百詩篇第4巻71番


原文

En lieu d’espouse1 les filles2 trucidees,
Meurtre à3 grand faulte ne sera4 supestile5:
Dedans le6 puys7 vestules8 inondees,
L’espouse9 estaincte par hauste10 d’Aconile11.

異文

(1) espouse : esponce 1630Ma, Espouse 1672
(2) filles : Filles 1672
(3) à : a 1588Rf 1589Rg
(4) sera : fera 1665 1840 1867LP
(5) supestile 1557U : superstile T.A.Eds.(sauf : superstie 1557B 1589PV, superstite 1627 1630Ma 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840)
(6) le : se 1610, ses 1627 1630Ma 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668
(7) puys : puits 1611 1628 1649Xa 1981EB
(8) vestules : vestu par 1588-89, vestu les 1605 1610 1627 1630Ma 1649Xa 1650Le 1650Ri, vestus les 1644 1653 1665 1840, vestues 1672
(9) espouse : Espouse 1672
(10) par hauste : pur hauste 1611 1628 1649Xa 1981EB, Buste 1588-89
(11) Aconile : Aconite 1627 1630Ma 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1672 1840

校訂

 2行目 supestile は superstite の誤植、4行目 Aconile は Aconite の誤植であろうという点は、エドガー・レオニピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールブリューノ・プテ=ジラールリチャード・シーバースらが一致している。

 3行目 le puys vestules の部分をピエール・ブランダムールは le puits vestales と引用している*1。puys と puits は実質的に同じことだが、後者についての校訂はプテ=ジラール、シーバースらにも引き継がれた。vestules のままでは意味不明であり、妥当な校訂であろう。

日本語訳

妻の代わりに娘たちが虐殺される。
大きく過 〔あやま〕 てる殺人で生存者はいないだろう。
井戸の中にウェスタリスたちが沈められる。
妻はトリカブトの一服で亡くなる。

訳について

 2行目 superstite は古語で 「生き残り」(survivant) の意味*2
 この読み方には、エドガー・レオニジャン=ポール・クレベールピーター・ラメジャラーら、学識ある論者の間で特に異論は見られない。百詩篇での他の使用例はないが、暦書での使用例についてクレベールが指摘している*3

 4行目 hauste はラテン語 haustus からで、「飲むこと、嚥下すること」 の意味。19世紀のアナトール・ル・ペルチエの指摘以来、特に異論がない。

 同じく4行目 Aconite はトリカブトの意味。
 普通、フランス語では Aconit と綴り、DFEを見る限りでは当時もそう綴ったようだが、ラテン語 Aconitum を自己流にフランス語化したか、単に押韻のために変形させたものだろう。
 なお、現代英語でトリカブトのことは Aconite と綴るが、英語の綴りを借用したものかは分からない。
 オックスフォード新英英辞典によれば16世紀半ばに、フランス語ないしラテン語からの変形でaconiteという綴りは登場していたらしいが*4、DFEでは英語の語義の欄で Aconitum と綴られており、当時の英語でどの程度定着していたのか、よく分からない。
 1672年のテオフィル・ド・ガランシエールによる英文の解釈では Aconite と綴られている。
 いずれにしても、4行目最後の単語がトリカブトの意味であることは、17世紀のガランシエール以来、まったく異論がない。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「花嫁の代わりに付添人が殺され」*5は、解釈をまじえて訳しすぎである。これはfilles (娘たち) が the maid とされていたヘンリー・C・ロバーツの英訳 (それ自体がほぼテオフィル・ド・ガランシエールの英訳の丸写し) に影響されたものだろう。
 2行目 「殺害者は大きなあやまりをして 生き残る者はなく」 もロバーツの英訳の転訳。meurtre は殺害そのものの意味であって、殺害した者 (meurtrier) の意味ではない。
 3行目 「井戸の中で着物のままおぼれ」 も転訳によるもの。vestules を vestues としたガランシエールの英訳を引き摺ったもので、仏文学者らが vestales と一致して見なしている現在では、もはや支持すべき理由に乏しい。
 4行目 「花嫁は高いトリカブトの木で処分されるだろう」は不適切。hauste をガランシエールが (おそらく haute と同一視して) high と英訳したことに起因するが、信奉者、非信奉者を問わず、現在ではほぼ全く支持されていない読み方である。

 山根訳については、細部に疑問もないではないが、おおむね許容範囲内と思われる。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、花嫁がトリカブトで毒殺され、メイドたちが全員井戸で溺死させられる悲劇的な婚礼の予言と解釈した*6

 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は4行目の Aconite を OCEAN ITalien (イタリアの海) のアナグラムと見なしたり、「娘たち」を義勇兵の比喩と見ることによって、1930年代のイタリア情勢と解釈した*7
 アンドレ・ラモン(1943年)は 「イタリアの海」 という訳語が出ていることからして、フォンブリュヌのアナグラムを引き継いだようだが、同じ時期のスペイン情勢と解釈した*8

 エリカ・チータム(1973年)は解釈困難な詩と位置づけていた*9

 ヴライク・イオネスク(1976年)は、Aconile という綴りは意図的なものであるとし、c を h に置き換えて Le Hanoi を導き出し、ベトナム戦争に関する詩篇と解釈した。
 彼の解釈では、井戸は両側を挟まれた細長い国土であるベトナムの比喩で、ウェスタリスは建国されて歴史の浅かった南北ベトナムの若さの比喩とされた*10

 セルジュ・ユタン(1978年)は1918年にエカテリンブルグで幽閉されていたロマノフ朝のニコライ2世一家の処刑ではないかとした*11

 川尻徹は20世紀末に終末への不安を感じた少女性愛者が、幼稚園などをターゲットとして幼女たちを溺死させる事件についての予言であるとした*12
 なお、言うまでもなく、そのような事件は起こらなかった。

同時代的な視点

 ピーター・ラメジャラーは出典未詳としており、他の論者でもモデルの特定に成功した論者はいないようである。

 トリカブトは古来よく知られた毒薬なだけに、単にトリカブトを使用した殺人事件というだけならば、おそらくいくらでも見つかりうるだろう。しかし、この詩にはかなり細かな描写が含まれており、特定を難しくしているように思われる。


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最終更新:2014年09月17日 23:44

*1 Brind'Amour [1996] p.62

*2 DALF, T.7, p.597

*3 Clébert [2003]

*4 Oxford Dictionary of English, second edition revised, 2005

*5 大乗 [1975] p.141。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Garencieres [1672]

*7 Fontbrune (1938)[1939] p.164

*8 Lamont [1943] p.161

*9 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*10 Ionescu [1976] pp.655-656, Ionescu [1987] pp.442-443, イオネスク [1991] pp.126-130

*11 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*12 川尻『ノストラダムス最後の天啓』pp.190-191