ティブルのシビュラ

 『ティブルのシビュラ』(Tiburtina Sibylla) は、伝説上のシビュラの一人であり、その人物に仮託された予言書の仮題でもある。ノストラダムスも『ミラビリス・リベル』を通じ、この予言書から少なからず影響を受けているとされている。

 シビュラとは古代の巫女、女預言者のことであり、伝説上、10人いたとされるシビュラのうち、ティブル (現ティーヴォリ)にいたとされる。
 彼女の予言をまとめたとされる書物は正式名を持たないので、「ティブルのシビュラの託宣(預言)」などと呼ばれることもある。ただし、キリスト教において新約外典などに分類される『シビュラの託宣』とは、まったく別の文書である。
 もちろん、この名称は古代の権威ある巫女に仮託したものであって、真の著者を指すものではない。オリジナルは4世紀に成立したと考えられているが、真の著者がどのような人物なのかは特定されていない。

 ギリシア語版とラテン語版の2系統が伝わっている。もとは同一の底本から派生したと考えられており、基本的な骨格は一致するが、後代の加筆・改変の結果として、その内容にはかなりの差がある。ギリシア語版については、『バールベックの託宣』という別名を与えている研究者もいる。

成立

 『ティブルのシビュラ』の現存する写本はいずれも11世紀以降のものであり、正確な成立経緯が確定しているとは言いがたいが、ポール・アレクサンダーの推論などを軸に組み立てると、以下のようになる。
 まず、4世紀にオリジナルの原本が(おそらくギリシア語で)成立した。根拠となるのは、いくつかの写本に見られるコンスタンティノポリスへの言及で、それが帝都の地位にあるのは60年とされていることにある。コンスタンティノポリスが首都となったのは324年のことで、それから60年以内(つまり、この予言の外れが確定する前)に作成されたと考えられるのである*1

 その直後、現在のラテン語版の祖型となるラテン語訳が作成された。このバージョンではシビュラが託宣を下した場所がアウェンティヌムの丘になっているが、もとはカピトリヌスの丘が舞台であったろうと考えられている。というのは、カピトリヌスは古来、ユピテル神殿でその名が知られていた丘であるのに対し、アウェンティヌムの丘は4世紀にはキリスト教聖堂などが建てられていたからである。つまり、こうした改変には若干のキリスト教化が意図されていたものと考えられている*2
 この後、10世紀から11世紀にかけて大幅な加筆が行われ、いくつかのバージョンが成立した。

 他方、現在伝わるギリシア語版の祖型は6世紀初頭にレバノンのバールベックで作成されたらしい。時期と場所は、その内容からの推定である。まず、ラテン語版に比べると、舞台がカピトリヌスの丘とされるなどの古い要素を残しつつも、事後予言部分に大幅な加筆が見られる。その最も新しい情報が「アナスタシオス」、すなわち東ローマ帝国のアナスタシオス1世(在位491年 - 518年)であり、彼が戦った対ペルシア戦争を読み取れることも時期を絞る上でのヒントになる。
 また、世界で最も大きい神殿や関連する地名への言及などから、バールベックの巨大神殿および周辺地域への土地勘があると推測されている。ポール・アレクサンダーが命名した『バールベックの託宣』の異名は、こうした推測に裏付けられたものであり、彼は502年から506年の間に、バールベックないしその近郊で成立したと位置づけた*3

 その後、アラビア語版や中世のフランス語版の写本も発見されている*4

概要

 その内容は第三者がシビュラとその予言について語ったものとなっており、「ティブルティナ」はプリアモス王の息女にあたる美貌のシビュラの名前とされている。
 彼女がトラヤヌス帝(在位98年 - 117年)の治世にローマに招かれ、アウェンティヌムの丘で夢解釈を行なった。その解釈の対象となった夢は100人の元老院議員たちがある晩一斉に見たというもので、異なる特色を備えた9つの太陽が出てくる夢だった。
 シビュラはその夢を9つの時代を象徴したものと解釈し、それぞれの時代について述べた。第8の時代まではいわゆる事後予言を描写したものであり、第4の世代としてイエスの降誕などについても語られている。
 第9の世代は非常に長いが、明らかに事後予言が大幅に加増されている。4世紀のローマ皇帝コンスタンス1世と思しきCという名の王をはじめ、歴代の君主たちが頭文字で描写され、詳細に語られている。幾らか不明瞭な点があるものの、サリクス族のEという王が11世紀初頭の神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世 (ハインリヒのラテン語名は Henricus で、ここではHが省かれている) であろうところまでは、おおむね歴史上の君主に対応させられている*5。それを継ぐ王 (頭文字が与えられていない) はおそらくコンラート2世とされるが、その描写には終末的様相が混じりこんでいため、多少の疑問もある*6。その後はやや不明瞭な描写や、再び頭文字を使った諸王の描写が挿入されてはいるものの、おおむね現実から離れ、終末へ至る様相が語られている。 
 人間の中で最後に君臨するのが名君「コンスタンス」である。彼はギリシアとローマを112年間に渡って統治し、豊穣の時代を実現する。そして、ユダヤ人をすべて改宗させ、神の敵であるゴグとマゴグをも撃破したあとにエルサレムでその帝位を神に返上する。
 しかし、コンスタンスが去ることで、人々を惑わせていた反キリストが世界を荒廃させ、エルサレムに王として君臨する。彼は神から遣わされたエノクとエリヤを殺害し、キリスト教徒たちに対する大迫害を行うが、大天使ミカエルによって打倒され、最後の審判へと到る*7

 以上のような筋立てを持つ『ティブルのシビュラ』が予言的言説の伝統において持つ意義は、「世界最終皇帝」のイメージを初めて打ち出したことにある*8。本来、「名君コンスタンス」の描写はニカイア信条を支持していたコンスタンス1世の時代に生み出されたものだとされる。本当に4世紀のオリジナルの時点で「世界最終皇帝」のモチーフが描写されていたかには議論があるものの*9、事実ならば、偽メトディウス(7世紀)よりも古い、「世界最終皇帝」に関する最古の予言ということになる。

校訂版と翻訳

 1898年にエルンスト・ザックルがラテン語版の校訂版を刊行した。ラテン語版の校訂版としては、今なお評価が高く、プロヴァンス大学のカロジたちのフランス語訳(1999年)も、埼玉大学教授の伊藤博明の日本語訳(2009年)も、いずれもザックルを底本としている。
 伊藤の日本語訳は、他から借用された部分が省略されるなどしているものの、ほぼ全訳といえるものである。

 ギリシア語版は1949年に初めてその存在が明らかになり、その校訂版はポール・アレクサンダーによって刊行された(1967年)。ギリシア語版については、2014年12月時点では日本語訳が存在しない。

ノストラダムス関連

 ノストラダムスが参照したことが確実視されている編者不明の予言書『ミラビリス・リベル』(1520年前後)の第2章に、「シビュラの予言」(Prophetia Sibylle) の名前で、ラテン語版『ティブルのシビュラ』の抄訳が収められている。
 その底本はフランス国立図書館に現存する複数の写本(旧サン・ヴィクトル大修道院付属図書館蔵書)のようだが、それらだけでは説明できない異文の存在によって、それ以外の散逸した写本を参照した可能性も指摘されている*10

 ノストラダムスの未来描写に影響を及ぼしたとされ、表現面でも、百詩篇第1巻47番では明らかな借用が見られる。おそらくだが、『ミラビリス・リベル』の各文書の中では、偽メトディウス(第1章)、天啓大要(第18章)とともに、中心的な影響を及ぼしているものと思われる。
 なお、前述のように『ティブルのシビュラ』にはギリシア語版とラテン語版があるが、『ミラビリス・リベル』に収録されたのはラテン語版の系統に属している。ゆえに、当「大事典」でもギリシア語版の内容はそれほど考慮しない。


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最終更新:2014年12月10日 22:07

*1 Paul J. Alexander [1967], The Oracle of Baalbek, pp.53-55

*2 Alexander [1967] pp.52-53

*3 Alexander [1967] p.47

*4 伊藤、前掲論文、p.4

*5 Carozzi & Taviani-Carozzi [1999], La Fin des Temps, pp.31-32

*6 ibid.

*7 最後の部分の内容紹介に当たっては、主として伊藤博明「ティブルのシビュラ - 中世シビュラ文献の紹介と翻訳(1)」『埼玉大学紀要(教養学部)』第45巻第1号pp.7-12の日本語訳を参照した

*8 ミノワ [2000] p.165

*9 マッギン『アンチキリスト』pp.120-121

*10 Britnell & Stubbs [1986] pp.133-134