原文
Ignare enuie du
1 grand Roy supportée,
Tiendra
2 propos, deffendre les escriptz:
Sa femme
3 non femme
4 par vn autre
tentée5,
Plus double deux
6 ne fort
7 ne criz
8.
異文
(1) du : au 1568B 1568C 1568I 1597 1605 1610 1611A 1628 1649Xa 1772Ri 1840
(2) Tiendra : Tiendras 1627
(3) Sa femme : Sa fem. 1627 1644 1650Ri, Sa fem 1653 1665
(4) non femme : non. femme 1627
(5) tentée : temptee 1627
(6) deux : doux 1611A, d’eux 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840
(7) ne fort : ne feront fort 1627 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840 1981EB, ne font 1588-89 1611B, ne feront 1649Ca, ira au fort 1672
(8) ne criz: de criz 1672
(注記)1590Roは比較できず
校訂
3行目について
ブリューノ・プテ=ジラールは2つ目の femme を削ったほうが良いのではないかという認識を示していた。しかし、この校訂は
ピーター・ラメジャラーや
リチャード・シーバースからは支持されていない。
4行目が10音節に満たないので、明らかに一語以上不足している。17世紀になって feront を補う版が現れたのはそのためだろうが、妥当性は疑問である。ラメジャラーはいささか大胆なのは否めないが、 ne fort ne criz を ne feront ni bruit ni cris と読み替えている。
日本語訳
大王に支えられた無知なる嫉妬が、
著作を禁止する意図を持ち続けるだろう。
その妻は他者によって誘惑された妻でない女、
二の二倍以上も、騒ぎも叫びもなしに。
訳について
3行目
tenter はいくつかの意味がある。とりあえず、後掲の
リチャード・シーバースの読みにある程度ひきつけて訳したが、「彼の妻ならぬ妻 〔=愛妾?〕 は他者から誘惑される(試される)」などの訳も可能である。
4行目はラメジャラーの読みを踏まえた。そのまま fort を採用する場合、通常は「強者」「要塞」などの意味だが、古くは「元金、元本」などの意味もあった。
なお、
リチャード・シーバースは後半について、「彼が娶った花嫁は別人の妻だった/そのうち4人以上が猿轡をされ縛られるだろう」(The bride he took was another man's wife :/ More than four of whom shall be gagged and tied.)と訳している。「騒ぎも叫びもなしに」ということを騒げず叫べないようにされたと理解すれば、猿轡や束縛という意訳は理解できる。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目 「無知なるしっとが王によってもたらされ」は、supportee を「もたらされる」と訳せるのかが疑問である。
4行目 「もはやかれら二人は叫びによって説くしかないのだ」も、微妙である。確かに ne...plus は「もはや~ない」を意味する成句だが、この場合の plus が ne を受けているかは疑問だし、それが正しいとしても原語と訳語の対応関係に疑問が残る。
山根訳について。
4行目 「二重の振舞いをする夫婦は もはやそれに異をとなえることはない」は
エリカ・チータムの英訳を踏まえたものだろうが、チータムの訳自体がかなり強引な訳のように思われる。チータム自身、解説の中で「非常に訳しにくい」とコメントしていた。
信奉者側の解釈
基本的に全訳本の類でしか解釈されてこなかった詩篇である。
テオフィル・ド・ガランシエールは具体的な事件とは結びつけず、王に気に入られたさる無知な輩が学問を弾圧するものの、王の妻ならぬ妻、すなわち愛妾がそれを説得して妨害するという予言とした。なお、上の「異文」節に明らかなように、ガランシエールは4行目をかなり改変してしまっている。
ヘンリー・C・ロバーツはその解釈をほとんどそのまま写したが、その日本語版ではヒトラーとエバ・ブラウンとする解釈が追加された。なお、日本語版ではロバーツの解釈中で、王が追放されるとなっているが、そういう言葉は原書にない。persuade (説得する)を purge か何かと見間違えたか。
セルジュ・ユタンは、少なくとも詩の前半について、七月革命(1830年)を招いたフランス王シャルル10世の七月王令 (出版の自由の停止、議会の解散などが盛り込まれていた) と解釈した。
同時代的な視点
ノストラダムスは無知な君主によって学問が弾圧されるというモチーフをたびたび扱っているので(
第1巻62番、
第4巻18番など)、これもその延長線上に考えることができるのではないだろうか。
ピーター・ラメジャラーはより具体的に、スエトニウスの『ローマ皇帝伝』に描かれたドミティアヌスの暴君ぶりにモデルを求めた。
「たくさんの人妻を犯し、アエリウス・ラミアの妻ドミティア・ロンギアを夫から奪って自分の妻とし(以下略)」
「アエリウス・ラミアは、なるほど疑われても仕方がないが、昔の古い、しかも他愛のない軽口のために、殺されたのである。というのもドミティアヌスに妻を横どりされたあと、自分の声を褒められたラミアは『禁欲しているからね』と言った」
「ユニウス・ルスティクスはパエトゥス・トラセアとヘルウィディウス・プリスクスを、公刊した本の中で激賞し、二人を『最高の聖者』と呼んだからと言って、殺された。ルスティクスの罪は、ドミティアヌスにすべての哲学者を首都とイタリアから追放する機会を与えた」
特に4行目をどう訳し、どう理解するかということにも左右されるだろうが、それでもある程度、情景は一致しているように思われる。
【画像】『ローマ皇帝伝・下』
※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
最終更新:2014年09月05日 00:14