原文
Persecutee sera de Dieu
1 l’Eglise
2,
Et les sainctz
3 temples
4 seront
expoliez5:
L’enfant
6 la mere mettra
nud en chemise,
Seront Arabes aux
7 Polons8 raliez
9.
異文
(1) sera de Dieu : de Dieu sera 1650Le 1668, sera de dien 1672
(2) l'Eglise : l'eglise 1557B 1590SJ
(3) sainctz : fainctz 1628, Saints 1672
(4) temples : Temples 1591BR 1597 1600 1610 1611 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1672 1840
(5) expoliez : expollez 1557B, expolués 1800AD
(6) L'enfant : L'Enfant 1672
(7) aux : au 1672
(8) Polons : polons 1588-89, Polous 1649Xa, poullons 1716
(9) raliez 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1590SJ 1605 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1772Ri 1800AD : ralliez T.A.Eds.
日本語訳
神の教会が迫害されるだろう。
そして聖なる殿堂群が掠奪に遭うだろう。
母親は幼子を肌着一枚にするだろう。
アラブ人たちはポーランド人たちと再び一つにまとまるだろう。
訳について
1行目は「教会が神によって迫害されるだろう」と読むことも可能であり、17世紀に語順を入れ替えた異本が複数登場したのも、そういう読みを想定したものだろう。しかし、
エドガー・レオニ、
ピーター・ラメジャラー、
リチャード・シーバースが一致して the Church of God と英訳し、
ジャン=ポール・クレベールもそのように釈義している以上、当「大事典」としては、あえて奇抜な読みに走る必然性に乏しい。
なお、「神の教会」という語は、『新約聖書』でも「コリント人への第一の手紙」および「コリント人への第二の手紙」の各冒頭などに見られる (当「大事典」は、聖書の訳語について原典に遡って検証する能力を持たないが、「神の教会」という訳語は新共同訳、岩波聖書翻訳委員会訳、田川建三訳、フランシスコ会聖書研究所訳、新改訳のいずれにも見られる)。
2行目「聖なる殿堂群」は「キリスト教の聖堂(教会)群」のこと。ノストラダムスはしばしばこの表現を使っている。なお、1行目と重出するようだが、1行目の「神の教会」は建物ではなく、本来の「神が諸国の民の中から選びだし、召し集めた群れ」、つまりキリスト教信徒の共同体の意味のほうであろう。
3行目の直訳は「母親は幼子を肌着姿の裸にするだろう」だが、冗長であるし、
マリニー・ローズも指摘するように、この場合の nud はむろん全裸を指すものではないということでもあるので意訳した。nud en chemise はノストラダムス固有の表現ではなく、当時はピエール・ド・レトワルにも使用例があるらしい。なお、中期フランス語では mettre ... en chemise は「・・・を窮乏に陥れる、物乞いを余儀なくさせる」(le réduire à la misère, à la mendicité)を意味する成句だった。
当「大事典」は
ピーター・ラメジャラー、
ジャン=ポール・クレベールの読み方に従ったが、
エドガー・レオニ、
リチャード・シーバースは逆に幼子を主語、母親を目的語にしている。
4行目 raliez は普通 ralliez と同一視されるので、ここでもそれで訳した。ただし、中期フランス語では「盛大にもてなす」(festoyer)の意味を持つ ralier という語があり、それを採用する場合、「アラブ人たちはポーランド人たちに盛大にもてなされるだろう」という意味になる。
既存の訳については、
大乗訳も
山根訳も、細部に疑問もなくはないが、おおむね許容範囲であろうと思われる。
信奉者側の見解
テオフィル・ド・ガランシエールは歴史的にキリスト教会が迫害されてきたこと一般と結び付けつつ、最後の行は、トルコとポーランドの間に成立した1623年の講和と解釈した。
1790年のドドゥセのパンフレットでは、未来に起こる悲惨な出来事の予言として紹介されている。
マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、ごく近い未来にムッソリーニの政権が終焉した後に、アラブ勢力が流入してくることと解釈した。なお、彼は
Polonについて、古代のポーランドがユダヤ人を多く受け入れたことを元に「ユダヤ人」のことと解釈した。1975年の著書ではムッソリーニ関連の詩篇の後ではなくなり、なおも近未来におけるアラブ勢力のヨーロッパ侵攻とされた。なお、Polon に関する脚注は維持されたが、訳語は「ポーランド人」(Polonais) に直されている。
アンドレ・ラモン(1943年)は、Polon をユダヤ人とするなど、フォンブリュヌの当初の解釈を下敷きに、未来の異教徒たちについてと解釈した。
マックスの息子の
ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、1980年のベストセラーでは、ごく近い未来に起こる第三次世界大戦の一場面と解釈していたが、晩年の著書では1981年のポーランド情勢(「連帯」のレフ・ワレサらの活動に対し、ヤルゼルスキ政権が非常事態を宣言した)とする解釈に差し替えられた。
ロルフ・ボズウェル(1943年)は、解釈当時のポーランドで、ナチス・ドイツ軍が展開したカトリック教会などへの迫害と結びつけた。
エリカ・チータムは当初の著書(1973年)では一言もコメントしておらず、後の著書(1989年)でも、未来の予言かもしれないという漠然とした解釈にとどまった。
セルジュ・ユタン(1978年)は、共産主義圏の宗教弾圧に関する予言と解釈した。
ボードワン・ボンセルジャンの補訂では、16世紀末のポーランドが非常に広大なものであったという指摘に変わっているが、特定の事件とは結び付けていない。
ヴライク・イオネスク(1987年)は、ポーランドに代喩される共産主義圏におけるキリスト教的価値の否定(1、2行目)や民衆の困窮(3行目)、アラブ系テロリストに向けた共産圏による武器供与などといった、20世紀後半の共産主義諸国家の様子の概観と解釈した。
同時代的な視点
ポーランドは1368年にリトアニア大公ヨガイラとポーランド女王ヤドヴィガの結婚以来、ほぼ一貫して同君連合となっており、ノストラダムスが生きていた時代にもヤギェヴォ家(ヨガイラ家)による両国の統治が続いていた(むろん、それぞれの国土は現在よりも広い)。ゆえに、想定されている「ポーランド」は、現在よりもはるかに広い東ヨーロッパの地域を指している可能性がある。
実際のところ、『ティブルティナ・シビュラ』はそれほどではないが、『
偽メトディウス』では、「イシュマエルの末裔」(アラブ人)の侵略は強調されている要素のひとつである。宮本陽子による、その第11章の要約の一部を引用しておこう。
「ペルシアのみならず、アルメニア、シチリア、シリア、ギリシャ、ルーマニアそして地中海の島々も彼らに征服され、これらの民は過酷な徴税、飢饉、疫病、そして東方、西方、北方におけるさらなる侵略に苦しむであろう」
「彼らは粗野にして残酷で、征服された者たちを嘲弄し、婦女子を殺戮し、聖職者を虐殺し、教会を掠奪するだろう」
確かにこうした予言を下敷きにしている可能性はあるだろう。それでなくとも、当時、オスマン帝国がヨーロッパの領土を蚕食し、ハンガリーやウクライナ南部を勢力下においていた。ゆえに、そのままポーランドをも手中に収めかねないという危惧をノストラダムスが抱いたとしても、何の不思議もないように思われる。
コメントらん
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最終更新:2014年11月01日 01:49