百詩篇第10巻27番


原文

Par le 1 cinquieme 2 & vn grand Hercules 3
Viendront le temple 4 ouurir de main bellique,
Vn 5 Clement 6 , Iule 7 & Ascans 8 recules 9 ,
Lespe 10 , clef 11 , aigle 12 n’eurent 13 onc 14 si grand 15 picque.

異文

(1) Par le : Carle 1656ECL 1668A, Car le 1668P, Charle 1672
(2) cinquieme : Cinquiesme 1656ECLb
(3) Hercules : Herculés 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668
(4) temple : Temple 1611B 1656ECLb 1672 1981EB
(5) Vn : Une 1672
(6) Clement : Colonne 1656ECL 1668 1672
(7) Iule : Iules 1656ECL 1672 1772Ri
(8) Ascans : ascans 1572Cr 1653 1665, Ascan 1656ECL 1668 1672 1840
(9) recules : reculez 1572Cr 1644 1653 1656ECL 1665 1668P 1672 1840, reculés 1605 1627 1628 1649Ca 1649Xa 1650Ri 1650Le 1668A
(10) Lespe 1568 1590Ro 1597 1603Mo 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1772Ri : l’espee 1572Cr, L’espee 1600 1611B 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 1981EB, Lespee 1611A 1650Le, L’espe 1610 1716, L’Espagne 1656ECL 1668 1672
(11) clef : Clef 1656ECL 1772Ri
(12) aigle : Aigle 1656ECL 1672 1772Ri
(13) n’eurent : neurent 1568A 1672
(14) onc : onques 1656ECL
(15) grand : grande 1656ECL

(注記)1656ECLでは p.129 と p.272 に見られるが、それぞれでやや食い違う。後者のページのみで見られる異文は 1656ECLb として示してある。

校訂

 1行目の冒頭がカール5世を指している点は仏文学者らにも異論はないが、Par le を Carle や Charle に書き換えるのは明らかにやりすぎだろう。

 ピーター・ラメジャラーは3行目の recules を reculés と読み替えている。意味の上からはそれが妥当だが、そうすると1行目のエルキュール (Hercules) と韻を踏まなくなる。一部の版でそちらが Herculés になっているのはその辺りを配慮したものだろう。どちらを直すべきかは断言しかねるが、どちらかが韻のために変形させられたのではないかと思われる。
 4行目 Lespe が L'espée (L'épée) であろうという点は、ラメジャラー、ジャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースらに異論がない。

日本語訳

五番目の者と、さる偉大なヘラクレスとが原因で、
(彼らは)好戦的な手でもって神殿を開きに来るだろう。
さるクレメンス、イウルスとアスカニウスが後退させられる。
剣で、鍵も鷲もかつてこれほどに大きな諍いは経験しなかった。

訳について

 2行目の動詞は3人称複数なので、それに対応する主語が不足している。訳ではもっとも単純に 「彼らは」 を補ったが、文脈を考慮したときに可能性が高い主語は 「兵たちは」 だろう。
 3行目 Clement は固有名詞として訳したが、不定冠詞が付いていることからすると、形容詞の clement (寛大な) と引っ掛けて、「クレメンス」と「一人の寛大な人」という言葉遊びをしているようにも見える。ただし、その辺りのニュアンスを日本語訳に反映しきることは難しい。
 4行目は、ピーター・ラメジャラーの読みに従い、「剣」 の前に前置詞を補った。ジャン=ポール・クレベールのようにひとまとめにする読み方もある。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「シャルル五世とヘラクレスは」 *1 は、テオフィル・ド・ガランシエールの異文を踏まえた原文の訳ということを差し引いても、un grand が反映されていないのは不適切だろう。なお、大乗訳の解説では神聖ローマ皇帝の名が「シャルル五世」となっているが、普通はカール5世とすべきだろう。
 3行目 「ひとつの柱ジュリウスとアスカンはもどり」 も、異文のほうに基づく訳としては許容されうるが、その異文を支持すべき理由が全くない。
 4行目 「スペイン 鍵 鷹はけっしてこのような悪はもたない」も異文のせいで冒頭がおかしいが、それ以上に直説法単純過去の eurent をなぜ現在形で訳しているのか、根拠が不明である。

 山根訳について。
 3行目 「クレマン ユリウス アスカンは退けられ」 *2 は誤りとまではいえないかもしれないが、固有名詞である Clement にわざわざ付いている不定冠詞の un が完全に落ちているように思われる。
 4行目 「剣 鍵 鷲 かつてない不快を味わう」は意訳の範囲かもしれないが、上の大乗訳と同じように、直説法単純過去の意味合いからずれているように感じる。

信奉者側の見解

 1656年の解釈書では、一部の原文を書き換えた上で、1行目は神聖ローマ皇帝カール5世とフランス王アンリ2世、2行目はヤヌス神殿(後述)、3行目はカミロ・コロンナやジュリアーノ・チェザリーニら当時の有力者と解釈し、1556年7月にアンリ2世が休戦協定を破棄したことによって、教皇パウルス4世が被った苦悩と解釈した *3 。なお、1行目に Carle という異文を導入したのはこの解釈書の著者が最初のはずだが、それはプロヴァンス語でカールに当たる人名だという理由からである。
 テオフィル・ド・ガランシエールはその2行目までの解釈をほぼ転用したが、それ以降の説明は削り、全体像は示さなかった *4

 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は近未来に現れるフランスの大君主と、スペイン王となるカルロス5世についての予言とした *5アンドレ・ラモンもこの解釈を踏襲した *6 (なお、現在に至るまで正統なスペイン王のカルロスは4世までしかいない)。
 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年の時点では近未来(1999年以前)に現れる偉大な君主アンリ5世に関する予言としていたが、晩年には2025年までに現れる偉大な君主についての予言と修正した *7

 セルジュ・ユタンは「鷲」とあることからナポレオン1世に関する予言とした *8

同時代的な視点

 イウルス(イウールス)とアスカニウスはともにローマの前身であるアルバ・ロンガを建設したとされる伝説上の人物で、ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』にもこうある。

「アェネーアースの子アスカニウスはまだ支配に適う年齢ではなかった。しかし、彼の支配権は、成年に達するまで、何ら毀損しなかった。(中略)
 この人がはたしてアスカニウスか、それとも、この人より年長で、かつてイーリウム市安泰の頃、クレウーサを母として生まれ、その後、父親の亡命に同行した人物、ユーリウス氏族が他ならぬわが名祖と称するイウールスなのか、私は問うまい。なぜなら、これほどの古い事績を何人 〔なんぴと〕 が確実と言い切るだろうか」(鈴木一州・訳) *9

 この詩では、イウルスとアスカニウスは同じ人物として扱われ、「さるクレメンス」を形容している。このクレメンスとイウルス・アスカニウスがローマ教皇クレメンス7世 (在位1523年 - 1534年) およびその世俗名ジュリオ (ユリウスにあたるイタリア名で、上の引用にあるとおり、ユリウスの語源はイウルスとされる) を指しているという点は、エドガー・レオニロジェ・プレヴォピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースらが一致している *10

 当然、そのクレメンス7世が遭った、「鍵」(ペテロの鍵、すなわち教皇庁)も「鷲」(ハプスブルク家および神聖ローマ帝国の紋章)も経験したことがなかった大きな諍いといえば、1527年のローマ掠奪(サッコ・ディ・ローマ)以外にはありえない。

 1行目の 「第五の者」 とは、当時の神聖ローマ皇帝カール5世のことである。「さる偉大なヘラクレス」 については読みが分かれており、クレベールがフランス王フランソワ1世とする一方、シーバースは 「第五にして屈強なヘラクレス」 と読むことで、1行目全体をカール5世と解釈している。当「大事典」では、武勇でも知られたフランソワ1世をヘラクレスに喩えることは十分に説得的であり、クレベールの読み方のほうがより説得的だと考えている。

 いずれにせよ、ローマ掠奪がカール5世とフランソワ1世が争ったイタリア戦争のなかで起こった (直接的には優柔不断な教皇がフランス側についたことでカール5世を激怒させたのが原因だった) ことは確かであり、神聖ローマ帝国軍によるローマの大蹂躙の中、クレメンス7世はローマのカステル・サンタンジェロに逃げ込んだ後、神聖ローマ帝国の捕虜を経て、亡命生活に入ったのである *11 。詩の情景はかなり直接的にローマ掠奪に符合しているように思われる。

 なお、2行目は直接的に神殿などの破壊・掠奪行為を指していると見ることも可能であろうが、1656年の注釈書以来 (一部の信奉者からさえも) 指摘されているように、ヤヌス神殿を指している可能性がある。『ローマ建国史』から再び引用しよう。

「アルギーレートゥム通りの端のヤーヌス神殿を彼 〔引用者注:ヌマ・ポンピリウス〕 は、平和と戦争の指標にし、扉が開いている時は市民団は交戦中、扉が閉じていれば、周辺人民すべてとの平和をさすことにした」(鈴木一州訳) *12

 神殿が単数形で、なおかつ定冠詞が付いていることからすると、ヤヌス神殿と見る方が適切なのかもしれない。


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