなかったのが、匿名の伝記 『ミシェル・ノストラダムスの生涯と遺言』(1789年) である。これはエドム・シャヴィニーという実在しない人物の手稿などに基づいたと主張する怪しげな伝記だが、エドムの名がしばしばジャン=エメ・ド・シャヴィニーと混同されたためか、シャヴィニーの著書として誤って紹介した文献もしばしば見られた。この文献において、「若き占星術師」 と仰がれていたという学生時代や、パリ滞在中の迷い犬を発見した話などが登場した。

 19世紀においてはウジェーヌ・バレストの『ノストラダムス』(1840年) が、手稿であったトロン・ド・クドゥレの伝記からもエピソードを再録するなどした。シクストゥス5世のエピソードを実質的に広めたのは、バレストといってよいであろう。

実証的研究のはじまり

 こうして伝説的なノストラダムス像は時代を追うごとに膨らんでいった。
 1930年代には伝記作家のジャン・ムーラとポール・ルーヴェによる 『ノストラダムスの生涯』(1930年) や、ラブレー研究でも知られたジャック・ブーランジェの 『ノストラダムス』(1933年) などが刊行されたが、それらにはまだ伝説的色彩も多く残されていた。
 ブーランジェの紹介にかなりの程度依拠している渡辺一夫の「ある占星師の話」(1947年) は日本最初のノストラダムスの評伝といえるが、上記のような事情から、伝説的要素が十分に排除されてはいない。

 前後する時期に、実証的な伝記研究に先鞭をつけた人物が現れた。サン=レミ=ド=プロヴァンスに移り住んだ精神科医エドガール・ルロワである。ルロワは郷土史にも関心を持ち、サン=レミとゆかりの深い人物として、ノストラダムスや画家ゴッホについて調査するようになった *2 。ことにノストラダムス研究においては、サン=レミや周辺の自治体の古文書館に残る史料を丹念に調査し、ノストラダムスやその一族についての実証的な姿を明らかにした。
 ルロワは数多くの論文を残したが、たとえば 「ノストラダムスの諸起源」(1941年) *3 では、ノストラダムス一族が伝説的な学識者の名門などではなかったことが明らかにされた。また、1960年の論文 「ノストラダムスの曽祖父ジャン・ド・サン=レミ」 *4 は、題名の通り、曽祖父ジャン・ド・サン=レミについて検討したものだが、ノストラダムス幼年期の教育係とされたジャンについて、史料によって裏付けられるのがどのような生涯であったのかを明らかにし、ノストラダムスが1歳になるかならないかのうちに没していた (=つまり教育係をつとめたとは考えられない) ことが確認された。
 ルロワはまた、古文書での実証だけでなく、地元サン=レミの精神科医という利点を活かし、ノストラダムスの詩篇には、幼年期の記憶、すなわちサン=レミの景色や近隣のグラヌム遺跡と一致するモチーフが存在することを初めて指摘した。ルロワの指摘のすべてが現在の実証的な研究で支持されているわけではないが、百詩篇第4巻27番百詩篇第5巻57番についてはほぼ定説化しているといってよい。

 ルロワは生前に多くの論文を発表したが、本としてまとめられることはなかった。しかし、ルロワの娘の尽力などにより、1972年に『ノストラダムス、その起源、生涯、作品』 として結実し、1993年にも再版された。これはノストラダムス伝記研究の基本文献というべきもので、たとえば、志水一夫が自身の新発見と主張していた逢い引きを見抜いた話の出典にしても、志水よりも先にこの本の中で指摘されている。

 ルロワの伝記研究、特に先祖の系譜について重要な補完をおこなったのがウジェーヌ・レー(未作成)である。彼は1968年の論文 「ミシェル・ド・ノートルダムの父系の先祖」 *5 にて、ルロワが見落としていた古文書の掘り起こしなども行い、ルロワが明らかにしていた系譜を拡充した。たとえば、ほとんど名前しか明らかになっていないが、ルイピエールというノストラダムスの2人の弟の存在は、レーの研究で明らかになったものである (前述のルロワの著書では、編者による補記の中で言及されている)。

新文書の発見と研究

 ウジェーヌ・レーのもうひとつの貢献は、ノストラダムスの往復書簡のうちBN ms. Lat. 8592について、最初のまとまった紹介を行なったことである。彼の論文 「ミシェル・ド・ノートルダムの往復書簡断片の概要」(1961年) *6 は、重要な書簡の全訳とそれ以外の書簡の要約から成っており、この分野での先駆的業績となった。

 体系的な分析と紹介を行なったのがジャン・デュペーブで、彼の著書 『ノストラダムス : 未公刊書簡集』(1983年) は、BN ms. Lat. 8592のすべての書簡のラテン語原文の転記とフランス語による要約が収録されており、この問題を考える上での基本文献となっている。
 書簡の研究は、ノストラダムスのこまごまとした生活状況のいくつかを明らかにしたほか、ノストラダムスの宗教観などに関して、公刊された文献とはまた別の側面を明らかにした。
 秘書ジャン=エメ・ド・シャヴィニーに関する様々な伝説に再考を迫った点でも重要である。シャヴィニーの伝記研究については、特にベルナール・シュヴィニャールが体系的に展開し、その成果の主要部分は『ノストラダムスの予兆集』(1999年) にも収録された。

 1990年にはルロワやデュペーブの研究成果に、自身の現地調査を交えたジェイムズ・ランディ(未作成)の『ノストラダムスの仮面』 が公刊され、そうした研究が英語圏に広まることに貢献した。日本では竹下節子による伝記『ノストラダムスの生涯』(1998年) に、ルロワ、デュペーブ、ランディらの研究が取り込まれている。竹下の著書には、1990年代になって発見されたというノストラダムスの最初の結婚に関する史料への言及もあり、アンリエット・ダンコスの名前がはじめて明らかにされた。


【画像】 ジェイムズ・ランディ 『ノストラダムスの仮面』

 英語圏では、ピーター・ラメジャラーがノストラダムス生誕500周年に際し、『知られざるノストラダムス』(2003年) を著すなど、実証的なノストラダムス像の構築に意欲的である。

一族の研究

 ノストラダムス一族の中でも、実弟ジャン・ド・ノートルダムや実子セザール・ド・ノートルダムに関する文学的な検討も行われるようになっている。

 ジャンについては、ジョゼフ・アングラードによる先駆的な研究が20世紀初頭に存在していたが、それに続く研究はあまり見られなかった。しかし、ジャンの作品を主題とする博士論文をまとめたジャン=イヴ・カザノヴァのように、新しい研究も出現している。


【画像】 カザノヴァ 『16世紀プロヴァンスにおける史料編纂と文学 : ジャン・ド・ノートルダムの作品』

 セザールについては、テレンス・ケイヴの著書 『1570年頃から1613年のフランスにおける信心深い詩』(1969年) の第7章で詩人としての分析が行われており、ケイヴは翌年に 「セザール・ド・ノートルダムの信心深い詩における画法と情熱」 *7 という論文を発表し、画家としての側面との関連も考察した。
 画家セザールについての研究は少ないが、ジャン・ボワイエによる 「16世紀における2人の忘れられた画家 : エチエンヌ・マルテランジュとセザール・ド・ノートルダム」(1972年) *8 が発表されている。


【画像】 テレンス・ケイヴ 『1570年頃から1613年のフランスにおける信心深い詩』

 セザールの詩作品については、断片的に復刻なども行われていたが、2001年にはついにドローズ社の「フランス文学テクスト」叢書の1冊として、ランス・ドナルドソン=エヴァンス編纂による校訂版 『霊的作品集』 が刊行された。父であるミシェル・ノストラダムスに続き、息子セザールの作品もまた、文学的研究の対象として権威ある叢書に加えられたのである。


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