詩百篇第9巻100番


原文

Naualle pugne nuit sera superee1,
Le feu aux naues2 à l'Occident3 ruine:
Rubriche neufue4 la grand5 nef coloree6,
Ire à vaincu7, & victoire en bruine8.

異文

(1) superee : supurée 1697Vi 1720To, separée 1716PRc
(2) naues : Naves 1672Ga
(3) à l'Occident : a l'Occident 1568X 1650Mo, à l'occident 1627Di
(4) neufue : noufue : [?] 1650Mo
(5) grand : grad 1650Mo
(6) coloree : coulore 1572Cr
(7) Ire à vaincu : Ire a vaincu 1568X, à vaincu 1572Cr, Ire à vincu 1627Di
(8) bruine : brurine 1627Di

(注記)1650Moの3行目、noufue : は2文字目が o なのか不鮮明だが、e のように右半分が開いているようには見えない。

日本語訳

海戦で夜が克服されるだろう。
艦船に火、西方に破滅。
大きな船は新しい赤色顔料で彩られる。
敗者に怒り。そして勝利は霧に。

訳について

 1行目 superee は superer の過去分詞(女性形)。
 DFEによると、superer は「打ち勝つ、打ち負かす、乗り越える」(to vanquish, overcome, ..., passe, excell)などの意味。
 アナトール・ル・ペルチエエドガー・レオニはラテン語 superatus から導いているが、意味するところは同じである。

 1行目はテオフィル・ド・ガランシエールエドガー・レオニの読み方を踏襲した。
 この読み方は2行目の「火」に直結するという利点がある (つまり、複数の艦船が炎上することで、夜とは思えないほど明るく照らし出されるということを意味する)。
 ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースは(受動態のままか能動態に直すかの違いはあるが)「海戦が夜によって打ち負かされるだろう」と読んでいる。ただし、「海軍」ならまだしも、「海戦」(navalle pugne, 船の戦闘)が「打ち負かされる」というのは表現として不自然ではないだろうか。
 ジャン=ポール・クレベールの釈義では「夜の海戦が敗北をもって終わる」となっている。

 2行目 naves は複数形なので「艦船」、3行目は単数形でなおかつ nef という2行目と別の単語が使われているから(2行目の音読みと区別して訓読みの)「ふね」と訳し分けたが、訳文だけでこの辺りの細かいニュアンスの違いを表現するのは限界がある。

 3行目「赤色顔料」の原語 rubriche は語源からすれば「赤土」がもっとも適切な訳語である。
 ただし、DFEでは鉱物由来の他の赤色顔料なども挙げられているので、より広く訳した。何らかの顔料で赤く塗ることを指すのは確かであろうと思われる。

 4行目 bruine は「霧雨」だが、ピエール・ブランダムールは「霧、靄」(brouillard) と注記しているので、それに従った*1。 

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「火で西の船に破滅が起こり」*2は、言葉の補いようによっては成立するが、前半律の区切り目は naves なので、それをまたぐ「西の船」というつなぎ方に少々違和感がある。
 3行目「新しい策略が色どられた船に」は、確かにrubricheに「策略」の意味があるものの、それは17世紀以降の用法らしいので、ここで採用するのは不適切だろう。
 4行目「怒りは克服され 勝利はもやの中に」は、前半が不適切ではないだろうか。前置詞の直後に過去分詞をとるのは不自然なので、vaincu は「打ち倒される」ではなく名詞の「敗者」の方であろうと考えられる。

 山根訳について。
 1行目 「海戦は夜に打ち勝たれよう」*3は「打ち勝たれる」の主語を「海戦」にするのが不自然に思えるが、前述のようにラメジャラーやシーバースもこの読みを採っている。
 2行目「西洋の破壊された船は炎上し」は意訳にしてもやりすぎではないだろうか。なお、ruine (破滅、廃墟)は、ruiné (没落した、崩壊した)とは微妙に意味が異なる。
 3行目「あらたな策略 色つきの大船」のうち、「策略」の不適切さは大乗訳の場合と同じ。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、ほとんどそのまま敷衍したようなコメントしかつけていなかった*4


 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は近未来の大戦の情景のひとつと解釈しており、1999年7月の少し前に位置づけていた*5
 息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)の解釈もこれに近く、1980年代から始まるはずだった世界大戦の一場面と解釈されていた*6
 もちろん、これは外れたが、彼は晩年になっても、2025年までと時期をずらした上で近未来に起こる東洋と西洋の衝突だと解釈していた*7

 ロルフ・ボズウェル(1943年)とアンドレ・ラモン(1943年)は第一次世界大戦中のユトランド沖の海戦(1916年5月31日 - 6月1日)と解釈した*8

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は漠然とした解釈しかつけていなかったが、その孫のロバート・ローレンスの補訂(1994年)では、湾岸戦争(1991年)の勃発と解釈された*9

 エリカ・チータム(1973年)は日本による真珠湾攻撃(1941年)の予言と解釈した*10

 ヴライク・イオネスク(1976年)はトラファルガーの海戦(1805年)と解釈した。新しい赤(赤土)とは、革命思想を象徴しているという*11
 竹本忠雄はこの解釈を踏襲した*12

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォは、1560年にオスマン帝国の海賊 Pyali Pacha によって、スペイン艦隊が手ひどい損害を受けたことがモデルになっているとした。
 その旗艦は赤く塗られていたという*13

 ピーター・ラメジャラーは『ミラビリス・リベル』に描かれたイスラーム勢力による西欧侵攻と、古代のアクティウムの海戦とが重ねあわされているのではないかとした*14


※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。


コメントらん
以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。
 なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。

  •  アルマダの海戦(1588年8月)とアメリカとの戦争(1898年4月)の二度のスペインの敗北を預言している。トラファルガー海戦とする説は却下。 -- とある信奉者 (2015-03-21 15:28:30)

タグ:

詩百篇第9巻
最終更新:2020年03月31日 00:24

*1 Brind’Amour [1996] p.314

*2 大乗 [1975] p.283。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 山根 [1988] p.314。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 Garencieres [1672]

*5 Fontbrune (1938)[1939] p.275, Fontbrune [1975] p.289

*6 Fontbrune (1980)[1982]

*7 Fontbrune [2006] p.456, Fontbrune [2009] p.67

*8 Boswell [1943] pp.96-98, Lamont [1943] p.131

*9 Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1994]

*10 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*11 Ionescu [1976] p.324

*12 竹本 [2011] p.447

*13 Prévost [1999] pp.184-185

*14 Lemesurier [2010]