1980年代の日本のノストラダムス現象


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 この項目では 1980年代の日本のノストラダムス現象 について扱う。

概況

 田窪勇人は日本のノストラダムス現象の第二期を1979年からとしている *1 。この区切り方は妥当なものであるが、その幕開けとして位置づけられている五島勉の『ノストラダムスの大予言II』は、1979年の年末 (奥付では12月5日) となっているので、実質的な影響力の伝播は1980年以降のことであろう。『ノストラダムスの大予言II』の公称発行部数は少なくとも90万部以上となっており、以降のシリーズも含め、一定以上の影響力を持ったことは疑いない。
 別のものに関するゆがんだ受容が広まったのもこの時期であり、新興宗教での利用にもつながっていく。新興宗教ということでいえば、のちにオウム真理教にも影響を及ぼす川尻徹がデビューし、旺盛に関連書を刊行したのは1980年代半ば以降のことである。

 また、レニ・ノーバーゲン、ダニエル・ルゾー(ダニエル・ルソ)、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌエリザベート・ベルクールエリカ・チータムクルト・アルガイヤーといった海外の解釈者たちの文献が次々に翻訳されたのも1980年代である。

 ただし、1990年代初頭のブームを 「再ブーム」(第二次ブーム) と位置づけていた新聞もあったように *2 、1980年代にブームがあったという認識が一般に共有されているといえるのかは、断定しがたいものがある。五島勉の『大予言』シリーズという巨木が成長する中で、それが撒き散らした種子が広範囲に根を張り、1990年代初頭に芽吹くための準備をしていた期間と見ることもできるのかもしれない。

 他方で、子供たちの間では、この時期にもノストラダムスに関する噂話は着実に広まっていた。それがどこまで真剣に受け止められていたかに個人差はあるだろうが、1976年生まれのジャーナリスト、安藤健二は、「実は私も小学生の頃、99年には全面核戦争になると信じて疑わなかった」とし、当時の連載漫画 『飛ぶ教室』(ひらまつつとむ) のインパクトが強かったことなども引き合いに出しつつ、「私の世代にとって、核戦争の恐怖はいつも、ごく身近にあった。99年には23歳。大学を出たあたりか。ちょうどこれからっていう時期に死んじゃうなんて・・・・・・と将来、不遇な死を遂げるはずの自分を想像して泣きたくなったこともある」 *3 と述懐しているように、深刻に受け止めた者たちもいた。
 1990年代初頭のブームもまた若い世代が中心だったとされるが、それには、1980年代に醸成されていた下地も影響しているのではないかと思われる。


【画像】 ひらまつつとむ 『飛ぶ教室』 全2巻セット

 以下、各種のトピックをより詳しく見ていくこととしよう。

『ノストラダムスの大予言』シリーズ

 1980年代のノストラダムス現象の実質的な幕開けは、1970年代最後の年に刊行された五島勉の『ノストラダムスの大予言II』である。これは1970年代の刊行とはいえ、その奥付は1979年12月5日となっており、1980年度のベストセラー総合第3位にランクインした。1979年は前年からの第二次石油危機、アメリカのスリーマイル島原発事故、年末のソ連軍のアフガニスタン侵攻と、読者の不安を掻き立てる題材には事欠かなかった年といえる。


【画像】 『ノストラダムスの大予言II』

 はらたいら の風刺漫画 「はらたいらのウィークエンダー(108) ノストラダムスの予言」 (『週刊明星』1980年3月30日号、pp.110-113) では直接的に五島の本に言及されているわけではないが、そのタイミングでノストラダムスが題材にされたこと自体に、『大予言II』 も一定以上の話題となったことが垣間見えるのではないだろうか。

 『大予言II』 が与えた影響としては、まず「別のもの」の存在がある。五島が『大予言II』で「ブロワ城の問答」とともに打ち出した 「別のもの」 による救済は、日本の新興宗教にノストラダムスが援用される理由となり、多くの宗教団体やオカルト関係のグループが自分たちこそ 「別のもの」 であると主張する契機となった。
 宗教団体によるノストラダムス予言の利用が目立ち始めるのも、1980年代のことである *4 。たとえば、阿含宗の管長である桐山靖雄の 『一九九九年カルマと霊障からの脱出』 の刊行が1981年、幸福の科学主宰(のち総裁)の大川隆法の『ノストラダムスの新予言』の刊行が1988年のことであった。また、真偽は不明だが、五島勉はのちに 『ノストラダムスの大予言IV』 において、様々な人々から 「これこそが『別のもの』だ」 という手紙が送られてきて、その中には宗教やオカルトに類するものも多かったと主張していた *5

【画像】 桐山靖雄 『一九九九年カルマと霊障からの脱出』

 2つ目が解釈の多様化である。五島の 『大予言』初巻の時点では、アナグラムを一切使わなかったが、『大予言II』になると、従来の信奉者がアナグラムを使っていなかったような語句まで手当たり次第にアナグラムをしだすようになった。過去の的中例の紹介はごく限定的となり、未来予測のために様々な解釈を繰り出すその著作は、日本人研究者たちが積み上げていく解釈ゲームの起点になったと指摘されており *6 、のちのノストラダムス本のフォーマットが出揃っているとも評されている *7

 3つ目が黙示録の十字の存在を広めたことだろう *8 。1999年のグランド・クロス自体は五島が言い出した話ではないが、公称90万部以上といわれるこの本の副題となり、大々的に紹介されたことが、その説の伝播に大きな影響をもたらしたと考えるのはごく自然なことであろう。同じく、桜井邦朋が1976年に主張したハレー彗星の再来時 (1986年) に災厄が重なるという説も取り込んでいる (ハレー彗星については『大予言III』で、いっそう詳しく論じられている)。

 五島は、1977年頃までは『ノストラダムスの大予言』(初巻) への加筆・改訂を繰り返していた形跡が見て取れるが *9 、『大予言II』 の刊行以降、旧作の改定ではなく、新作の刊行に重点を移すようになる。結果、『ノストラダムスの大予言III(未作成)』 は1981年、『ノストラダムスの大予言IV(未作成)』 は1982年、『ノストラダムスの大予言V』 は1986年に刊行され、初巻と 『大予言II』 の間が6年間あいていたことに比べると、かなり短期間で矢継ぎ早に繰り出されることになる。『大予言V』の時点で 「完結」 と銘打っていたが、翌年にはあっさり『ノストラダムスの大予言スペシャル・日本編』が刊行された。

 1980年代の続巻で注目すべき点としては、陰謀論の色彩が濃くなることが挙げられる。 『大予言III』 ではユダヤ陰謀論を打ち出し、五島は、ノストラダムスがカトリーヌに対し 「ユダヤの呪い」 の存在をほのめかしたという実証的に裏付けられないエピソードまで引き合いに出して *10 、この陰謀論を強調した。1980年代後半には、宇野正美の『ユダヤが解ると世界が見えてくる』などのユダヤ陰謀本がベストセラーとなったが、『大予言III』はそれらの火付け役となったのではないかという指摘もある *11 。さらに 『大予言IV』 ではフリーメーソン(未作成)陰謀論が登場している。

海外解釈書の翻訳の増加

 日本のノストラダムス解釈では、外国語文献の翻訳書の影響も無視できない。
 1980年に刊行されたレニ・ノーバーゲンの『ノストラダムスの予言した第三次世界大戦』は、四行詩を山ほど引用し、そこに少しずつ解釈を付け加えて近未来の戦争を描くという、海外ではよくあるパターンの解釈書に過ぎないのだが、日本ではこの種の解釈書としては最初に訳されたもので、結果として、日本の解釈者たちのスタイルに影響を及ぼした著書のひとつだった可能性はある *12
 この時期にはまだ珍しかったこともあり、『週刊文春』でも、五島勉が『大予言II』で展開した近未来シナリオとの比較なども交えつつ、若干揶揄する調子で紹介された。

  • 「もう一つの『ノストラダムスの大予言』 第三次世界大戦はこうして起こる!」 (『週刊文春』1980年2月21日号)

 「もう一つの」 という表現に、五島勉か「非」五島勉かの二者択一的な当時の解釈に対する認識がよく表れているのではないだろうか。この記事の中では、五島が 「これは欧米のノストラダムス研究者に共通するんですが、どうしてもアジア蔑視というか、人種差別みたいな解釈の仕方をするんですね」 *13 というコメントを寄せている。その記事でも 「同工異曲」「まあ似ているといえなくもないのだが」 などと評されている通り、五島のシナリオはそれほどノーバーゲンらを批判できるものでもないのだが *14 、「白人の解釈は人種差別」 という図式は、フォンブリュヌ批判でより大々的に展開された。

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの 『歴史家にして予言者ノストラダムス』は、1980年代初頭に国際的なベストセラーになった著書で、実証的に見た場合の内容上の問題点はともかく、その時期のノストラダムス現象を語る上では避けて通れない存在である。
 日本ではまず 『週刊読売』 でフランスのブームについて短く報じられた。

  • 「なぜかパリで"新版ノストラダムス" 世界大戦など物騒な予言」 (『週刊読売』1981年9月20日号)

 ついで 『週刊ポスト』 で6ページにわたって採り上げられ、この時点では五島も具体的な解釈内容について、おおむね好意的にコメントしていた。

  • 「『新釈ノストラダムス』の日本への大予言」 (『週刊ポスト』1981年9月25日号)

 しかし、実際にその邦訳書が出される段になると、『週刊ポスト』時に認めていた解釈などまで全否定する形での批判を 『ノストラダムスの大予言IV』 で展開した。この言説の影響は不明だが、フォンブリュヌの邦訳書 『新釈ノストラダムス(未作成)』 は講談社という大手出版社から出されたにもかかわらず、わずか7355部にとどまった。

 1980年代には、ほかにもクルト・アルガイヤーの『1987年――悪魔のシナリオ』(光文社) など、海外の信奉者的研究の紹介が行われた。ただ、この時期に最も精力的に海外の解釈書の翻訳に当たったのは二見書房であり、その新書版の叢書サラブレッド・ブックス (サラ・ブックス) からは以下のように、ノストラダムスや予言を主題とする翻訳書が次々と刊行された。

川尻徹

 二見書房は日本人信奉者の解釈書も手がけたが、そのほとんどが精神科医川尻徹のものだった。彼の二見書房でのデビュー作は 『ノストラダムス暗号書の謎(未作成)』(1986年) だが、それ以前に話題になったのが 『滅亡のシナリオ(未作成)』(1985年) である。これは川尻の商業出版のデビュー作であり、『週刊プレイボーイ』 の連載をまとめたものだった。
 その世界観は、ノストラダムスの予言は当たるのではなく、的中するように世界をコントロールしている組織があり、暗殺されたり事故死したとされる有名人には、そのメンバーとして第二の人生を歩んでいる者たちも多いとするものであった。
 この予言観は、オウム真理教を立ち上げる麻原彰晃(未作成)に強い影響を与えたとされ *15 、元オウムの上祐史浩も、のちに麻原の種本であったことを知ったと述べている *16


【画像】 田原総一朗・上祐史浩 『危険な宗教の見分け方』

フィクションの題材

 1970年代にも石ノ森章太郎 「ノストラダムスの妖星」 のような作品はあったが、小説や漫画作品などの題材として用いられる数は、1980年代に増える。
 五島勉の『ノストラダムスの大予言』シリーズを刊行した祥伝社からは、五島自身が手がけた小説である

  • 『ノストラ・コネクション 地球少年ジュン』(全3巻、1986年 - 1987年)

のほか、五島が推薦文を寄せた

  • レイモンド・レナード 『ノストラダムスの遺産』(南山宏訳、1986年)

が刊行された。
 また、創元推理文庫からは、スパイ小説である

  • ジョン・ガードナー 『裏切りのノストラダムス』 (後藤安彦訳、1981年)

が刊行された。

漫画作品である
  • 小池一夫・やまさき拓味 『ノストラダムス愛伝説』(全5巻、1984年 - 1985年)
  • 三山のぼる 『ノストラダムスの息子たち
  • ジョシュア・クレメント、神代光 『ノストラダムスの真黙示録』(1988年)

などはノストラダムスや1999年の破局を主題とした単行本であり、このほかに短編として


などが発表された。


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