ノストラダムス研究史 (著作研究)

  ノストラダムスの著作についての研究史 を概説する。

 ノストラダムスの 『予言集』 について、信奉者たちはその原文や発音に様々な暗号が隠されていると主張してきた。そうであるならばなおさらのこと、しかるべき学識に基づく作品の校訂が求められるはずだが、そうした研究は長いあいだ寂れたままであった。

 最も知られた『予言集』でさえそうなのだから、他の作品に対する研究についても、あまり充実したものであったとは言いがたい。

『予言集』の校訂

 『予言集』は非常に多くの版が刊行されてきただけに、細かい異文も相当な数にのぼる。これに対する実証的な研究が棚上げにされていたのにとどまらず、16世紀から17世紀にかけての初期の解釈者たちは、自身の解釈に合わせて原文を改変することがしばしばあり、それらが 『予言集』 の後の版に引き写されて異文が増えるという有様であった。
 後の時代への影響が大きかった異文の生み出し手としては、『フランスのヤヌスの第一の顔』(1594年) を執筆したジャン=エメ・ド・シャヴィニーや、『ミシェル・ノストラダムス師の真正なる四行詩集の解明』(1656年) を著した匿名の人物などが挙げられる。

 19世紀になると、ウジェーヌ・バレストは初版収録分については『予言集』初版を忠実に転記し、残りについては17世紀の版を用いるという形で、信頼性の高い原文を提供することに配慮した。もっとも、彼自身は17世紀の版としては、1605年版ピエール・シュヴィヨ版に基づくと主張していたが *1 、原文の特色からはより後の時期の信頼性の低い版を用いた可能性が高いため、あまり額面どおりに捉えることは出来ない。それでも、原文の信頼性に配慮した初期の事例として評価できるだろう。

 複数の版の校合を本格的に展開したのはアナトール・ル・ペルチエである。彼の著書 『ミシェル・ド・ノートルダムの神託集』(1867年) では、1558年から1566年のピエール・リゴー版を底本とされ、1568年ブノワ・リゴー版の異文が示されている。
 それらの版は実際には17世紀初頭のピエール・リゴー版と、18世紀末の偽ブノワ・リゴー版にすぎないものであり、信頼性という点ではいささか難がある版ではあったが、書誌研究が十分でなかった時代における校合としては、十分に誠実にまとめられたということが出来るだろう。

 ル・ペルチエの次に注目すべき校訂版は、エドガー・レオニの『ノストラダムス:生涯と文学』(1961年) である。彼はピエール・リゴー版にかなり依拠しているという問題点はあるものの、1643年クロード・ガルサン版など、あまり参照されることのない版も取り入れて校合した。
 エヴリット・ブライラーは『ノストラダムスの予言と謎』(1979年) において、百詩篇第4巻53番まではウジェーヌ・バレストが転記した1555年版、百詩篇第7巻40番までは1557年11月3日版、それ以降は17世紀のデュ・リュオー版を使い分ける形で、底本の信頼性にもある程度配慮しつつ、自らの学識に基づいて校訂を試みた。

 その後、次に特筆すべきものは、現時点で最良の校訂版であるピエール・ブランダムールの『初期の百詩篇集すなわち(1555年マセ・ボノム版)「予言集」』(1996年) である。これは初版収録分のみを対象とするものではあったが、数多くの版との校合を行いつつ原文を校訂し、釈義 (現代フランス語による平易な言い換え) や語釈も含めた様々な注釈を加えたものであり、予言詩のモチーフにリシャール・ルーサや『ミラビリス・リベル』といった同時代の予言的言説や様々な西洋古典からの借用が含まれていることを指摘したほか、同時代の事件や風聞に題材を採ったと思われる詩があることを示すなど、16世紀フランス史の文脈から手堅い研究を展開した。これを超える校訂版は今のところ登場していない。
 ブリューノ・プテ=ジラールの『(ノストラダムス)予言集』(2003年)、リチャード・シーバース訳『予言集』(2012年) などは、初版収録分に関してはブランダムールの校訂をそのまま受け入れているし、ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールらの校訂にもかなりの影響を与えている。
 ノストラダムスに関する研究で博士号を取得したアンナ・カールステット(未作成)も、博士論文を書籍化した 『ノストラダムスの神託的詩歌』 では初版収録分を対象とし、モチーフの分析もさることながら、同時代の詩人との文体の比較を丁寧に行うことで、内容分析に比べて十分な蓄積がなされてこなかった文体論研究の分野にも貢献している。カールステットのその著作はフランス語で書かれたものだったが、2008年には共訳書 『1555年版予言集』 を刊行し、スウェーデン語で対訳と注釈をつけている。

 百詩篇第4巻54番以降については、残念ながら未だに信頼性の高い校訂版は存在しない。それに近いと言えそうなのは、ラメジャラーの『ノストラダムス・解説された予言集』(2003年) と、クレベールの 『ノストラダムス予言集(1555年 - 1568年)』(2003年) であろう。


【画像】 ラメジャラー 『ノストラダムス・解説された予言集』

内容分析

 ノストラダムスの予言詩に歴史的事件や同時代の他の作品を借用した描写が少なからず含まれているという仮説は、現在の実証的な論者にとって定説化しているといってよい。
 ノストラダムスの予言詩を歴史的文脈において解釈するという視点は、匿名の論文 「ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡」(1724年) に見ることが出来たが、当時、その認識は広く共有されるには至らなかった。

 実証的な内容分析に先鞭をつけたのはジョルジュ・デュメジルとされる。
 デュメジルはその著書 『「灰色をまとった黒き修道士がヴァレンヌに」 ノストラダムスの茶番劇』(1984年) において、ヴァレンヌ事件の予言とされる百詩篇第9巻20番についての思考実験的な解釈を示す一方で、それとはまったく別の予言詩群に、古代ローマのティトゥス=リウィウスの作品に題材をとっているらしき描写があることを指摘した。


【画像】 デュメジルの著書の英語版

 のちに古代ローマ史と予言詩の比較分析を展開したジル・ポリジ(未作成)は、デュメジルの指摘を研究史上の転換点に位置づけていたし、エルヴェ・ドレヴィヨンたちは、もっと露骨に 「結局のところ、長い間崇拝と軽蔑が対立してきた戦場から『予言集』を救い出すためには、デュメジルがもつ権威が必要だったのである」 と評していた *2 。これは要するに、ノストラダムス研究という学術的にキワモノ扱いされていた主題が、デュメジルの参入によって、正当に評価されることへの道に置かれたということである。
 1980年代には、ノストラダムスの存命中におきた歴史的事件の数々と 『予言集』 を対応させたユニークな伝記 『ノストラダムスの生涯』(1986年) を、ルイ・シュロッセがまとめている。ヴァレンヌ事件の予言とされた百詩篇第9巻20番に全く異なる光を当てたシャンタル・リアルツォの論文 「道案内に従ったノストラダムスの諸予言」(1986年) も同じ年の公刊であった。

 前述のように様々な出典を推測する試みの中では、ピエール・ブランダムールの『初期の百詩篇集すなわち(1555年マセ・ボノム版)「予言集」』(1996年) がきわめて重要なものであり、初版収録分以外の予言詩についてはブランダムールの 『愛星家ノストラダムス』(1993年) に見ることが出来る。
 ブランダムールをある程度参照しつつ、歴史的出典の拡充によってそうした解釈に影響を及ぼしたテクスト分析としては、ロジェ・プレヴォの『ノストラダムス : 神話と現実』(1999年) を挙げることが出来る。

 前出のラメジャラーやクレベールの著書は、そうした研究成果を踏まえ、さらに独自の出典調査を加えている。ラメジャラーはアカデミック・ポストに就いていないが、その (信奉者側から実証的分析へと転向した後の) 研究はニューヨーク大学教授の仏文学者リチャード・シーバースの対訳においても重要な参照元のひとつになっており、十分に学術的検討に耐えうる水準といってよいだろう。


【画像】 シーバースの仏英対訳

用語集

 『予言集』の用語をまとめた用語集の作成は、ル・ペルチエの前掲書に見られる。彼の用語解説には信奉者寄りの、現代では支持されていない読み方も多く含まれるが、ブリューノ・プテ=ジラールの著書にも一部取り入れられているように、一定の支持はされている。

 まとまった辞書としてはミシェル・デュフレーヌの『ノストラダムス辞典』(1989年) や、マリニー・ローズの『ノストラダムスの予言的著作群の辞典』(2002年) などがある。後者は信奉者的な語釈も散見され、全面的に依拠できるものではないが、リヨン大学に提出された博士論文の付録だったものである。

暦書の研究

 『予言集』に比べ、年刊の暦書や占筮についての研究が立ち遅れてきたことは否めない。
 20世紀初頭にエクトール・リゴーが自身の蔵書に基づいていくつもの暦書の復刻版を刊行しており、特に『ノストラダムスの未公刊の手稿の忠実な再版』(1906年) は、現存状況が不明の手稿の復刻であって重要だが、リゴー自身は暦書の類についての分析を公刊することはなかったようである。

 英訳版『1559年向けの占筮』の影印版は1969年に刊行されているが、これは古い英語文献を復刻しようという叢書のひとつにすぎず、ノストラダムスの作品であるからという観点で復刻されたわけではない。

 ピエール・ブランダムールの『愛星家ノストラダムス』は、予兆詩の分析などでも興味深い指摘がいくつもあるが、やはり暦書および予兆詩集に関しては、ベルナール・シュヴィニャールによる研究 『ノストラダムスの予兆集』(1999年) が最も充実したものといえるだろう。これは1550年から1559年までの散文の予兆と、すべての予兆詩の校訂を行なったものであり、以降の 「予兆」 研究において最重要の基礎をなすといって過言ではない。ただし、1560年以降の暦書に収録された散文の予言に関する分析は対象外となっており、その部分に関するまとまった研究は今なお見られない。

化粧品とジャム論

 『化粧品とジャム論』に関しては、過去に幾度も復刻されており、その中にはニース大学名誉教授ジャン=ミシェル・ドヴォーによる復刻なども含まれる。ただし、多くは後半のジャム論 (菓子論) に焦点が当てられており、前半についてはあまり研究の蓄積があると思えない。

ガレノスの釈義

 ガレノスの釈義について簡略に触れた論者は複数いるが、まともに論じたのはジャクリーヌ・アルマン(未作成)の論文 「ホラポロからガレノスへ : 医師・哲学者・翻訳家ノストラダムス」(2000年)、およびパトリス・ギナール(未作成)がインターネット上で公開しているいくつかの論文くらいしかないものと思われる。

オルス・アポロ

 ホラポロの 『ヒエログリュピカ』 をノストラダムスが韻文訳した手稿『オルス・アポロ』は、ピエール・ロレによる復刻版(1968年)が古典的研究といえるものだろう。しかし、それ以外となると、ブランダムールの 『愛星家ノストラダムス』や前述のアルマンの論文など、ノストラダムス関連文献での言及はきわめて限定的なものとなる。

 むしろ、ロベール・オーロット 「イタリア経由のフランスにおけるエジプト論 : 16世紀におけるホラポロ」(1980年) やクロード=フランソワ・ブリュノン 「ある読解の解読 : ノストラダムスとホラポロ」(1984年) など、ホラポロ研究の専門家たちによって分析されてきた。
 日本でもホラポロ研究はわずかにあり、『ヒエログリュピカ』の全訳も存在しているが、そこでノストラダムスが言及されることはない。


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