詩百篇第10巻5番


原文

Albi & Castres feront nouuelle ligue,
Neuf Arriens1 Lisbon2 & Portugues3,
Carcas, Tholosse4 consumeront leur brigue
Quand5 chief6 neuf monstre7 de8 Lauragues9.

異文

() Castres : Castre 1667Wi
(1) Arriens : Ariens 1590Ro, arriens 1653AB 1665Ba 1720To
(2) Lisbon : Libon 1605sn, Lis bon 1607PR 1610Po, Lisbonne 1672Ga
(3) Portugues : Portugués 1627Ma 1627Di 1628dR 1649Ca 1650Ri 1650Le 1668A 1772Ri 1981EB, Portuguez 1644Hu 1653AB 1665Ba 1672Ga 1720To 1840, Portugais 1650Mo 1667Wi 1668P
(4) Tholosse 1568X 1568A : Tholouse 1568C 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1644Hu 1650Ri 1650Le 1653AB 1667Wi 1668A 1668P 1716PR, Tholose 1568B 1591BR 1605sn 1611 1628dR 1649Xa 1665Ba 1720To 1772Ri 1840 1981EB, Tolose 1590Ro 1627Di 1627Ma, Thou ouse 1650Mo, Thoulouze 1672Ga
(5) Quand : Quant 1568X
(6) chief 1568 1772Ri : chef T.A.Eds.
(7) monstre : monstres 1772Ri
(8) de : istra de 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Le 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668A 1668P 1720To 1981EB
(9) Lauragues : Lauragués 1627Ma 1628dR 1649Ca 1650Ri 1650Le 1667Wi 1668A 1668P 1981EB, Lauraguez 1644Hu 1653AB 1665Ba 1672Ga 1720To 1840

校訂

 3行目の Carcas, は明らかに Carcas. の方が良いだろう。カルカソンヌをそのように略す例が他にもあることからほぼ確実だろう。
 Tholosse もなんらかの修正が必要だが、ノストラダムスのトゥールーズの綴りは、(少なくとも印刷されたものに関しては)かなりの揺れがあるので、s をひとつ削る以上の修正は確定させがたい。

 2、4行目は前半律(最初の4音節)に1音節足りないので、明らかに1語(以上)不足している。
 2行目については誰も候補を挙げていない。しかし、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースが英訳に際して With を補っており、エヴリット・ブライラーも括弧と疑問符付きで With を補っていたので、「~とともに」に当たる語を補うのは一案だろう。ただし、フランス語の Avec は2音節なので、補うとしたらその意味を持つスペイン語の Con ないしイタリア語の Cón か。
 あるいは、ノストラダムスがリスボンに触れたもう一つの詩篇(第9巻54番)では Vlisbonne と綴られているので、これを導入すれば一応10音節にはできるが、前半律が崩れているという問題は解消できない。

 4行目は neuf の後に se を補ったブライラー、疑問符付きで vu を補ったラメジャラーなどがいる。

日本語訳

アルビカストルが新たに同盟するだろう。
新たなるアリウス派信徒、リスボンおよびポルトガル諸都市。
カルカソンヌトゥールーズは彼らの策謀を完遂するだろう、
新しい指導者がロラゲから現れるときに。

訳について

 1、3行目はほとんど読みに異論が出ないだろう。brigue は「策謀」以外に「諍い」などの意味にもなるので*1、「~彼らの諍いを終わらせるだろう」とも訳せる程度である。

 それに対し、ほとんどお手上げなのが2、4行目である。
 Neuf Arriens は何らかのささいな読み替えを必要とする。Arriens は r を一つ抜いて「アリウス派の者たち」(Ariens) と読めるし(ジャン=ポール・クレベール)、s を落としてアッリアノス (Arrien, 『アレクサンドロス大王東征記』を著した古代ギリシアの歴史家・哲学者) と読むこともありうる(ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバース)。
 それに伴い Neuf Ariens と読むなら、「九人のアリウス派信者たち」になるし、Neufs とs を補えば「新しいアリウス派信者たち」の意味になる。アッリアノスという読みを採用するなら「新しいアッリアノス」となるだろう。
 エヴリット・ブライラーのように、ヌヴァリアン (Neuf Arriens) をナヴァリアン (Navarriens ; Navarrais, ナヴァル地方の人々・諸都市)と読み替える例もある。
 ラメジャラー、シーバースは「ポルトガル人の新たなアッリアノスとともに」(with a new Portuguese Arrianus*2 / With the new Arrianus, Portuguese*3)と読んでいるが、リスボンを省略していることや & の位置など、疑問もある。

 4行目は10音節に満たず、音数上も構文上も明らかに1語以上不足している。17世紀以降の異文を尊重するなら「怪物たる新しい指導者がロラゲから出てくるであろう時に」となり、意味の上では整合するが、初出となった1620年代後半のリヨン版は百詩篇第7巻44番などの初出と思われる版であり、到底信頼できる版とは言いがたいため、正当性は疑わしい。
 ブライラーは se を補って monstre を代名動詞 se montrer と理解した。3行目との時制の違いは気になるが、当「大事典」ではひとまずこの読みを採用している。
 ラメジャラーは「見る」を補って「新しい指導者がロラゲから怪物を見るであろう時に」と訳しているが、「見る」を補った根拠が不明である。
 シーバースは The new chief, a monster from Lauraguès と並列的に訳しているが、Quand に対応する語がない。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「アルビとカストレは新しい条約をつくり」*4は、ligue (英 league) を条約と訳すことについて (盟約といった意味合いでは誤訳といえないまでも) ミスリードを招きやすいのではないだろうか。
 2行目 「ナイン アーリアン リスボンとポルトガル」 は問題がある。neuf を「9」の意味に理解したのは分かるとしても、なぜそれを英語の固有名詞であるかのように「ナイン」と訳すのか、根拠が不明。また、Portugues は現代式の Portugais (英 Portuguese)のことだという点に異論はないので、「ポルトガル」と訳すのではなく「ポルトガル人(など、ポルトガルのもの)」の意味に理解すべきだろう。当「大事典」で「ポルトガル諸都市」と訳したのは、他の名詞で意味を確定させられるものがいずれも都市・地方名であることに合わせたためである。
 3行目 「カルカソン ツールーズは連合の終局をむかえ」は、brigueを「連合」と訳すのが微妙。元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳では confederacy が当てられており、確かにこれは「連合」の意味もあるが、むしろ仏語原文からすると、「共謀」の意味で使われているのではなかろうか。
 4行目「新しい長がローラゲイスからやってきたときに」は、上述の通り、正確な原文を確定させられる状況に至っていないため、一つの可能性としては許容されるだろう。

 山根訳について。
 2行目 「九のアリアン リスボンそしてポルトガル」*5の「ポルトガル」の問題点は上述の通り。
 4行目「そのときの新指導者はロラーグの怪物」も、上述したように原文を確定させられない以上、一つの可能性としては許容されうる。

信奉者側の見解

 ほとんど全訳本の類でしかコメントされてこなかった詩篇である。ゆえに、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)アンドレ・ラモンロルフ・ボズウェルジェイムズ・レイヴァーといった20世紀前半までの諸論者の著書には載っていない。
 その時期に唯一コメントしていたテオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、描かれているラングドックの諸都市がポルトガルと同盟を結ぶことになる予言という、漠然とした解釈しかつけていなかった。

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、2行目の Arriens をアーリア人種と結びつけ、ヒトラーのアーリア人種優越思想と結びつけた*6

 エリカ・チータム(1973年)は中世のアルビジョワ十字軍を回顧的に示した可能性を挙げていたが、その日本語版では、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)とする解釈に差し替えられた*7

 セルジュ・ユタン(1978年)は、ナポレオン軍のイベリア半島での敗戦などと解釈した*8

同時代的な視点

 上で述べたチータムの解釈は、明らかにエドガー・レオニの解釈を基にしたものである。レオニは、この詩が南仏の異端、アルビ派の掃討に繰り出したアルビジョワ十字軍の描写の可能性を示し、その十字軍にポルトガル人の傭兵も参加していたのではないかとした。

 ピーター・ラメジャラーは、ノストラダムスと同時代のフランス南西部の特定できない事件についてではないかとし、アッリアノスの作品から借用されたモチーフが含まれている可能性も示した*9


【画像】 アッリアノス 『アレクサンドロス大王東征記〈上〉』

 当「大事典」でもいささか強引ながら、解釈を一つ追加しておこう。
 トゥールーズは、ノストラダムスが他の詩篇でもプロテスタントの影響の強い都市として描いていることから、16世紀当時のプロテスタントの広まりと、かつてのアルビ派を重ね合わせている可能性は十分に考えられる。

 そして、ノストラダムスが生きていた当時、「アリウス派」 と蔑まれていた一派があった。それがポーランド兄弟団 (Bracia polscy, ポーランド同胞教団) である。この一派は元はカルヴァン派の流れを汲んでいたが、反三位一体などを掲げ、1562年から1565年にかけての宗教会議の結果、カルヴァン派とは袂を分かった。反三位一体を掲げていたことから古代の異端と結びつけて、アリウス派 (アリアニン派, arianie) とも呼ばれていた。
 ノストラダムスはこの派の過激な思想がフランス南西部のプロテスタントの動きと結びつくことに懸念を抱いたものの、アリアニン派の活動地域をポーランドではなく、ポルトガルと取り違えていたのではないだろうか。

【画像】関連地図


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詩百篇第10巻
最終更新:2018年11月29日 01:25

*1 DMF

*2 Lemesurier [2010] p.257

*3 Sieburth [2012] p.267

*4 大乗 [1975] p.285。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 山根 [1988] p.317。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Roberts (1947)[1949]

*7 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990], チータム [1988]

*8 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*9 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]