偽メトディウス

  偽メトディウス (Pseudo-Methodius) は、7世紀後半にシリアで成立した予言書の著者とされる人物であり、しばしばその作品自体が『偽メトディウス』と称される *1
 4世紀のギリシア教父メトディウス (パタラのメトディオス、オリュンプスのメトディウス) に帰せられているが、偽書であることがはっきりしている。
 しかし、中世期から近世にかけての影響力は絶大であり、宗教史家のバーナード・マッギンは、流布した範囲と影響力の点で、『ヨハネの黙示録(未作成)』に次ぐ黙示文書であったと評価している *2 。また、「ビザンツ黙示文学の最高峰」という評価もある *3

【画像】 『メトディウス予言書』1497年版 *4

題名

 前述のように作品そのものが『偽メトディウス』と呼ばれることがある。英語圏ではしばしば 『黙示録』(Apocalypse) や 『啓示集』(Revelations) と呼ばれている。

 シリア語版の冒頭は未詳だが、ギリシア語版の冒頭には「パタラの殉教した司教であり我らが聖なる教父メトディウスの異教の民族に関する正確な講話、ならびにアダムとともに始まり世界終焉へと至る終末の正確なる明示」とある。ラテン語版はもっと簡潔に「諸国民の王国と終末の確かな明示に関するパタラの司教聖メトディウスの講話を始める」とある *5

成立年代

 7世紀後半のシリアであることは異論がない。
 ただし、細かく年代を絞ろうとすると、従来は665年ごろから680年ごろまで幅があった *6 。それらの従来の年代推定が主にラテン語版に依拠していたのに対し、シリア語版をもとに685年から692年までとする新たな説も登場している。
 シリア語版には1週間のように7年を1単位とする年代(「週年」と訳されることもあるが、ここでは便宜的に 『 』 をつけて『週』と表記) が登場しており、イシュマエルの末裔(=アラブ人、後述)の支配が10『週』続くだろうと書かれている (ギリシア語版、ラテン語版は誤訳されており、普通の「週」で7週続くという意味不明な記述になっている)。これをヒジュラ(聖遷、622年)から起算すると、10『週』目が685年から692年となり、この『週』が終わる前に書かれたと推測できるわけである *7

背景

 7世紀後半のシリアおよび周辺地域は、イスラーム勢力の進出にさらされていた。ダマスクスの陥落は635年のことであり *8 、669年から677年には東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルも攻囲され、692年には皇帝ユスティニアヌス2世の軍がイスラーム軍に屈した *9

 こうした危機的状況で、シリアのキリスト教徒たちを慰め、励ます意図で書かれたと考えられており、まずシリア語版が成立した。ギリシア語訳はそれからほとんど間をおかずに作成されたと考えられているが、ラテン語版はそれから少し経って(しかし遅くとも727年までに)作成された *10 。西ヨーロッパもまた、イスラーム勢力の進出に脅威を感じており (トゥール・ポワチエ間の戦いでひとまず食い止めるのは732年のことである)、受容されやすい時代状況だったのである。その後、スラブ語版を含めて数多くの言語に翻訳された。

構成

 全14章の構成で、天地創造から終末に至る歴史を概観するものになっている。未来の描写になっているのは第10章からで、一般にそこからが「第二部」とされる。

 当「大事典」の関心はもちろん第10章以降なので、そこに的を絞って紹介しておくと、以下のようになる。

 第10章の冒頭は過去に関する事後予言であり、続く記述が的中するように認識させる働きを持っている *11 。続く予言の下敷きになっているのは聖書の中でも『テサロニケの信徒への手紙 二』第2章であり、しばしばその節が引用されている。余談にはなるが、聖書学者の田川建三は、この第二テサロニケ第2章3節について「新約聖書の終末論と言っても千差万別、それぞれの著者によってずい分異なるが、実は、古代末期からずっと中世を通って近代にいたるまで、ヨーロッパのキリスト教徒が考える終末論の基本のモデルは第二テサロニケ書簡のこの個所であった。新約の文書の中でも最も目立たない文書の一つであるこの文書が、実はその点で非常に大きな影響を与えたのである」 *12 と指摘している。

 第10章6節以降、第11章にかけて、イシュマエルの末裔の侵攻が語られる。イシュマエルの末裔はアラブ人だが、「一六世紀末に到るまで、ヨーロッパ人はアラブ人、サラセン人、トルコ人の間に区別を知らない」 *13 という点には、若干の注意が必要だろう。
 さて、その侵攻の原因と位置づけられているのはキリスト教徒たちの性的な罪業であり、それがゆえに神はイシュマエルの末裔の侵攻を咎めない。彼らはまずペルシアを滅ぼし、ビザンティンを攻め、地中海世界の各地、すなわちシリア、アルメニア、ギリシア、ルーマニアやシチリア島をはじめとする島嶼を攻略し、殺戮や掠奪を尽くす。

 第12章は比較的短い章で、『新約聖書』のパウロ書簡(擬似パウロ書簡を含む)などを適宜引用しつつ、終末における背教や離教がいかに罪深いかについて、厳しい警告を発している。

 第13章は第11章の続きであり、冒頭でイシュマエルの末裔の侵攻が語られるが、一部後代の挿入と思われる予言を挟んで、これを打ち破るローマ人の王の予言が続く。この王はイシュマエルの末裔を滅ぼし、荒廃した国々を復興するが、今度はアレクサンドロス大王によって封じ込められていた「不浄の民」(これは『ヨハネの黙示録』のゴグとマゴグに触発されているらしい)が攻めてくる。この「不浄の民」は神が使わした軍勢によって滅ぼされ、それをふまえてローマ人の王はエルサレムへと赴く。

 第14章では、ローマ人の王がゴルゴタの丘にて昇天することが予言される。しかし、そのあと、「滅びの子」(本来的意味はともかく、この場合はいわゆる反キリスト)が出現し、さまざまな奇跡を起こして人々を惑わす。これに対して神はエノクとエリヤを派遣し、その偽りを暴く。その後にイエス・キリストの再臨を迎え、幕を閉じる *14

 ポイントは「ローマ人の王」で、これは中世に広まった、いわゆる世界最終皇帝のモチーフが登場する最古の例とされる *15ティブルのシビュラが仮に4世紀の作成で、当初から世界最終皇帝の予言を含んでいたのだとすれば、それが最古になる。しかし、その点は立証されていない)。

【画像】 ゴルゴタの丘に臨む「ローマ人の王」(1497年版『メトディウス予言書』の木版画) *16

校訂と翻訳

 1898年のエルンスト・ザックルの校訂版は評価が高く、プロヴァンス大学教授のカロジらのフランス語訳(第10章以降のみ、1999年)もザックル版を底本にしている。しかし、ザックルの校訂版はラテン語版に基づくものであった。


【画像】Carozzi & Taviani-Carozzi, La Fin des Temps

 シリア語版やギリシア語版の研究も進んでおり、ギリシア語、ラテン語両版については、Grant MacEwan大学助教授のベンジャミン・ガースタッドによる英語対訳版も刊行されている(『アレクサンドロス世界年代記』が併録)。これは、2012年に刊行された後、誤りを訂正した再版が2014年に行われている。


【画像】Benjamin Garstad, Apocalypse of Pseudo-Methodius. An Alexandrian World Chronicle (Dumbarton Oaks Medieval Library)

 日本では
  • 宮本陽子「中世ヨーロッパにおける終末論的イスラム解釈の形成と発展」『史学』第58巻第3・4号
の中に、10章以降についてのまとまった要約がある。
 それが貴重な貢献であることは論を俟たないが、全訳した論者はいないようである。当「大事典」としては、たとえば講談社学術文庫の『西洋中世奇譚集成』シリーズなどに収録されて、しかるべき専門家による全訳が登場してくれることを強く望んでいる。

 とりあえず、当「大事典」で偽メトディウス本文を引用する場合、ある時期までに作成した記事ではカロジらの仏訳から、ある時期以降の記事ではカロジらの仏訳とガースタッドの英訳の片方または両方から、日本語に転訳している(具体的な出典は各記事に記載)。なお、ガースタッドの英訳はギリシア語、ラテン語それぞれに付いているが、西欧で流布し、ノストラダムス自身が参照しえたのは明らかにラテン語版のほうなので、原則としてギリシア語版は考慮しない。

ノストラダムス関連

 偽メトディウスは、ノストラダムスの参考文献となっていたことがほぼ確実な予言アンソロジー『ミラビリス・リベル』(編者未詳、1520年前後)にも、第1章「パタラの司教ベメコブスの書」(Liber Bemechobi Episcopi ecclesie Patarenis) として抄録されている *17 。ベメコブスは明らかにメトディウスの書き誤りもしくは改変であって、内容的には同一である。この底本となったのが、パリのアルスナル図書館所蔵の偽メトディウスの写本(旧サン・ヴィクトル大修道院附属図書館蔵書)であることまで、研究者らによって特定されている *18

 ノストラダムスの予言には、イスラーム勢力のヨーロッパ侵攻のモチーフが頻出する。その結果、たとえば、信奉者のマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は1930年代(すなわち、第二次世界大戦の勃発前)に、近く起こる戦争の後にアラブ諸国がヨーロッパに進行してくるという近未来の戦争を思い描いた。そのような事態は起こらなかったが、息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは亡くなる直前の21世紀初頭においてさえ、近くそのような戦争が起こるという解釈を維持し続けていた。
 このフォンブリュヌ親子ほど長期にわたるものではなくとも、アラブ対ヨーロッパという近未来の戦争を描きたがる論者は日本・海外を問わず、非常に多かった。しかし、そうしたモチーフはノストラダムスの専売特許ではなく、偽メトディウスが描き、中世から近世に広く知られていたモチーフを踏襲したものに過ぎない。

 信奉者の中にも、偽メトディウスとノストラダムスの類似性に気づいた者がいなかったわけではない。19世紀のアナトール・ル・ペルチエはその例外的な論者であるが、彼の場合、偽メトディウスを偽書と見なさず、偉大な君主についての先行する予言と見なしていた *19ヴライク・イオネスクの『ノストラダムス・メッセージII』(1993年)にもその線に沿った言及があったので、日本の信奉者の間でも、メトディウスの名は全く知られていなかったわけではないはずだが、何しろ日本の信奉者はノストラダムスのフランス語原典すらまともに読もうとする論者がほとんどいなかったほどである。関連があるラテン語の予言書に手を出そうなどという論者は見られなかった。


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