原文
Apres la pluie laict
1 assés
2 longuete,
En
plusieurs lieux de Reins
3 le ciel
4 touché
5
Helasquel
6 meurtre
7 de seng
8 pres d'eux
9 s'apreste.
10
Peres
11 & filz
12 rois
13 n'oseront
14 aprocher
15.
異文
(1) laict : de laict 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1672 1981EB
(2) assés : asses 1610 1627 1630Ma
(3) Reins 1555 1840 : Reims T.A.Eds.(sauf : Rhim 1605, Rheims 1611 1650Ri 1668P 1672 1981EB, Rhims 1628 1649Xa)
(4) ciel : Ciel 1649Xa 1672
(5) touché : toucher 1650Le 1668
(6) Helasquel 1555 : O quel T.A.Eds. (sauf : Helas quel 1840)
(7) meurtre 1555 1840 : conflict T.A.Eds.
(8) seng 1555 1840 : sang T.A.Eds.
(9) d'eux : deux 1589PV 1672
(10) s'apreste : s'aprstre 1557U, s'apprester 1600, s'appreste! 1650Le 1668 1981EB, sapreste 1672
(11) Peres : Pere 1605 1611 1628 1649Xa 1672 1981EB
(12) fils : Fils 1672
(13) rois 1555 1557U 1557B 1568A 1590Ro 1840 : Roys T.A.Eds.
(14) n'oseront : noseront 1672
(15) aprocher : approché 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1672 1981EB
(注記)1588-89は第1巻59番に差し替えられており、不収録。
校訂
ピエール・ブランダムールは1行目の la pluie laict を la pluie de laict に、2行目の Reins を Reims に、touché を toucher に、3行目の Helasquel を Helas quel に、seng を sang に、s'apreste, を s'apreste ! に、4行目の Peres と rois をそれぞれ Pere と roi に校訂した(Reims, Helas quel, sang, s'apreste ! については特に注記なしに直している)。
その校訂については、論者によって支持する範囲に違いがある。
ピーター・ラメジャラーは3行目までは受け入れているが、4行目については支持しておらず、1555年版の原文を堅持している。
ブリューノ・プテ=ジラールは2行目までは支持しているが、3行目については1557年以降に登場する O quel conflit を採用し、行末に感嘆符をつけていない。また、4行目については Pere とすることを受け入れる一方、rois を単数形に直すことは受け入れず、1568年版の一部の版以降で登場する Roys とした。
リチャード・シーバースはプテ=ジラールの校訂をほぼ踏襲したが、3行目の行末に感嘆符をつけている。
以下は当「大事典」の見解だが、3行目まではブランダムールの読みが最も妥当であろう。O quel conflit という改変はノストラダムスの生前になされており、確かに彼自身が改訂した可能性も否定はできない。
しかし、この詩は3行目が長いのである。実際、初出である1555年版では s'apreste を行内におさめきれず、s'apre まで3行目に書き、次の行の最後に (ste と繋げている。そこで1557年版では Helas (ああ) を O (おお) に書き換えて行を短くした代わりに、1音節少なくなったことを補うために meurtre (1音節)を conflit (2音節) に差し替えたのだろう。これは作詩上の都合というよりも印刷上の都合というべきものであって、ノストラダムス本人に帰する改変の可能性は低いと思われる(現存する
ジャン・ブロトーからの書簡などからすると、ノストラダムスが出版業者の意向を受けて原稿に手直しすることはあったようである。しかし、印刷業者がこうした個々の詩の印刷上の都合まで、逐一著者の確認をとっていたとは考えづらい)。
日本語訳
かなり長引く乳の雨の後に、
ランスの多くの場所に天が触れる。
ああ、それらの近くではどれだけの流血の殺人が準備されることか!
国王たる父君もその令息たちもあえて近づかないだろう。
訳について
全体として
ピエール・ブランダムールの校訂と釈義を踏襲した。
2行目の 「天が(地面に)触れる」 は落雷の隠喩である。
plusieursは例によって「いくつかの」から「多くの」まで、訳の範囲が広い。
3行目は広く流布してきた O quel conflict... の場合、「おお、それらの近くではどれだけの流血の紛争が準備されることか!」 となる。しかし、繰り返すが、こちらの原文を積極的に採用すべき理由に乏しい。
4行目はブランダムールの釈義を踏まえたものだが、依拠する底本の違いもあり、比較的信頼できる論者の間でも読みがかなり割れている。
ジャン=ポール・クレベールは訳が難しいとした上で、ブランダムールの釈義を紹介するにとどまった。
エヴリット・ブライラーは「父たちも息子たちもあえて王たちにはあえて近づこうとしないだろう」とした。
ピーター・ラメジャラーは「父たちも息子たちも王たち(でさえ)もあえて近づこうとしない」とした。
リチャード・シーバースは「国王の父も息子もあえて進もう (advance) としない」とした。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳については、おおむね許容範囲だろう。
3行目 「なんと血なまぐさい戦いがかれらに仕組まれていることか」は、少なくとも O quel conflict になっている底本に基づく訳としてはほぼ問題ない。問題は上述の通り、O quel conflict という異文に正統性を認められるかどうかである。
4行目「父 息子 王たちは近づく勇気もないだろう」は上で紹介したラメジャラーの読みとほぼ同じであり、一つの読みの可能性としては勿論許容される。
山根訳について。
2行目 「ランスのいくつかの場所が雷に撃たれる」は、上述の通り、「天が触れる」の隠喩を意訳して取り込んだものだろう。
3行目については大乗訳と大差ないので、大乗訳へのコメントがそのまま当てはまる。
4行目「父たちと息子たちの王には近づく勇気がなかろう」は、一つの読み方としては許容されるだろう。
信奉者側の見解
エリカ・チータム(1973年)は
次の詩と関連付けただけで他に何もコメントしていなかったが、
その日本語版(1988年)では「乳の雨」を放射能汚染とし、フランス北東部に核戦争の危機が迫っているという解釈に差し替えられた。
セルジュ・ユタン(1978年)は、1792年夏にフランス革命に干渉する諸国がフランス北東部に侵攻したことと解釈した。
同時代的な視点
水以外のものが雨として降る現象は古来 「驚異」(超常現象) のひとつと言われていた。「乳の雨」にしても、ユリウス・オブセクエンスの『驚異について』だけでも、紀元前165年、130年、125年、124年、118年、117年、111年、108年、106年、104年、95年、92年に、
ローマをはじめとする各地で降ったことが記録されており、特に紀元前111年の乳の雨は3日間降ったとされている。これらの記録がどこまで事実を反映したものかはともかく、そうした言説が広く知られていたということである。
2行目の落雷とあわせ、乳の雨は3行目に描写されている殺人を告げる凶兆となっていることはほぼ疑いないところであろう。
4行目のつながりが不明瞭ではあるが、ランスはフランスの歴代国王が戴冠式を挙行してきた都市であり、王族とも結びつきが深い。そして、
ピエール・ブランダムールはそのことから、王族に直接関わる災厄の予兆となっているのだろうと推測した。
ピーター・ラメジャラーは2003年にはオブセクエンスの記録を紹介しつつ、そうした驚異に『
ミラビリス・リベル』に描かれたイスラーム勢力によるヨーロッパ侵攻のモチーフが重ねあわされている可能性を示していたが、2010年になるとオブセクエンスの記録との類似性を示すにとどまった。
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最終更新:2015年01月21日 23:34