聖書

 『 聖書 』はユダヤ教とキリスト教の聖典である。ユダヤ教徒はキリスト教徒が『旧約聖書』と呼ぶ部分のみを聖典と認め、『新約聖書』は聖典とは認めていない。キリスト教徒は旧約・新約の双方を認めるが、カトリックだけはユダヤ教徒やプロテスタントが認めていない部分(第二正典。新共同訳の「旧約聖書続編」)を認めているため、『旧約聖書』(ヘブライ語聖書)に含む範囲が異なる。
 イスラームにおいても、旧約の律法書(モーセ五書)と詩篇、新約の四福音書は、クルアーン(コーラン)とともに四大啓典として認められている。ただし、その教義上の位置づけは当然異なり、イエス(イーサー)にしても、あくまでも預言者の一人とされている。

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【画像】 『聖書(新共同訳)・スタディ版』

構成


 旧約、新約という分類はキリスト教徒によるものであり、新約を認めないユダヤ教徒にはそのような区分はない。

ノストラダムス関連

 かつて信奉者たちは、ノストラダムスと聖書の間に直接的な結びつきを想定することが多かった。
 日本人の例だと、五島勉はノストラダムスを聖書預言のアンカーと位置づけていたし、『日本の論点99』でお勧めの関連書として『新約聖書』の『ペトロの手紙二』を挙げていた。
 もっとも、五島はノストラダムスの終末観と重なり合うキリスト教徒の終末観の代表例として『ペトロの手紙二』を挙げていたが、その引用自体が意図的な省略によって歪曲されたものに過ぎなかったことは、浅見定雄(東北学院大学名誉教授)によって指摘されていた *1

 川尻徹は独自の陰謀説(ノストラダムスの予言は、当たるように歴史の流れをコントロールしている組織がいるから当たっているとするもの)の裏づけとして、聖書からもしばしば題材を取り入れていた。ほか、加治木義博はノストラダムス予言を旧約、新約に続く「第三の聖書」と位置づけていたし、飛鳥昭雄は聖書とノストラダムスはいずれも密接に結びついているとしていた。それ以外にも、泡沫的な論者も含め、ノストラダムスと聖書を関連付けて解釈してきた者は多い。
 さらに、志水一夫のような懐疑派寄りの論者にも、ノストラダムス予言と聖書の直接的な関連付けに好意的だった論者はいる。

 確かに、ノストラダムス『予言集』の第一序文「セザールへの手紙」には、「豚に真珠」をはじめ、旧約・新約聖書からのいくつもの引用がある。しかし、その引用のほとんどはジロラモ・サヴォナローラやクリニトゥスからの孫引きである (前後の文章を含めて、彼らの著作から引用されている)。残る箇所は孫引きではないが、『ミラビリス・リベル』で同じ箇所が引用されているなどしており、ノストラダムス自身の独自性が発揮されている余地はきわめて小さい。

 第二序文「アンリ2世への手紙」には、聖書に基づいて天地創造以来の年代を述べるくだりが2箇所ある。また、ヨハネの黙示録(未作成)と重なり合うモチーフが多く出てくることも事実である。しかし、中世には偽メトディウスティブルのシビュラなど、ダニエル書、ヨハネの黙示録、第二テサロニケ書などから派生した予言書が数多く書かれており、ノストラダムスはそれらをまとめた『ミラビリス・リベル』をほぼ確実に読んでいた。
 聖書年代にしても、偽メトディウスやティブルのシビュラに顕著なように、未来を語るためにまず過去の年代記を述べるというパターンは、中世の予言書にも見られた様式であり、 それ自体はノストラダムスの独自性を示すものではない。
 『旧約聖書』の『詩篇』からの引用もあるが、その引用の不正確なことが指摘されている。これは別人の不正確な引用を転載したか、さもなくば本人のうろ覚えによる誤りの可能性も想定できる。

 これらからするならば、(少なくとも間接的なレベルでの影響は認められるだろうし、それ自体を排除することはナンセンスにせよ) しばしば信奉者たちが言い募ってきたほど、聖書に直接的に依拠してきたのかどうかは疑問ではないかと思われる。
 あくまでもノストラダムスと『聖書』との間に、分厚い中世の予言的伝統が挟まっていることを忘れてはならないだろう。


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