百詩篇第5巻14番


原文

Saturne & Mars en leo1 Espaigne2 captifue,
Par chef3 lybique4 au conflict attrapé,
Proche de Malthe5, Heredde6 prinse7 viue8,
Et Romain9 sceptre10 sera par coq11 frappé.

異文

(1) leo 1557U 1568 1589PV : Leo T.A.Eds. (sauf : elo 1593BR)
(2) Espaigne 1557U 1568I 1589PV 1597 1600 1610 1611A 1716 : Espagne T.A.Eds. (sauf : Hesperi 1593BR)
(3) chef : Chef 1712Guy
(4) lybique 1557U 1557B 1568A 1589PV 1981EB 1653 1665 1840 : Lybique T.A.Eds.
(5) Malthe : Malth 1589Me
(6) Heredde : Herode 1589Me, Herod de 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668 1716, Herod. de 1712Guy, Herodde 1867LP
(7) prinse : Prinse 1672
(8) viue : viué 1665
(9) Romain : Morain 1593BR
(10) sceptre : septre 1716, Sceptre 1672 1712Guy
(11) coq : Coq 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1650Le 1653 1981EB 1665 1668 1672 1840, cocq 1593BR, Cocq 1712Guy

(注記)1590Roは比較せず

校訂

 2行目に登場する Heredde について、ピエール・ブランダムールは et Rhodes と校訂し、ブリューノ・プテ=ジラールリチャード・シーバースは支持したが、ロジェ・プレヴォジャン=ポール・クレベールピーター・ラメジャラーらは、そのまま Heredde としている。

日本語訳

土星と火星が獅子宮にあり、スペインは囚われる。
衝突に際してリビアの指導者によって捕縛され、
マルタとロードスの近くで生け捕りにされる。
そして、ローマの王杖は雄鶏によって打たれるであろう。

訳について

 1行目はリチャード・シーバースのように囚われる主体をスペインと解釈したが、ピーター・ラメジャラーのように前置詞を補って 「スペインで囚われる」 とする訳例も存在する(ラメジャラーは2003年の時点では前者の訳だったが、2010年に後者の訳し方に変えた。これは後述する解釈の変化にも関係がある)。
 3行目はブランダムールの校訂に従ったが、Heredde (Heredia) という人名と解釈するなら、「マルタの近くでエレディアは生け捕りにされる」 という訳になる。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「一般のアフリカ人によって戦われ」*1は誤訳。元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳は By an African general taken in battle *2で、この場合の general はどうみても 「将軍」 の意味である。
 3行目 「マルタの近く 代々の王子は生きつづけ」 も誤訳だが、これは元になったロバーツの英訳自体が誤っており、それを忠実に訳したものである。Prinse (囚われる) と Prince  (王子) を混同しており、問題がある。

 山根訳について。
 3行目 「マルタの近く ロードスは生きたまま捕獲され」*3は、Heredde を (et をつけない) 単なる Rhodes と校訂した場合には成り立つ訳。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、「雄鶏によってフランス王を表現している。残りは平易」としかコメントしていなかった*4
 バルタザール・ギノーの著書でも取り上げられているが、内容を敷衍したような説明で、特定の事件とは結び付けられていない。なお、3行目に Herod. de という異文を含んでいるが、彼はこれをロードスのアナグラムと捉えていた*5
 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 ジェイムズ・レイヴァーは、ナポレオン1世がマルタからロードスの騎士団 (=マルタ騎士団) を追い出したことと解釈した*6エリカ・チータムジョン・ホーグはこの解釈をさらに膨らませた*7。ホーグの場合、3行目の Herod をロードスのアナグラムとヘロデ王の意味の組み合わせと解釈し、マルタからの騎士団の追放と、エジプト遠征時にパレスチナを経由したことなどが表現されているとした。

 ナポレオン1世とする解釈はセルジュ・ユタンも展開したが、彼の場合はフランス軍の教皇領侵入に力点を置いた*8。この解釈は補訂を担当したボードワン・ボンセルジャンによって、ポリサリオ戦線 (西サハラの独立を目指す勢力) が関わるスペインとマグレブの衝突とする解釈に差し替えられた*9

 ロルフ・ボズウェル(1943年)は1行目の星位を1943年1月19日のものとし、翌日のベルリンのラジオ放送を引用する形で、ヒトラーとスペインのアレセ (Arrese) の会談についての予言と解釈した*10

 アンドレ・ラモン(1943年)は1行目の星位を1947年11月とし、そのときにフランスも参入するイタリア・スペインの戦争についての予言と解釈した*11。もちろん、このような戦争は起こらなかった。

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年の時点で1980年代に起こると予測していた世界大戦の一場面と解釈していたが、2006年になると、近未来の情景を描いた詩の一つと位置づけ、1行目の星位は2006年6月18日に起こると解釈していた*12

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは1行目の星位を、1594年7月に土星、火星、太陽、金星、水星が獅子宮に集まることを部分的に表現したものと見なし、百詩篇第5巻23番(未作成)第5巻25番とともに、そのときにアラブ勢力が地中海で勢力を伸ばすことを予言したものと解釈した*13

 ロジェ・プレヴォは1行目の星位を過去のものと見なして1536年のこととし、前年にカール5世がチュニスを攻略したことに触れた*14

 ピーター・ラメジャラーも過去と捉えているが、その解釈は時期によって異なっている。2003年の解釈では、1522年にロードスをオスマン帝国が陥落させたときに、マルタ騎士団のドン・フアン・デ・エレディアが囚われたこととなっていた。ただし、星位はその年に対応しないため、ノストラダムスはその事件と関連付けていた『ミラビリス・リベル』の予言が (星位に対応する) 1564年7月などに成就すると見ていたのではないかといった可能性を示していた*15
 しかし、2010年になると、コロンビアのサンタ・マルタ総督ドン・ペドロ・デ・エレディアが私腹を肥やしていた疑いにより、1535年にスペインで投獄され、その後、免職を経て、アフリカ沖で失踪したことをモデルとした*16。この解釈では、綴りは違うが、3行目のマルタ (Malta) とサンタ・マルタ (Santa Martha) が結び付けられている。


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最終更新:2014年08月09日 23:35

*1 大乗 [1975] p.152。以下、この詩の引用は同じページから。

*2 Roberts (1947)[1949] p.149

*3 山根 [1988] p.183

*4 Garencieres [1672]

*5 Guynaud [1712] pp.241-243

*6 Laver (1942)[1952] p.169

*7 Cheetham [1973], Hogue (1997)[1999]

*8 Hutin [1978]

*9 Hutin (2002)[2003]

*10 Boswell [1943] p.296

*11 Lamont [1943] p.279

*12 Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] p.468

*13 Brind'Amour [1993] pp.252-253

*14 Prévost [1999] p.110

*15 Lemesurier [2003b]

*16 Lemesurier [2010]