最終解読者としてのセザール・ノストラダムス

最終解読者としてのセザール・ノストラダムス

 ノストラダムスの予言を信じる立場の論者には、『予言集』の第一序文、すなわち「セザールへの手紙」の真の宛先は、ノストラダムスの実子セザール・ド・ノートルダム(1553年 - 1630年?)ではなく、セザールの名に仮託した予言の最終解読者であると信じる者たちがいる。

 しかし、原文に即して考える限り、そのような解釈を支持すべき根拠はない。

出典

 日本で広く用いられてきた大乗和子訳では、「セザールへの手紙」の末尾に近いくだりは、こう訳されている。

  • 「息子よ、この手紙を、父ミカエル・ノストラダムスの贈物として受けよ。四行連句になっている予言を、不死なる神に祈りながら、ひもとくことを私は望むのだ」 *1

 また、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの邦訳書では、同じくだりがこうなっている。

  • 「この手紙を終えるにあたって、わが子よ、おまえの父親ミシェル・ノストラダムスのこの贈物を受け、願わくは、ここに収められた四行詩から成るそれぞれの予言を世に知らしめんことを」 *2

 なるほど、これらの訳に直面すれば、ノストラダムスはセザールに対し、予言を広めたり解読したりすることを望んでいたと理解するのはむしろ自然といえよう。

 しかし、これらは適切なものではない。初版に基づく正しい原文は以下の通りである。

  • Faisant fin mon filz, prens donc ce don de ton pere M. Nostradamus, esperant toy declarer une chacune prophetie des quatrains ici mis.
  • 我が息子よ、終わりに当たって、お前の父 M. ノストラダムスのこの贈り物を受け取ってほしい。ここに含まれているそれぞれの予言四行詩をお前に明かしてやれる(日が来る)ことを望みつつ。

 併記した日本語は当「大事典」で付けたものだが、これが原文の歪曲ではない根拠として、参考までに、テオフィル・ド・ガランシエール(17世紀の信奉者)、チャールズ・ウォード(19世紀の信奉者)、エドガー・レオニ(現代の懐疑派)、ピーター・ラメジャラー(現代の翻訳家)、リチャード・シーバース(現代の仏文学者)という時代も立場も違う5者の英訳を掲げよう。
  • making an end here, my Son, accept of this Gift of thy Father Michael Nostradamus, hoping to expound to thee every Prophecy of these Stanza's, *3 (ガランシエール)
  • Making an end here, my son, take now this gift of thy father, Michael Nostradamus, hoping to expound to thee each several prophecy of these quatrains here given, *4 (ウォード)
  • I make an end here, my son. Take now this gift of your father, Michel Nostradamus, who hopes to explain to you each prophecy of the quatrains included here. *5 (レオニ)
  • To bring this to a close then, my son, take this gift from your father M. Nostradamus, who hopes to explain to you [one day] every one of the prophecies set out in these quatrains. *6 (ラメジャラー)
  • To bring this to a close, my son, accept this gift from your father M. Nostradamus, in the hope that one day he might explain to you each of the prophecies included here. *7 (シーバース)

 当「大事典」の翻訳が曲解でないことは、中学英語程度の読解力をお持ちの方なら誰にでも、容易にご理解いただけることだろう。

 大乗訳の底本はヘンリー・C・ロバーツだが、ロバーツの英訳はガランシエールのほぼ丸写しである。ゆえに、大乗訳は単なる誤訳だと分かる。
 フォンブリュヌの方は厄介で、実は原文自体が en souhaitant que tu fasses connaître chaque prophétie mise ici dans chaque quatrain. *8 と改竄されている。これならば確かに上に引用したような訳になるが、このような改竄を支持しうる実証主義的な根拠は何も存在しない。

 以上から、最大の根拠といえるくだりが事実に反しており、実際に原文に依拠する限りでは、セザールは予言を自力では解読できない者と位置づけられていることが明らかである。
 ネイティヴのフランス人であるフォンブリュヌが、わざわざ原文を大幅に改竄せざるをえなかったという事実、それはとりもなおさず、「セザール=最終解読者」という仮説が、そのような改竄なしに成立しない仮説であることをはっきり示しているといえるだろう。

 なお、浅利幸彦は大乗訳に登場する 「それゆえ息子よ、お前の感じやすさにもかかわらず、後に起こった事柄を理解し、天の光や予言の霊によって語ってほしいのだ」 というフレーズも根拠としているが、これも誤訳である。煩瑣になるのでここでは扱わないが、姉妹サイトの「セザールへの手紙・対訳」の第31節の注釈が実質的な回答になっているので、興味ある向きはそちらをご覧いただきたい。

信奉者的解釈の歴史

 当「大事典」では、誰がこのような説を言い出したのか、特定できていない。
 しかし、少なくともダニエル・ルソの『ノストラダムスの真正なる遺言』(遅くとも1975年までに公刊)には、何人もの注釈者が実子セザールではなくノストラダムスの霊的な息子に捧げられたものと判断している旨の記述がある *9 。ゆえに、それ以前から海外に存在していた俗説なのは確かだろうが、エドガー・レオニ(1961年)はこうした説について、セザールへの手紙の注釈の中でも特に注記していない。

セザールを自称した論者の例





  • ミカエル・ド・セザール(未作成)
    • 霊能者を自称する日本人のペンネーム。セザールを「転生の名」と称し、前出の『セザールへの手紙』の結びの部分を自分が継承したことを宣言した *12

コメント

 姉妹サイトの「セザールへの手紙・対訳」に明記したことの繰り返しになるが、「ノストラダムスがセザールを解読者と位置づけているという『設定』が通用するのは、あくまでも誤訳に基づいたり、都合のよいところだけを拾い読みして拡大解釈したからに過ぎない。そのような『設定』をこの序文は一貫して拒絶している」。

 ノストラダムスは「セザールへの手紙」の中で、一貫してセザールには予言能力もないし、残した予言を読み解く力もないと述べている。それはおそらく、自身のミスチフィカシオン (他人を煙に巻くこと。ノストラダムスは公刊した文献だけでなく、顧客への手紙の中でも、様々なガジェットを持ち出していたことが明らかになっている) の巻き添えで、セザールが弾圧されるような事態を避けたい気持ちが強かったのではないかと思われる。

 もちろん、1歳半にもなっていなかったセザールに直接語りかけたというよりも、別の人物に向けて自身の予言観・未来観を開陳する中に、セザール擁護のコメントをちりばめたと見ることは可能であろう。
 しかし、その場合の別の人物は広く「読者一般」などであったろうし、未来の最終解読者であるとする根拠など何もない。ノストラダムスは自身の予言を適切に読み解いてくれる人物の出現を期待する文言など残していないし、むしろそれと逆のことすら明言している。

  • 「予言的四行詩の大部分は難物であるがゆえに、人々はそこに道筋をつけることも出来ないでしょうし、どれひとつとして解釈することも出来ないでしょう」(アンリ2世への手紙、第9節)

 このフレーズの唯一の例外は、ノストラダムス自身が解釈する場合だけである(同、第90節)。

 そうである以上、「ノストラダムスの霊から助言された」というようなことを主張する輩ならば、まだ筋が通らないわけではない。それは馬鹿げた主張に思えるが、その主張自体に論理的な反論を加えることは無理だからである。しかし、そのように主張する論者が「自分がセザールだ」と主張しだしたら、インチキだと判断して差し支えないだろう。ノストラダムスの霊から助言されておきながら、本人の書き物(それも、「出典」の節で詳しく述べたように、中期フランス語どころか、現代の中学英語レベルの知識で確認できるもの) すら正しく把握できないなどというのは、滑稽極まりないからである。


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