百詩篇第2巻54番


原文

Par 1 gent estrange, & de Romains 2 loingtaine 3
Leur grand cité 4 apres eaue 5 fort troublée, 6
Fille sans main 7 , trop different 8 domaine 9 ,
Prins chief 10 , sarreure 11 n'auoir 12 esté riblée.

異文

(1) Par : Pour 1610 1716
(2) de Romains : Romains 1557U 1557B 1568 1588-89 1590Ro 1597 1610 1611 1716 1772Ri, des Romains 1600, romains 1605 1628 1649Xa, de Romins 1665, Nation 1672
(3) loingtaine : longtaine 1605 1649Xa, lomtaine 1672
(4) cité : Cité 1672
(5) eaue : eaux 1588-89, eau 1600 1644 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1672, eauë 1605 1627 1630Ma 1649Xa, cave 1716, eave 1772Ri
(6) troublée, : troublee? [sic.] 1650Ri
(7) sans main 1555 1589PV 1627 1630Ma 1644 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840 1981EB : sans T.A.Eds.
(8) different 1555 1557U : differente 1557B
(9) domaine : de domaine 1672
(10) chief 1555 1557U 1557B 1568A 1840 : chef T.A.Eds. (sauf : chefs 1597 1610)
(11) sarreure 1555 1627 1630Ma 1650Le 1840 : farreure 1557U, ferreure 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1668 1672 1716 1772Ri 1981EB, fature 1588-89, s'affeure 1644 1650Ri 1653 1665, terreure HCR
(12) n'auoir : navoir 1672

(注記)HCR はヘンリー・C・ロバーツによる異文。

校訂

 ごく初期の版から、意味が大きく変わる異文を複数含んでいる詩篇だが、ピエール・ブランダムールは句読点の打ち方を除いて、初版の原文を堅持している。

日本語訳

ローマ人たちから隔たった異邦人によって、
水辺の彼らの大都市はひどく悩まされる。
手のない娘。領土が四分五裂となり、
指導者が捕らわれても、錠前が奪われることはない。

訳について

 この詩には未来形の動詞が一切出現しないだけでなく、時制を判断できる動詞が一切存在しない。

 2行目 apres は普通は 「~の後に」 の意味で、「水(洪水?)の後」 とでも訳せそうだが、古語において apres は près de (近くに)、auprès de (すぐそばに) などの意味でも使われた *1 。DFEにも、after 以外に next unto という語義が載っている。
 ピエール・ブランダムールはそちらの意味を踏まえて 「水辺に」(près de l'eau) と釈義し *2高田勇伊藤進ピーター・ラメジャラーも踏襲した。ジャン=ポール・クレベールもブランダムールの読みを紹介した。リチャード・シーバースは by the sea (海辺に) と意訳した *3 。なお、17世紀の信奉者テオフィル・ド・ガランシエールも near the water と英訳していた。

 3行目 defferent は一般には 「異なった」 などの意味だが、中期フランス語では divisé (分けられた) の意味があり、ブランダムール、高田・伊藤、ラメジャラー、クレベールらが共通してそう読んでいる。

 4行目 sarreure はブランダムールをはじめとする学識ある諸論者が serrure (錠前) と同一視しているので、それに従った。serrure を sarreure と綴ることがあったかどうかは分からないが、DALFによると、serrure を sarrure と綴ることはあったらしい *4
 同じく4行目に過去分詞形で登場する ribler は現代フランス語では 「(砥石同士などを)こすり合わせて磨く」 の意味だが、中期フランス語では「夜に道を徘徊する、放浪する」(traîner dans les rues la nuit, vagabonder)、「奪う、盗む」(voller, piller)、「放埓に身を任せる」(forniquer, se livrer à la débauche)、「盛大に飲食する」(faire bombance)などの意味であった *5

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「見知らぬ遠い国の人によって」 *6 は、de Romains が完全に落ちている。これは、ヘンリー・C・ロバーツの英訳を転訳したせいである。ロバーツの英訳はガランシエールの訳を転用したものだったが、ガランシエールは de Romains をNation に改変するという強引な修正をしていたので、それの訳としては問題なかった。ところがロバーツは原文を正しく de Romains に直しながら、英訳を一切直さないという不可解な行動をとったため、訳文がおかしなことになってしまったのである。
 2行目 「泉の近くにある大都市に多くの悩みが生じるだろう」は、leur (彼らの) が訳に反映されていない。また、確かに 「泉」 という訳は可能な意訳だろうが、ロバーツは解釈で by the sea としているのだから、「水」または「海」で良かったのではないだろうか (結果として、大乗訳では訳文に 「泉」 とあるのに解釈で 「海辺」 が話題になるというチグハグな形になっている)。
 3行目 「身分の同じ少女を」 は1行目と問題の構図が同じ。ガランシエールは main (手) が脱落した原文を採用したのでそういう訳になったが、ロバーツはきちんと main を入れた原文を採用したにもかかわらず、ガランシエールの英訳を使いまわしたため、原文と訳文が一致しなくなっている。
 4行目 「あるじは恐れ 警告されることもなく」 もロバーツの英訳を転訳したのだろうと見当はつくが、そもそもロバーツの訳の根拠が全く分からない。ちなみにガランシエールの英訳は Shall take the Captain, the Lock having not been pick *7 という穏当なものであった。

 山根訳について。
 2行目 「彼らの大いなる都市が水によって莫大な被害を被るだろう」 *8 は、apres eaue を 「水害を受けた後で」 のように意訳したものだろうか。
 3行目 「それほど異なった財産を持たぬ少女が」 は main が脱落した原文の訳としては意訳の範囲といえるのかもしれない。
 4行目 「指導者に奪われ 鉄は奪われていない」の前半は、前置詞を補えば一応成立する。後半は ferreure となっている原文に基づいたのだろう。もっとも、ferreure という単語はDMFに見当たらない。ferrure (金具、中期仏語では鉄製の馬具一式) あたりから意訳したのだろう。なお、もとになったはずのエリカ・チータムの英訳では lock が採用されており、日本語版があえて「鉄」と訳した根拠がよく分からない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、自分の手に余る詩であることを告白しただけだった *9
 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は解釈時点から見て近未来に想定していた、イタリアへのイスラーム勢力の侵攻と解釈していた *10
 ロルフ・ボズウェル(1943年)は第一次大戦後のイタリア情勢と解釈していた *11

 アンドレ・ラモン(1943年)はナチスのフランス侵攻とヴィシー政権成立に関する詩と解釈した *12

 エリカ・チータム(1973年)は近未来において洪水が起こるときにローマが攻撃されることと解釈したが、細部は不明としていた *13 。しかし、その日本語版(1988年)では、ローマから遠く隔たった中国での大洪水の予言とする解釈に差し替えられていた。

 セルジュ・ユタン(1978年)は、ナポレオンの軍勢がローマを占領したことの予言とした *14

 クルト・アルガイヤー(1982年)は、1986年のハレー彗星接近時にローマが高潮の被害に見舞われ、同時にローマ教皇の暗殺事件が起こると解釈していた *15

 そのアルガイヤーの解釈を批判した加治木義博は、1987年に大水害に見舞われた韓国の首都ソウルと、その年の大韓航空機爆破事件と解釈した *16

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは、ある貴族の領内で起こる対立と、その結果のその貴族の捕縛に関する詩篇としていた *17高田勇伊藤進はその解釈も踏まえつつ、2行目の「彼らの大都市」がローマだろうということと、手のない娘は、凶兆とされた奇形の誕生のモチーフであることを補足した *18

 ピーター・ラメジャラーは全体のモデルは未詳としつつも、ユリウス・オブセクエンスが紀元前163年に関する記録で言及している手のない娘の誕生や、コンラドゥス・リュコステネスの著書などに見られる1528年の手のない子ども (おそらく女児) の誕生について紹介した *19
 ラメジャラーは大都市ローマが (彼らから遠く隔たった) イスラーム勢力の侵攻にさらされるという『ミラビリス・リベル』のシナリオに影響されている可能性も示した *20
 なお、『ミラビリス・リベル』の第1章に当たる偽メトディウスには、以下のようなくだりがある。

「彼らは飢え、渇き、窮乏に苦しむだろう。それとは対照的に、かの野蛮な諸民族 〔=アラブ人〕 は飲み食いし、その勝利と、彼らがペルシアとローマ世界、すなわちキリキア、シリア、カッパドキア、イサウリア、アフリカ、シチリア、そしてローマ近郊に住む人々や (地中海の) 島々に与えた不幸を喜ぶだろう」 *21

 詩の情景とはあまり一致していないものの、ローマがアラブ人によって脅かされるというモチーフは、中世以来、よく知られたモチーフであったのである。

 なお、ロジェ・プレヴォは1557年のサン=カンタンの戦いをモデルと見なしたが *22 、この詩の初出は1555年なので採用できないだろう。


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  • 水上都市のヴェネチアと、首都ローマが同時に、苦難になるとき、 フィレンツエ(あるいは、フランスのオレルアン)の指導者(市長)が何の策のなく、 民衆の暴動で捕らわれるが城壁都市の錠は奪われない、すなわち、開かれない。 などど、自分でも何を言っているか分からない解釈を提示してみます。 -- とある信奉者 (2014-09-21 23:20:43)
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