原文
Croix, paix
1, sous vn accompli diuin
2 verbe
3,
L'Hespaigne
4 & Gaule
5 seront vnis
6 ensemble.
Grand
clade7 proche,& combat tresacerbe
8:
Cueur
9 si hardi ne sera qui
10 ne tremble.
異文
(1) paix : Paix 1672
(2) diuin : Divin 1672
(3) verbe : Verbe 1611B 1672 1981EB
(4) L'Hespaigne 1555 1557U 1840 : Espaigne 1557B 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668A, L'Espaigne 1568 1590Ro 1591BR 1597 1600 1610 1611 1716 1981EB, L'Espagne 1588-89 1594JF 1605 1627 1628 1630Ma 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1672 1716, Espagne 1668P
(5) Gaule : Gaules 1605 1628 1644 1649Xa 1653 1665 1672
(6) seront vnis : vnis seront 1594JF
(7) clade : classe 1557B 1589PV 1590SJ
(8) tresacerbe : tres-acerbe 1600 1630Ma 1772Ri, tres-accerbe 1610 1716, tres acerbe 1594JF 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1981EB
(9) Cueur 1555 1594JF 1840 : Coeur T.A.Eds.
(10) qui : qu'il 1588-89
日本語訳
十字架は完全なる
みことばのもとで平和に。
スペインとガリアはひとつにまとまるだろう。
大災厄は近く、戦いは極めて過酷に。
動揺しないほどに豪胆な者などいないだろう。
訳について
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目 「受難が神のことばの成就のもと平和になり」の 「受難」は Croix を意訳したものと思われるが、疑問である。確かに、十字架はイエスの受難の象徴なので、そういう意訳も可能だろう。しかし、十字架はそれ自体がキリスト教の象徴にもなっているのだから、とりあえず「十字架」と直訳しておくほうが妥当ではないだろうか。
3行目「戦いが手近になり 非常に激しい戦いになる」 は誤訳。
clade を「戦い」と訳す語学上の根拠が不明である。これは17世紀の
テオフィル・ド・ガランシエールが語学上の根拠を示さずに battle と英訳していたものを、
ヘンリー・C・ロバーツがそのまま転用したことが元になっているが、支持すべき理由がない。
4行目「勇気なくおそれのうちに」 は言葉を端折りすぎだろう。
山根訳について。
1行目 「十字架 平和が神の一言で達成する」は直訳に近いが、このように読む場合、accompli の位置が少々不自然に思われる。
4行目「いかに豪胆な心もおののかずにはいられまい」は許容されるだろう。なお、Cueur (Cœur) は確かに 「心」 の意味なので、直訳として 「豪胆な心」 は正しいが、フランス語の場合、特定の心や性質の持ち主のことも指す。当「大事典」で「豪胆な者」と訳したのはそのためである。
信奉者側の見解
ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は前半を偉大な君主
アンリ2世のもとでスペインなどとフランスが講和したカトー=カンブレジ条約 (1559年) と解釈し、後半は1562年にユグノー戦争 (1562年 - 1598年) が勃発したことと解釈した。
テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、他の登場箇所と同じように
みことばをギリシア語 theologos と同一視して 「神学者」 の意味を導き、有名な神学者が現れ、その統治のもとでキリスト教諸国に平和がもたらされることを1行目で予言しているとした。しかし、残りの部分については「平易」で片付けた。
アナトール・ル・ペルチエ(1867年)は、未来に現れる名君 「偉大なケルト人」 に関する詩の一つと位置づけ、神託が成就される時に訪れる平和と勝利についての予言とした。
マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、近未来に起こると想定していたフランスの王政復古において王になるアンリ5世と、同じく王政復古を実現するスペイン(1931年に共和政になっていた)で新王となるカルロス5世についての予言としていた。なお、この解釈は1975年の改訂版(第12版)でも維持されていたが、奇しくもその年に王政に戻ったスペインで王位に就いた人物が名乗ったのはカルロス5世ではなく、「フアン・カルロス1世」 だった。
そのせいで、ということではないかもしれないが、息子の
ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年のベストセラーでも、晩年の著書でも全く触れなかった。
エリカ・チータム(1973年)はスペイン継承戦争 (1701年 - 1714年) と解釈した。
セルジュ・ユタン(1978年)は、ナポレオン戦争の時期におけるフランス、スペイン関係についての予言とした。
ジョン・ホーグ(1997年)も、その時期のフランスとスペインの関係とする説を中心に解釈していた。
同時代的な視点
ピエール・ブランダムールは前半について、キリスト教徒たちの間では、共通の敵 (おそらくトルコ) に対してフランス王と神聖ローマ皇帝 (この詩が出版された時点では、スペイン王は神聖ローマ皇帝カール5世が兼ねていた) が講和するといった状況が想定されていたと推測したが、後半の戦いについては限定していなかった。
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コメントらん
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- 十字架(クロス)は2016年6月5日のグランドクロスを示しています。1999年クロス信奉者はラッパを吹くでしょう。 -- れもん (2015-12-13 12:43:03)
最終更新:2015年12月13日 12:43