百詩篇第3巻75番


原文

PAV.1 Veronne2, Vicence3, Sarragousse
De glaifues4 loings5 terroirs6 de sang humides:
Peste si grande viendra à la grand gousse
Proches7 secours, & bien loing8 les remedes.

異文

(1) PAV. 1555 1840 : Pau, T.A.Eds.(sauf : Pau. 1644 1650Ri, Peau, 1653 1665)
(2) Veronne : verronne 1589Me
(3) Vicence : Vicenne 1600 1610 1653 1665 1716
(4) glaifue : Glaive 1672
(5) loings : loingts 1600, atteints 1672
(6) terroirs : terrois 1568A, terroir 1627, terroit 1630Ma, Terroirs 1672
(7) Proches 1555 1589PV 1627 1630Ma 1644 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840 : Proche T.A.Eds.
(8) loing : long 1588-89, loings 1589PV 1649Ca

校訂

 ピエール・ブランダムールは2行目の glaifues loings (glaives loins) を glaifues longs と校訂している。前半律の区切れ方からすると loings を後ろに係らせるのは不自然なため、説得的であるように思われる。ブリューノ・プテ=ジラールリチャード・シーバースは支持している。

日本語訳

パヴィーアヴェローナヴィチェンツァサラゴサ
(それらの)諸地方は長剣によって血で濡れる。
非常に大規模な悪疫が大きな莢へと来るだろう。
救いは近いが、治癒は程遠い。

訳について

 1行目の地名について、ジャン=ポール・クレベールはサラゴサだけが明らかに離れていることから、シラクーザの誤りではないかとした。興味深い指摘ではあるが、ここでは原文どおりにサラゴサとした。
 2行目はピエール・ブランダムールの校訂及び釈義を踏まえた。ブランダムールの校訂を支持していないピーター・ラメジャラーは 「長剣によって」 を 「遠来の剣によって」 と理解している。その訳し方はエヴリット・ブライラーがしていたものでもあった。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「ポー ベロナ ビセンザ サラゴサ」*1は、固有名詞の細かい読みを措くとして、「ポー」に問題がある。確かにほとんどの版で Pau となっており、かつてはポーと訳すのが一般的だった (ブライラーなど、PAV. となっている原文を使用していながらポーと訳していた)。
 しかし、ブランダムールが初版の原文 PAV. をパヴィーア (Pavie) の省略と見て以降、プテ=ジラール、クレベール、ラメジャラーはいずれもそれを踏襲している (シーバースのみはそのまま PAV. と表記し、注もつけていない)
 2行目 「剣で打ち 国土は血でしめり」 は、loings が atteints になっている特殊な底本に依拠したためだが、その異文を支持すべき理由はない。
 3行目 「疫病が猛烈ないきおいではやり」は誤訳。ヘンリー・C・ロバーツの英訳をほぼそのまま訳したようなものだが、gousse をどう処理しているのかが全く不明。gousse はマメ類の莢のことで、エドモン・ユゲの辞書では、綴りの揺れである gosse について、ソラマメ (fève) の莢として使われている用例が載っている*2

 山根訳について。
 1行目 「ポー ヴェローナ ヴィチェンツァ サラゴサ」*3の「ポー」の適否は上で述べた通り。
 2行目 「遠い領土から血を滴らせる剣」 は言葉の修飾関係がやや強引に思われる。
 3行目 「未曾有の大疫病が大きな殻をかぶってやってくる」は、かつてエドガー・レオニがしていた英訳とほぼ同じだが、現代のまともな専門家たちには見られない訳である。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールはこの場合の「ポー」(Pau) はイタリアのポー川 (Po) 流域を指すとし、サラゴサはシチリア島の都市名 (おそらくシラクーザと同一視したものと思われる) とするなど、地名についてコメントしただけだった*4
 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は同時代から近未来にかけてのイタリアなどの騒擾の予言とし*5アンドレ・ラモン(1943年)は直近のスペイン内戦に関連する予言の一つとした*6

 セルジュ・ユタンはフランス革命期から第一帝政期の情勢に関する予言と解釈した*7

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは一連のナポレオン戦争の中で起こったサラゴサ攻囲戦(1808年 - 1809年)と解釈した*8

 エリカ・チータムは1973年には、ヨーロッパで起こる化学兵器を使った戦争と解釈していた*9。1988年に発売されたその日本語版では、1976年にイタリアのセヴェソで起きた化学薬品工場の爆発事故とする解釈になっている*10。チータム自身の1989年の解釈では、エイズの蔓延とする解釈に差し替えられている*11

 ジョン・ホーグも中部アフリカという「離れた土地」からヨーロッパにもたらされたエイズと解釈した*12

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールによれば、3行目の「大きな莢」は、イタリア半島をそのように見立てたものだという。ブランダムールは具体的な事件と一切結び付けていないが、その見立てが正しいのならば、描かれているのはイタリア諸地方での戦争と疫病であろう。

 そうなると、やはりサラゴサだけが明らかに浮いており、テオフィル・ド・ガランシエールジャン=ポール・クレベールのようにシラクーザと読み替えるのは一つの手として検討されるべきだろうが、北イタリアの地名が密集している中で、「大きな莢」ではなく、それに付随するシチリア島の地名が登場するのでは、結局浮いていることに変わりはないようにも思われる。

 『ミラビリス・リベル』の描くヨーロッパの受難がモデルになっていると解釈しているラメジャラーは、地名の選択は韻律にあわせたもの (つまり厳密に深い意図があってのものではない) と推測している*13

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最終更新:2020年03月10日 16:33

*1 大乗 [1975] p.116。以下、この詩の引用は同じページから。

*2 DLFS, T.4, p.342; Brind'Amour [1996] p.433

*3 山根 [1988] p.138。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 Garencieres [1672]

*5 Fontbrune (1938)[1939] p.127

*6 Lamont [1943] p.159

*7 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*8 Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] p.205

*9 Cheetham [1973]

*10 チータム [1988]

*11 Cheetham (1989)[1990]

*12 Hogue (1997)[1999]

*13 Lemesurier [2003b]