パヴィーア

 パヴィーア (Pavia) は北イタリア、ロンバルディア州パヴィーア県の県庁所在地。フランス語ではパヴィー (Pavie) で、古くはティキヌム (Ticinum) と呼ばれた。

概要

 ティチーノ川沿いに位置し、古代ローマ時代の都市に起源を持つ。ロンバルディア王国時代には首都だったことがあり、1361年にヴィスコンティ家が支配するようになると、学問や芸術の拠点として栄えた。1390年にパヴィーア大学が創設された。

 1525年には「パヴィーアの戦い」の舞台となった。この戦いでフランスは歴史的敗北を喫し、フランス王フランソワ1世は捕虜とされたのである。

 かつての異名は「百塔の町」。現在も中世から近世にかけて建設された教会建築などが残り、北の郊外には長い年月を掛けて段階的に建てられたパヴィーア修道院がある*1

ノストラダムス関連

 ノストラダムスの北イタリア旅行時に立ち寄っていたとしても不思議ではないが、直接的な史料は確認されていないようである。

 『予言集』ではパヴィーアという形での登場箇所はない。ただし、百詩篇第3巻75番の PAV. はパヴィーアのことであろうと考えられている。
 また、古称ティキヌムを基にした Ticin という表記でならば、
が該当する。


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最終更新:2014年08月27日 23:19

*1 以上は『ミシュラン・グリーンガイド イタリア』、『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』、『コンサイス外国地名事典』第3版による。