原文
Feu, flamme, faim,
1 furt, farouche, fumée
Fera faillir, froissant fort, foy faucher.
Fils
2 de Denté.
3 toute Prouence
humée.
Chassé
4 de
regne5. enragé sang
6 cracher
7.
異文
(1) faim, : Taun, 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To, Tuan. 1627Di, Faum, 1689Vo
(2) Fils : Flis 1605sn
(3) Denté. : Denté : 1611A 1611B, Derité : 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri, Derité, 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To, Deité! 1672Ga, Dente 1689Ma, Verité, 1698L
(4) Chassé : Classe 1611B, Chassee 1627Ma 1627Di, Chassée 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1780MN, Chasse 1672Ga
(5) regne : Regne 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1672Ga
(6) sang 1594JF 1611A 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1780MN : sans T.A.Eds.
(7) cracher : cacher 1650Le 1689PA, crocher 1672Ga
原文
火、炎、饑〔ひだる〕さ、酷い剥ぎ取り、白煙が
果てさせ、激しく破壊させ、信を刈り取らせるだろう。
歯を持って生まれた息子。プロヴァンス全域が食べ尽くされる。
王国から逐われる。逆上して血を吐く。
訳について
1行目 farouche は「野生の、飼い馴らされていない」を意味する形容詞。中期フランス語の時点で、転じて「酷い、残酷な」(cruel)、「激しい」(fierce)などの意味もあった。
詩百篇第12巻では36番と55番にも farouche が出ているが、いずれも「酷い」「激しい」などの派生的な意味と捉えないと意味が通じないので、ここでも派生的意味と理解して差し支えないだろう。ここでは句読点を無視し、直前の名詞
furtを形容しているものと見なした。
2行目 fera に対応する主語は、1行目の名詞の列挙と捉えた。活用形が一致しないが、こうした読み方がありうることは
ピエール・ブランダムールなども認めている。
3行目の初頭までF で始まる語が連ねられている特殊な詩文を反映し、かなりの程度「は行」で始まる語を使うように訳したが、2行目最後の foy faucher はうまい訳語が浮かばなかったので、意味を優先した。「は行」にこだわるなら「不信を孕ませる」のように意訳してしまうのも一案かもしれない。
3行目 Denté は中期フランス語で「歯のある」(toothed)などを意味する形容詞。Fils de Denté を
ジャン=エメ・ド・シャヴィニーが Dentato natus.とラテン語訳していることも参考にして、「歯を持って生まれた息子」と訳した。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目 「火 炎 飢え 盗み 野のけむり」はおおむね問題ないが、farouche は上述の通り、「野生の」などの意味なので、煙の形容に「野の」とつけるのは多少意味合いが変わるように思われる。
3行目「神の子よ!全地方をのみくだし」は、Denté が Deité になっている版に基づく訳なので誤りではないが、その異文を採用すべき理由はない。
4行目の後半「カギにひっかけずに激怒して」は、
テオフィル・ド・ガランシエールや
ヘンリー・C・ロバーツが採用した sans crocher という異文を訳そうとしたものだろう。ただし、ガランシエールは without spitting と英訳しているので、sans cracher を書き間違えただけと考えられる(ロバーツは原文、英訳をともに無批判に継承している)。
信奉者側の見解
同時代的な視点
1、2行目すべてと3行目冒頭に f で始まる単語を列挙し、頭韻を揃えている。このスタイルは多分に実験的で、百詩篇正編には全く見られない。かつて、
ピーター・ラメジャラーはノストラダムスが放棄した試みだったのだろうとしていた。
シャヴィニーによる偽作でないのだとしたら、確かにノストラダムスの実験的な草稿だった可能性はある。
ルイ・ド・ガロー・ド・シャストゥイユが伝える
ノストラダムスの四行詩の断片に
ほぼ同じ詩が存在している事も、この問題を考える上で重要な示唆を含んでいるだろう。シャストゥイユの手稿に収められた四行詩の断片11篇の中に、11巻や12巻に類似する詩篇が認められるものは他にない。
なお、シャストゥイユの手稿は2種類あり、最後がsans cracher になっているものと sang cracher になっているものが存在する。
「歯を持って生まれた子ども」は古来災厄の予兆とされたもので、ノストラダムスはしばしば飢饉の予兆として描いた。ゆえに、詩の内容はプロヴァンスの災厄を描いたものであろう。
その他
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最終更新:2018年11月11日 00:44