詩百篇第12巻4番


原文

Feu, flamme, faim,1 furt, farouche, fumée
Fera faillir, froissant fort, foy faucher.
Fils2 de Denté.3 toute Prouence humée.
Chassé4 de regne5. enragé sang6 cracher7.

異文

(1) faim, : Taun, 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To, Tuan. 1627Di, Faum, 1689Vo
(2) Fils : Flis 1605sn
(3) Denté. : Denté : 1611A 1611B, Derité : 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri, Derité, 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To, Deité! 1672Ga, Dente 1689Ma, Verité, 1698L
(4) Chassé : Classe 1611B, Chassee 1627Ma 1627Di, Chassée 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1780MN, Chasse 1672Ga
(5) regne : Regne 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1672Ga
(6) sang 1594JF 1611A 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1780MN : sans T.A.Eds.
(7) cracher : cacher 1650Le 1689PA, crocher 1672Ga

原文

火、炎、饑〔ひだる〕さ、酷い剥ぎ取り、白煙が
果てさせ、激しく破壊させ、信を刈り取らせるだろう。
歯を持って生まれた息子。プロヴァンス全域が食べ尽くされる。
王国から逐われる。逆上して血を吐く。

訳について

 1行目 farouche は「野生の、飼い馴らされていない」を意味する形容詞。中期フランス語の時点で、転じて「酷い、残酷な」(cruel)、「激しい」(fierce)などの意味もあった*1詩百篇第12巻では36番と55番にも farouche が出ているが、いずれも「酷い」「激しい」などの派生的な意味と捉えないと意味が通じないので、ここでも派生的意味と理解して差し支えないだろう。ここでは句読点を無視し、直前の名詞 furtを形容しているものと見なした。
 2行目 fera に対応する主語は、1行目の名詞の列挙と捉えた。活用形が一致しないが、こうした読み方がありうることはピエール・ブランダムールなども認めている。

 3行目の初頭までF で始まる語が連ねられている特殊な詩文を反映し、かなりの程度「は行」で始まる語を使うように訳したが、2行目最後の foy faucher はうまい訳語が浮かばなかったので、意味を優先した。「は行」にこだわるなら「不信を孕ませる」のように意訳してしまうのも一案かもしれない。

 3行目 Denté は中期フランス語で「歯のある」(toothed)などを意味する形容詞*2。Fils de Denté をジャン=エメ・ド・シャヴィニーが Dentato natus.*3とラテン語訳していることも参考にして、「歯を持って生まれた息子」と訳した。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「火 炎 飢え 盗み 野のけむり」*4はおおむね問題ないが、farouche は上述の通り、「野生の」などの意味なので、煙の形容に「野の」とつけるのは多少意味合いが変わるように思われる。
 3行目「神の子よ!全地方をのみくだし」は、Denté が Deité になっている版に基づく訳なので誤りではないが、その異文を採用すべき理由はない。
 4行目の後半「カギにひっかけずに激怒して」は、テオフィル・ド・ガランシエールヘンリー・C・ロバーツが採用した sans crocher という異文を訳そうとしたものだろう。ただし、ガランシエールは without spitting と英訳しているので、sans cracher を書き間違えただけと考えられる(ロバーツは原文、英訳をともに無批判に継承している)。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、ユグノー戦争終盤にあたる1588年における、プロヴァンスの状況にあてはめている*5

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、宗教戦争中のプロヴァンスの状況と解釈している点で、シャヴィニーとほぼ同じである*6
 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)も宗教戦争と解釈した*7

同時代的な視点

 1、2行目すべてと3行目冒頭に f で始まる単語を列挙し、頭韻を揃えている。このスタイルは多分に実験的で、百詩篇正編には全く見られない。かつて、ピーター・ラメジャラーはノストラダムスが放棄した試みだったのだろうとしていた*8

 シャヴィニーによる偽作でないのだとしたら、確かにノストラダムスの実験的な草稿だった可能性はある。ルイ・ド・ガロー・ド・シャストゥイユが伝えるノストラダムスの四行詩の断片ほぼ同じ詩が存在している事も、この問題を考える上で重要な示唆を含んでいるだろう。シャストゥイユの手稿に収められた四行詩の断片11篇の中に、11巻や12巻に類似する詩篇が認められるものは他にない*9
 なお、シャストゥイユの手稿は2種類あり、最後がsans cracher になっているものと sang cracher になっているものが存在する*10

 「歯を持って生まれた子ども」は古来災厄の予兆とされたもので、ノストラダムスはしばしば飢饉の予兆として描いた*11。ゆえに、詩の内容はプロヴァンスの災厄を描いたものであろう。

その他


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詩百篇第12巻
最終更新:2018年11月11日 00:44

*1 DFE

*2 DFE

*3 Chavigny[1594] p.253

*4 大乗 [1975] p.311。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 Chavigny [1594] p.252

*6 Garencieres [1672]

*7 Roberts (1947)[1949]

*8 ラメジャラー [1998b]

*9 cf. Benazra [1990] pp.138-139

*10 Ruzo [1997] p.338 の後に挿入された2種類の手稿の写真による。

*11 高田・伊藤 [1999]pp.121-122, 245-246