百詩篇第4巻7番


原文

Le mineur filz1 du grand & hay2 prince3,
De lepre4 aura à vingt5 ans grande tache6:
De dueil7 sa mere mourra8 bien triste9 & mince10.
Et il mourra la11 ou12 toumbe13 chet14 lache15.

異文

(1) mineur filz : fils mineur 1594JF 1672, mineurs filz 1611A
(2) hay : aimé 1594JF
(3) prince 1555 1557U 1557B 1568A 1568B 1589PV 1590Ro 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 1840 : Prince T.A.Eds.
(4) lepre : lepere 1649Xa, Lepre 1672
(5) vingt : vint 1594JF, vingts 1716
(6) grande tache : grand tache 1600 1610 1716
(7) De dueil : Du deul 1594JF, Du dueil 1597 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1716
(8) sa mere mourra : mourra 1672
(9) bien triste : triste 1672
(10) mince : minée 1653 1665
(11) la : là 1588-89 1589PV 1594JF 1597 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1649Ca 1649Xa 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668 1716 1981EB
(12) ou 1555 1557U 1557B 1568A 1568B 1590Ro 1605 1840 : où T.A.Eds.
(13) toumbe 1555 1840 : tombe T.A.Eds.
(14) chet 1555 1557U 1840 : chef 1557B 1589PV 1590SJ 1627 1630Ma 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668 1716 1981EB, cher 1568 1588-89 1590Ro 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1772Ri, chair 1594JF 1672
(15) lache : lasche 1588-89 1589PV 1590SJ 1627 1644 1649Ca 1650Le 1653 1665 1668

校訂

 ピエール・ブランダムールは4行目の la ou を là où とし、chet を chef と校訂している。ブリューノ・プテ=ジラールもそれを支持しているが、彼は誤って chef を1555年版の原文としている。
 ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースも異論を唱えていないが、ジャン=ポール・クレベールは chet をそのままとし、choit の揺れと理解した。

日本語訳

偉大だが嫌悪される君主の最も年下の息子は、
二十歳で癩病の大きな染みができるだろう。
悲嘆でその母親はかなり塞ぎこみ、やつれ、死ぬだろう。
そして彼は臆病な指導者の墓がある場所で死ぬだろう。

訳について

 1行目 mineur は現代では「より少ない、より若い」の意味だが、中期フランス語では最上級の意味 (le plus petit) の意味があった*1。この場合はピエール・ブランダムールリチャード・シーバースも最上級にとっているので、それに従った。

 2行目「癩病」(らいびょう)は扱いに注意を要する訳語。「癩病」という病名はかつて差別的意味合いを含み、現代ではハンセン病と呼ぶことが一般化している。
 『聖書』でも口語訳でそのように訳されていた病気(ツァラアト/レプラ)は、現在のハンセン病よりも広い範囲の皮膚病であることなどから、新共同訳やフランシスコ会訳では「重い皮膚病」、新改訳2017年では「ツァラアト」、聖書協会共同訳では「規定の病」と訳されるようになっている。
 反面、聖書に登場するツァラアト/レプラに対する歴史的な差別と、かつての日本での「癩病」の扱いの類似性などを根拠として、新共同訳以降も「らい病」表記を堅持する岩波書店新約聖書翻訳委員会のような立場もあるし、田川建三訳でもあえて「癩病」と表記されている*2
 ノストラダムスのこの詩については、高田勇伊藤進訳でも「癩病」と訳出されている。彼らは詩の訳文で「癩病」、ブランダムールの釈義の訳では「ハンセン病」を採用しており(原書の単語はどちらも lepre / lèpre)、歴史的文脈を踏まえた区別であることが窺える。当「大事典」でも、ハンセン病(に限らず、その他あらゆる病気)に対する差別的意図を表明するものではないが、歴史的文脈において社会的に差別された皮膚病の意味を端的に表現する訳語として「癩病」を採用する。

 4行目 chet はブランダムールの校訂に従い、chef (指導者)と見なしている。lache はブランダムールに倣って lâche と同一視している。lâche は「臆病な」「卑怯な」「緩んだ」などの意味を持ち、高田・伊藤訳では「卑劣な」とされている。反面、もしもこの「指導者」がピーター・ラメジャラーの推測どおりにトマス・ベケットを指すのだとしたら、「卑劣」はネガティヴすぎる評価にも思われる。そこで、あえて「臆病な」とした(ラメジャラーの英訳は cowardly)。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「大きくにくむべき最も若い王子」*3は誤訳。du を無視しているとしか思えない。
 2行目「二十歳にしてらい病にかかり」は、大まかな訳としては間違っていないだろうが、grande tache (大きな染み、斑点)が直接は反映されていない。
 4行目「かれは肉も魂も病のうちに死ぬだろう」も誤訳。肉は chet を chair (肉) と読み替えた結果だろうと見当はつく (ただしロバーツ本の原文は chef が採用されていて原文と訳がチグハグになっている)。しかし、「魂」がどこから出てきたのかが全く分からない (墓を意味する tombe を強引に訳し変えた?)。元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳は And he shall die of the disease loose flesh*4で、大乗訳とはかなり違う。

 山根訳について。
 2行目 「二十歳になると癩病でひどい傷をおう」*5は意訳としては許容範囲かもしれないが、grande tache を「ひどい傷」と訳すことにやや議論があるかもしれない。
 4行目「そして彼もだらけた肉がそげ落ちるとき息をひきとるだろう」は、chet lache を chair lâche (緩んだ肉) と読み替え、墓を意味する tombe (toumbe はプロヴァンス語に引き摺られた綴りの揺れ*6)を「落ちる」を意味する動詞 tomber の活用形と見なせば、一応成立する読み。かつてはエドガー・レオニエヴリット・ブライラーらも類似の読みを示していたが、現代ではピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらはブランダムールに従っているので、一般的とは言えなくなってきている。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、アンリ2世の四男アンジュー公フランソワ(1554年 - 1584年)のことと解釈した*7
 テオフィル・ド・ガランシエールは、アンリ2世の次男シャルル9世(1550年 - 1574年、在位1560年 - 1574年)のことと解釈した*8


 エリカ・チータム(1973年)は、記録上このような描写に該当する王族はいないと指摘するにとどまった*9。後の著書では「癩病」は癌など、別の病気の比喩ではないかというコメントを補足した*10

 セルジュ・ユタン(1978年)は、修道士ジャック・クレマンによって暗殺されたアンリ3世についてとした*11

懐疑的な見解

 アンジュー公、シャルル9世、アンリ3世がハンセン病、あるいはそれと混同された他の皮膚病に感染したことがあったかどうか、あるいはそのような噂が当時あったかどうかについては、当「大事典」では確認できていない。

同時代的な視点

 エヴリット・ブライラーは、フランソワ2世についての見通しだったのではないかと推測した。フランソワはノストラダムスがこの詩を発表した年に11歳の王子だったが、病弱であり、その皮膚に現れた症状が癩病ではないかと疑われたことがあったという*12

 ピーター・ラメジャラーはフロワサールの年代記からと推測し、イングランド王エドワード3世の第四子ジョン・オヴ・ゴーント (1340年 - 1399年) とその家族がモデルではないかと推測した。「臆病な指導者」は12世紀の聖職者トマス・ベケットとし、彼が殺されたカンタベリー大聖堂に葬られたことを指すのではないかという*13


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最終更新:2015年01月27日 01:11

*1 DMF

*2 新約聖書翻訳委員会『マルコによる福音書 マタイによる福音書』巻末p.12、田川建三『新約聖書 訳と註・第一巻』p.166

*3 大乗 [1975] p.125。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 Roberts (1947)[1949]

*5 山根 [1988] p.149。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Brind'Amour [1996]

*7 pp.226, 228, 240, 242

*8 Garencieres [1672]

*9 Cheetham [1973]

*10 Cheetham (1989)[1990]

*11 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*12 LeVert [1979]

*13 Lemesurier [2010]