詩百篇第8巻17番


原文

Les bien aisez1 subit seront desmis,
Par les trois freres le monde mis en trouble2.
Cité marine3 saisiront4 ennemis,
Faim5, feu, sang, peste, & de to’6 maux le double7.

異文

(1) bien aisez : biens aisez 1610Po 1667Wi 1668P 1716PRb, bien-aisez 1644Hu
(2) Par les trois freres le monde mis en trouble : Le monde mis par les trois frere’en trouble 1594JF, Le monde mis par les trois freres en trouble 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1672Ga
(3) marine : Marine 1672Ga
(4) saisiront : saisiroit 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To
(5) Faim : Fain 1572Cr 1607PR
(6) to’ 1568X 1568A 1568B : tous T.A.Eds.
(7) double : doubte 1720To

(注記)版の系譜の考察のために1697Viも加えた。

校訂

 2行目の語順の大きく入れ替わった諸版は、明らかにジャン=エメ・ド・シャヴィニーの異文に影響されているが、支持すべき理由はない。
 ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースら、現代の学識ある論者たちが採用していないのは勿論のこと、1605年版などの異文を認識しており、その異文をしばしば注記しているエドガー・レオニも、異文として紹介することさえやっていない。

 4行目 to' は、単にスペースの都合で行の長さを圧縮したものであろうから、単なる印刷工の都合であって、ノストラダムス自身に遡る表記かは疑わしい。
 ラメジャラーやクレベールは普通に後の異文と同じく tous と読んでいる。なお、シーバースの原文ではこの単語自体が脱落しているが、英訳で all が出ていることからすると、校訂した結果というよりも単なる誤記か誤植だろう。

日本語訳

大いに寛いでいた者たちが突然に棄てられるだろう。
三兄弟によって世界は混乱させられる。
敵たちは海洋都市を奪うだろう。
飢餓、火、血、悪疫、そしてあらゆる災厄の倍加。

訳について

 構文理解の面で難しい箇所はほとんどなく、既存の訳にしても、大乗訳山根訳ともおおむね問題はない。
 ただし、大乗訳の1行目 「かつての人々はたやすく弾圧され」*1は誤訳。元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳でも at ease となっており、「かつての」 という訳の根拠が不明。あるいは、at ease を at once と見間違えたか。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、1562年9月の情勢と解釈した。
 1562年3月のヴァシーの虐殺によってユグノー戦争が始まり、人々の境遇は一気に悪化していた。さらに、9月には、イギリス女王エリザベス1世がプロテスタントのコンデ親王に軍事支援を密約した。
 シャヴィニーはここでの三兄弟を、コンデ親王とともにプロテスタント側の有力者として知られていたシャチヨン家の三兄弟 (フランソワ・ダンドロ、ガスパール・ド・コリニー、オデ・ド・コリニー) と解釈した*2

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は単語を平易としつつも、三兄弟や海洋都市が何を指すのか不明であり、過去についてなのか未来についてなのかも分からないので、読者の判断に委ねるとコメントしていた*3

 アナトール・ル・ペルチエ(1867年)はフランス革命序盤に当たる1789年8月4日に、封建的諸特権の廃止が決定されたことと解釈した。
 そして、三兄弟は、国王ルイ16世、およびその弟たちで、後に国王となるルイ18世、シャルル10世の3人とした*4
 チャールズ・ウォード(1891年)やヴライク・イオネスク(1976年)は、この解釈を踏襲した*5

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は近未来におけるイスラーム勢力のヨーロッパ侵攻の予言の一つと捉え、マルセイユ上陸をいったものとした*6
 息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年に同様の解釈を示し、近未来に起こると想定していた世界大戦の一場面と解釈していたが*7、そのようなことは起こらなかった。
 彼は2006年の著書でも、近未来のイスラーム勢力の侵攻と解釈していた*8

 アンドレ・ラモン(1943年)は日独伊三国軍事同盟を三兄弟に見立てたものと解釈した*9
 セルジュ・ユタン(1978年)も第二次世界大戦と解釈したが、彼の場合は逆に連合国側の三巨頭、すなわちルーズベルト、チャーチル、スターリンの3人についてと解釈した*10。しかし、のちのボードワン・ボンセルジャンの補訂では、ロシア革命序盤のサンクトペテルブルグについてとする解釈に差し替えられた*11

 エリカ・チータム(1973年)は、ケネディ家の三兄弟 (ジョン、ロバート、エドワード) に関連する詩ではないかと解釈していた*12
 ネッド・ハリー(1999年)も、ケネディ家関連の詩と解釈した*13

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォは、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの解釈を知ってか知らずか、1562年のシャチヨン家の三兄弟とフランス情勢と解釈した*14

 この詩の現存最古は1568年版だが、仮に一部の論者が主張する1558年版が初出なのだとしたら、1562年の出来事をモデルと見なすことはできないだろう。

 ただし、ジャン=ポール・クレベールも三兄弟に関してはシャチヨン家と結び付けており、海洋都市はボルドーやラ・ロッシェルといった王権に刃向かった都市のことではないかとした*15

 ピーター・ラメジャラーは2003年の時点では『ミラビリス・リベル』に描かれたヨーロッパ侵攻と関連付けていて、海洋都市はマルセイユではないかとしていたが、2010年になると、モデルを9世紀ごろの西ヨーロッパに求めた*16
 843年のヴェルダン条約では、カール大帝の孫に当たる3兄弟、すなわちロタール1世が中部フランクを、ルートヴィヒ2世が東フランクを、シャルル2世(禿頭王)が西フランクをそれぞれ手に入れた。
 これらの三兄弟の領土は、北からやってきたノルマン人(ヴァイキング)、東からやってきたマジャール人、南からやってきたイスラーム勢力という (比喩的な意味での) 別の「三兄弟」 の度重なる侵攻に脅かされた。ことに、イスラーム勢力は中部フランクに属していた諸都市を脅かし、「海洋都市」であったナポリやジェノヴァも掠奪に遭ったのである。

 ノストラダムスと同時代にモデルを求めるとすれば、政治情勢への影響力という点で、「三兄弟」がシャチヨン家を指している可能性は高いものと思われる。

 反面、より古い時代にモデルを求める場合、確かにフランス王国へとつながる西フランク王国の祖を含む三兄弟は、相応の説得力を持っているのではないだろうか。


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最終更新:2020年05月21日 01:47

*1 大乗 [1975] p.234

*2 Chavigny [1594] p.110

*3 Garencieres [1672]

*4 Le Pelletier [1867a] pp.189-190

*5 Ward [1891] pp.272-273, Ionescu [1976] pp.287-288

*6 Fontbrune (1938)[1939] p.233

*7 Fontbrune (1980)[1982]

*8 Fontbrune [2006] p.485

*9 Lamont [1943] p.173

*10 Hutin [1978]

*11 Hutin (2002)[2003]

*12 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*13 Halley [1999] p.186

*14 Prévost [1999] p.194

*15 Clébert [2003]

*16 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]