アントワーヌ・デュ・ヴェルディエによる書誌情報

 アントワーヌ・デュ・ヴェルディエ(未作成)の書誌 『アントワーヌ・デュ・ヴェルディエの蔵書』(リヨン、1585年)は、ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌とともに、16世紀フランス書誌研究の双璧をなしている。ノストラダムスについての項目もあり、以下のように紹介されている *1

 以下に全訳を示すが、原書には段落分けが全くないので、当「大事典」で便宜的に区切った。

全訳

 ミシェル・ノストラダムス (MICHEL NOSTRADAMUS)、プロヴァンス州サロン・ド・クローの医師・占星術師は、1550年以降1567年までの各年の暦書および占筮を執筆し、1566年7月2日に逝去した。
 その暦書は予兆集を伴って、リヨンではジャン・ブロトーアントワーヌ・ヴォランによってや、ブノワ・オドによって出版され、パリでも出版された。
 加えて、四行詩による予言の10巻の百詩篇集は、見るべき意味も韻も言葉もないものだったが、1568年にリヨンのブノワ・リゴーによって出版された。
  二部に分けられ、その第一部で様々な美顔料や香料の製法を示し、第二部で砂糖、蜂蜜、濃縮ワインを使った様々なジャムの製法を示している多くの優れた処方の小論集は、十六折版でリヨンのブノワ・リゴーによって1572年に刊行された。ペストと悪疫からおこる全ての熱病に対する治療法を含む極めて有益な治癒策、ならびに皇帝マクシミリアン1世が用いた卵の処方は、八つ折版で1561年にG. ニヴェールによってパリで印刷された。
 前記ノストラダムスによってラテン語からフランス語に翻訳された 『学芸および医学等へのメノドトスの勧告に関するガレノスの釈義』 は、リヨンのアンブロワーズ・デュ・ローヌによって1558年に印刷された。

注記

 ノストラダムスの予言集に関連して、『百詩篇集』(Centuries) という呼び方をしている最も古い証言の一つ。また、かなりの酷評ではあるが、同時代の文人による、文学的見地からの評価を含んでいるという点でも貴重である。

 その酷評はおそらく関心の薄さとも結びついているのだろう。
 書誌情報は、ノストラダムスの晩年もしくは死後に刊行された版の言及が中心を占めており、生前の版について (真偽不明なものも含めて) いくつもの情報を提供してくれているラ・クロワ・デュ・メーヌによる書誌情報に比べると、少々物足りないのは否めない。

 なお、ガレノスの釈義は1557年初版だが、1558年にも再版されており、年に誤りはない。しかし、そのどちらもがアントワーヌ・デュ・ローヌによって刊行されており、その兄弟であるアンブロワーズが手がけたノストラダムス関連文献は確認されていない。


名前:
コメント: