百詩篇第5巻20番


原文

Dela1 les Alpes2 grand3 armée4 passera,
Vn peu deuant naistra5 monstre6 vapin :
Prodigieux & subit tornera7,
Le grand Tosquan8 à son lieu plus propin.

異文

(1) Dela : Delà 1591BR 1597 1611 1628 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1668 1981EB, De là 1600 1610 1627 1630Ma 1653 1665 1716 1840, De la 1605 1649Xa 1672
(2) Alpes : Aldes 1627, Alpres 1649Xa
(3) grand : gand 1589PV, grand’ 1605 1649Xa, grande 1591BR 1597 1600 1610 1611 1627 1628 1630Ma 1644 1672 1981EB, gtand 1665
(4) armée : amour 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1840, Armée 1672
(5) naistra : naistre 1597 1600 1610 1611 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1716
(6) monstre : monstra 1649Xa
(7) tornera 1557U : tournera T.A.Eds.
(8) Tosquan : Toscan 1557B 1649Ca 1650Le 1668 1672

(注記1)1588-89では、3-4-1-2の順で、III-25に差し換えられており、不収録。
(注記2)1590Roは比較せず

日本語訳

大軍がアルプスを越えるだろう。
少し前にヴァパンの怪物が生まれるだろう。
驚倒すべきほど突然に引き返すだろう、
トスカーナの貴人が最も近い彼の土地へと。

訳について

 2行目 vapin は訳の可能性があまりにも多様なため、そのままカタカナで表記した。

 3行目 prodigieux は名詞または形容詞、subit は形容詞だが、いずれも副詞として英訳しているピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースに従い、ここでは両方とも副詞と見なした (中期フランス語では subit は副詞としての用法もあった*1。prodigieux については DMFやDFEにはそういう用法が見当たらず、不明)。

 4行目 lieu は場所一般をさすが、中期フランス語では en son lieu が「彼の土地/領地/故郷で」(chez soi, sur ses terres)を意味した*2。そうした成句も意識しつつ、ここではhis birthplace と訳したラメジャラー、his nearby home と訳したシーバース、son terroir plus proche と釈義したジャン=ポール・クレベールらの読みを踏まえた。
 propin は現代フランス語にない語だが、ラテン語 propinquus に由来する「近い」を意味する語であるという点は、特に異論がない。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「アルプスを越えて大軍がおしよせ」*3は解釈を少々交えすぎではないだろうか。passer を「押し寄せる」と読むのは無理があるように思われる。
 2行目「ほんの少し前に怪獣が生まれ」は、vapinをどう処理したのかが全く分からない。
 3・4行目「とつぜん驚くべき大トスカンが/彼にもっとも近き場所に帰ってくるだろう」は、2行まとめて、より自然になるように語順を調整したのだろうが、「驚くべき」を「大トスカン」に係らせるのは無理があるだろう。

 山根訳について。
 2行目 「そのちょっと前に下劣な怪物が誕生する」*4は、vapin についてのレオニの読み方を踏襲したのだろうから、一つの読み方として許容される。
 3行目「突如として 意外な成り行きで」は、prodigieux を「意外な成り行きで」と訳すことがニュアンスの問題としてやや疑問である。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、vapin について自分には分からないとし、詩全体についても解釈していなかった*5

 アナトール・ル・ペルチエ(1867年)は、1行目をイタリア統一戦争に参戦し、オーストリアに宣戦布告したフランス軍(1859年)と解釈し、当時のイタリア統一運動や、そのときのガリバルディの遠征、およびトスカーナ大公のオーストリア(故国)への亡命と結びつけた*6チャールズ・ウォード(1891年)、ジェイムズ・レイヴァー(1942年)、エリカ・チータム(1973年)、ヴライク・イオネスク(1976年)、ジョン・ホーグ(1997年)らが踏襲した*7。特にイオネスクは vapin は本来 vappin と綴られるべきだとした上で、行全体を GIUSEPPE TRIBU DUXIT IN ASPROMONTE (ジュゼッペはアスプロモンテにその遊撃隊を導いた)とアナグラムした。ジュゼッペとはジュゼッペ・ガリバルディのことである。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、近未来に起こると想定していた、イスラーム勢力のヨーロッパ侵攻による大戦の一場面と解釈した*8
 息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は、父の解釈を継承せず、フランス革命から第一共和政期にかけてのナポレオンらのイタリア遠征と、そこでのトスカーナ大公の追放と解釈した*9
 ナポレオンのイタリア遠征とする解釈は、J.-Ch. ド・フォンブリュヌ以前にも、ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)やセルジュ・ユタン(1978年)も提唱していた*10

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォは、vapinをガップと捉え、ガップでの怪物の誕生と、エステ家やメディチ家などが絡む当時の情勢と解釈した*11
 ジャン=ポール・クレベールも、特に歴史的事件と結び付けているわけではないが、アルプスとの位置関係からして vapin はオートザルプ(オート=アルプ)県の県庁所在地であるガップのことであろうとし、トスカーナの貴人はメディチ家の人物であろうとした*12

 ピーター・ラメジャラーは、monstre vapin を「貪欲な怪物」と解釈し、ラヴェンナの怪物(百詩篇第2巻32番の解説参照)の誕生がモデルになっていると解釈した (ラメジャラーはラヴェンナの怪物の誕生を1513年としているが、1512年が正しい)。当時はフランスがイタリアに遠征しており、1512年にトスカーナの中心都市フィレンツェでは、サヴォナローラによって追放されていたメディチ家が、神聖ローマ帝国の後ろ盾で復権している。


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最終更新:2015年02月28日 10:52

*1 DMF

*2 DMF

*3 大乗 [1975] p.154。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 山根 [1988] p.184。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 Garencieres [1672]

*6 Le Pelletier [1867b] p.275

*7 Ward [1891] p.346, Laver (1942)[1952] p.209, Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990], Ionescu [1976] pp.367-369, Hogue (1997)[1999]

*8 Fontbrune (1938)[1939] p.237, Fontbrune (1938)[1975] p.251

*9 Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] p.165

*10 Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1994], Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*11 Prévost [1999] p.147

*12 Clébert [2003]