原文
Le charbon
1 blanc du noir sera chassé
2,
Prisonnier faict mené au tombereau
3:
More
4 Chameau
5 sus
6 piedz entrelassez
7,
Lors le
puisné8 sillera
9 l’aubereau
10.
異文
(1) charbon : Charbon 1672
(2) chassé : chssé 1605, chassez 1611B 1981EB
(3) tombereau : tumbereau 1649Ca 1650Le 1668A, Tombreau 1672
(4) More : Moré 1649Ca, Mores 1588-89 1840
(5) Chameau : chameau 1981EB 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1668P 1840
(6) sus : sur 1557B 1867LP 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840
(7) entrelassez : entrelassé 1588-89 1627 1644 1650Ri 1653 1668, entre lassé 1650Le
(8) puisné : puisnay 1557B, puisne 1716 1981EB, puis nay 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840
(9) sillera : fillera 1588-89 1590Ro 1605 1649Xa 1772Ri, filera 1627 1628 1644 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840
(10) l’aubereau : l’auberau 1589PV, l’Aubereau 1672
校訂
エヴリット・ブライラーは1行目の charbonを chardon (アザミ) と読み替える可能性を示したが、広く支持されるには至っておらず、当「大事典」としても支持しえない。
日本語訳
白い炭が黒い炭に追い立てられるだろう。
囚人は死刑囚護送車へ運ばれる。
マウレタニアのラクダは足に絡みつかれる。
その時、年若き者がチゴハヤブサの瞼を縫うだろう。
訳について
1行目の「白い炭」「黒い炭」は木炭や石炭を意味したほか、ある種の病気も意味した。後掲の 『同時代的な視点』 の節を参照のこと。
4行目の sillera > siller は現代語の ciller と同じで、中期フランス語では「ハヤブサの瞼を縫う」の意味があった。猛禽の瞼を縫うのは光を見て暴れないようにするためで、狩猟用語だという。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目 「石灰が黒炭に追いだされ」は、charbon blanc を「石灰」とするのが不適切。後述を参照。
2行目 「彼はこやし車にはこばれて囚人になり」 は使役の動詞の扱いがおかしい。 なお、tombereau は放下車 (後ろに傾けて積荷や土砂をおろす型の荷車) や肥料運搬車の意味もあるので「こやし車」は誤りではないが、
ピーター・ラメジャラー、
ジャン=ポール・クレベール、
リチャード・シーバースは一致して死刑囚を運ぶ車と理解している。
3行目 「足は黒いラクダにからみ」 の 「黒いラクダ」 は、「マウレタニアの」 を意味する More (Maure) がもともとギリシア語の 「黒い」 に由来することを考慮すれば許容される。実際、
エドガー・レオニのように、その可能性を指摘する論者はいた。ただし、足には前置詞がついているので、ラクダの足に何かが絡まる (あるいはクレベールのように「足枷をはめられる」)と理解すべきだろう。
4行目 「それで最年少者はより自由を求めて 隼は苦しむだろう」は誤訳。元になった
ヘンリー・C・ロバーツの英訳自体が Then the youngest, shall suffer the Falcon to have more freedom (そして最年少者は隼がより自由になることを許すだろう) という不適切なものだが、大乗訳はその suffer を訳し間違えたのだろう。
山根訳について。
1行目 「白い炭が黒いやつに放逐され」は直訳としては正しいが、黒についても charbonが省略されていると読むべきだろう。
3行目 「ごろつきみたいに両足を縛られ」 は元になった
エリカ・チータムのほぼ直訳だが、More chameau (マウレタニアのラクダ) を意訳しすぎだろう。
4行目 「そのとき最後に生まれた者が鷹を放つだろう」 もチータムの英訳の転訳としては正しいが、sillera の訳として不適切だろう。
信奉者側の解釈
テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、根拠を示さずに白い炭、黒い炭を白い君主、黒い君主と解釈し、その対立に関する詩と捉えた。この解釈はのちに
ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)によって踏襲されることになるが、ロバーツはなぜかガランシエールのコメントをノストラダムスのコメントとして引用している。
スチュワート・ロッブ(1961年)は、20世紀に石炭ガスが利用されるようになったことの予言と解釈した。
ヴライク・イオネスク(1976年)は「白い炭」を水蒸気と解釈し、前半2行は閉じ込められた中で蒸気を生み出し動かすもの、つまり蒸気機関の予言と解釈した。3行目のラクダも蒸気機関の比喩としたが、それについては行全体をアナグラムとして「蒸気の機械によって打ち立てられた怪物」(Monstre dressé (par) les machines à vapeur) とも読み替えている。4行目のチゴハヤブサは猛禽類のことで、「年若き者」とともに鷲を国章とする19世紀の新興国アメリカ合衆国を指すとした。
同時代的な視点
まず、1行目の charbon だが、これは「炭、石炭」という意味のほかに、現代語でも炭疽、脾脱疽といった意味があるが、当時も同じように炭と病気を意味した。DFEには「炭、悪性の吹き出物、伝染病で痛む箇所」(A coale ; also , a Carbuncle, or Prague-sore) という語義が載っている。
また、charbon blanc (白い炭)についても、DFEではある種の樹から作る木炭 (A kind of coale made of the Crimson, or pricklie, Ceder) とだけ説明されているが、DMFには「伝染しない壊疽性の傷」(plaie gangreneuse non contagieuse) とあり、木炭と傷病の2つの意味があったことが分かる。
なお、charbon という語は
百詩篇集の中では、ここでしか使われていない。
この詩を具体的な史実と結びつけたのは、おそらく
ロジェ・プレヴォが最初であろう。プレヴォは、1546年から47年にかけての状況と理解した。当時はペスト(黒い炭)が大流行していたが、それに先立ってナポリ病(白い炭)が流行っていた。同じ頃には、異端派の火刑が大々的に行われていた。
さらに、1547年に国王フランソワ1世が没した際には、鷹狩を好んでいた
王太子アンリに、ラクダを含む自身が蒐集していた異国の珍獣を遺贈していた。ラクダはアンリ2世のお気に入りの動物のひとつで、1550年のルーアン入市式でも披露された。
この解釈は
ピーター・ラメジャラーが支持している。
プレヴォは「ナポリ病」について詳述していないが、普通それは当時のフランスでの梅毒の異名である。梅毒はコロンブスの新大陸到達から間もなく大流行し、最初の50年を経て致死率が下がったというから、それと入れ替わりに1540年代半ばのペスト大流行が起こったと見てもおおよその計算は合う。ただし、梅毒が当時「白い炭」と呼ばれていたかどうかについては、当「大事典」はプレヴォ以外の第三者の文献で確認できていない。関連情報にお心当たりの方は、情報をお寄せいただければ幸いである。
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コメントらん
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- 産業革命での鉄道の出現や、イタリアの秘密結社“カルボニア党”(炭焼き党員)の出現 (白い石炭というのは存在しないのだから比喩として使われているということがわかるだろう?) そして予言者の母国のルイ18世の”弟”のシャルル10世がアルジェリアに出兵した1830年代などを予言。 -- とある信奉者 (2020-05-03 10:25:07)
最終更新:2020年05月03日 10:25