原文
Encor1 seront les saincts2 temples3 pollus,
Et expillez par Senat4 Tholossain5,
Saturne6 deux trois cicles7 reuollus,
Dans Auril, May, gens de nouueau8 leuain9.
異文
(1) Encor : Encore 1627Di 1716PR 1772Ri
(2) saincts : Saints 1672Ga
(3) temples : Temples 1611B 1627Di 1627Ma 1644Hu 1672Ga 1772Ri 1981EB
(4) Senat : senat 1568X
(5) Tholossain 1568X 1568A : Tholosain T.A.Eds. (sauf : Tolosain 1627Di 1627Ma, Tholosin 1981EB)
(6) Saturne : aSturne 1597Br
(7) cicles : siecles 1610Po 1605sn 1611B 1628dR 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1716PRb 1981EB, siecle 1627Di, Siecles 1672Ga
(8) nouueau : nouueaux 1981EB
(9) leuain : Levain 1672Ga
日本語訳
なおも聖なる殿堂群が汚され、
掠奪されるだろう、
トゥールーズの元老院によって。
サトゥルヌスは二、三周と巡り、
四月と五月に新しいパン種の人々が。
訳について
異文にも有意なものはなく、翻訳上も難しい術語はない。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
3行目 「二つの土星は三周し」は意味不明。前半律は trois までであるし、deux で区切った上でそれを Saturne に係らせる理由がない。
4行目 「四月 五月に新しい感化を人々にあたえる」は、意訳を交えて訳しすぎだろう。
山根訳は細かい訳語の選定に若干の疑問はあるが、おおむね許容範囲内であろうと思われる。
信奉者側の見解
マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は1930年代の出来事の中で触れているが、あまり詳しく述べていない。
アンドレ・ラモンはフランス人民戦線の予言とした。彼は3行目を2周か3周と捉えるのではなく 2 + 3すなわち5周と解釈し、土星の周期(29年167日)を5倍した147年105日をフランス革命の年1789年に足すことで、1936年4月を導き、その年の4月と5月に人民戦線派が躍進(5月の総選挙で勝利し、翌月人民戦線内閣が成立)したことに適合するとしたのである。ラモンの解釈では「新しいパン種」は新しい思想と理解されている。
ヴライク・イオネスクはフランス革命中の、国王夫妻が処刑され、非キリスト教化が進められた1793年に関する予言とした。「新しいパン種の人々」はサン=キュロットの支持を受けたモンタニャール(山岳派)と解釈し、トゥールーズの元老院 (Senat Tolosain) にはラテン語の
アナグラムで「もはや宗教的な供犠を望まないであろう」(Nolent Hostias) が隠されているとした。3行目の土星の周期は、この場合大周期(29.46年 x 12 = 353.5年)を3分の2にした期間、すなわち235.6年を指し、これを
アンリ2世への手紙に明記された日付、すなわち1557年3月14日に加算すると、1793年を導けると主張した。
セルジュ・ユタンもフランス革命期にサン=キュロットによって非キリスト教化が進められたこととした。
ジョン・ホーグは宗教戦争期のトゥールーズにおけるプロテスタントの活動と解釈した。プロテスタントは宗教戦争に終止符を打ったナントの勅令(1598年4月)によって信仰の自由を得たが、1685年にナントの勅令は廃止された。その期間87年は、土星の周期3周分(88.5年)にほぼ対応するとしたのである。
同時代的な視点
2つ用語についてコメントしておく。
まず土星の周期については約30年と見てよい。これはもちろん公転周期(29.458年)のことだが、ノストラダムス自身、暦書で2周を約60年と明記するなどしていたので、他の周期を指しているとは考えづらい。ゆえに、2、3周というのは60年から90年くらいの期間を指している。
「新しいパン種」について、海外の研究者たちは何の説明もなしにプロテスタントとしているが、これは聖書の表現から来ているのだろう。新約聖書ではパンの発酵を腐敗と同一視する視点から、しばしば背徳を意味する言葉として使われているからだ。
- 「そのとき、イエスは、『ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい』と戒められた」(「マルコによる福音書」 第8章15節・新共同訳)
- 「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです」(「コリントの信徒への手紙 一」 第5章7節・新共同訳)
ただし、パン種は逆に天の国の比喩として使われている箇所もある。
- 「また、別のたとえをお話しになった。『天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。』」(「マタイによる福音書」 第13章33節・新共同訳)
また、ノストラダムスが認識していたとは思えないが、グノーシス派では本来的自己の比喩とされていたらしい。
- 「イエスが〔言った〕、『父の国は〔ある〕女のようなものである。彼女が少量のパン種を取って、粉の中に〔隠し〕、それを大きなパンにした。聞く耳ある者は聞くがよい』」(外典「トマスによる福音書」語録96・荒井献訳)
さらに、初期キリスト教ではアレクサンドリアのクレメンスが「宣教の『秘義』」、ナハシュ派が「人間の中に『隠されている』神の国」と解釈するなど、パン種にはいくつかの意味づけがあったようである。
しかしながら、この詩における 「新しいパン種」 の最も説得的な解釈は、やはり「新たな背徳者」=プロテスタントと見る解釈だろう。これはノストラダムスの他の詩篇(
第3巻45番、
第8巻40番、
第9巻74番ほか)でも、トゥールーズがプロテスタントや異教と結びつけられている (可能性が高い) こととも整合する読み方である。
【画像】 『聖書 旧約続編つき - 新共同訳』
【画像】 荒井献 『トマスによる福音書』
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最終更新:2020年03月15日 01:12