百詩篇第8巻89番


原文

Pour ne tumber 1 entre mains de son oncle,
Qui ses enfants par regner 2 trucidez,
Orant 3 au peuple mettant pied 4 sur Peloncle 5
Mort & traisné 6 entre cheuaulx 7 bardez.

異文

(1) tumber 1568 1591BR 1597 1610 1716 : tomber T.A.Eds.
(2) regner : regne 1627, regnes 1644 1650Ri
(3) Orant : Otant 1649Xa
(4) pied : pie 1627
(5) Peloncle : peloncle 1590Ro
(6) traisné : traisne 1568A
(7) cheuaulx : Chevaux 1672

日本語訳

自らの手中に落ちない君主の座のために、
彼の子どもたちを殺してしまった叔父は、
民衆に語りかけ、プロンクルに足を置いて、
(その後に)武装した馬たちの間で引き摺られ、死ぬ。

訳について

 構文理解上はそれほど難しくないのだが、前半を冗長にならないように、出来るだけ直訳調にしつつ、日本語として自然に訳すのが難しい。要するに、ある君主の「おじ」は、そのまま君主の「子どもたち」を生かしておくと自分のところに継承権がめぐってこないので、その子どもたちを殺してしまった、という話である。
 ところが、これを原文どおりに直訳すると
「彼のおじの手中に落ちないため、
君臨するために彼の子どもたちを殺したところの者は」
となってしまう。日本語の場合、2行目の「彼」が1行目の「彼」と重なるのか、1行目の「彼のおじ」を指すのかが曖昧になってしまう上、2行目の関係代名詞 qui が1行目の son oncle を受けていることが伝わりにくいので(語順のせいで2つが大きく離れるため)、何を言いたいのかが伝わりにくいのである。
 そこで上では、2行目の par regner の意味合いを1行目に回しつつ、若干意訳した。なお、この場合の par はしばしばノストラダムスの他の詩篇にも出てくるように pour と同一視されるべきであろう。実際、ピーター・ラメジャラーの英訳では in order to reign *1リチャード・シーバースの英訳では to reach the throne *2 となっている。
 なお、oncle は「叔父」(父母の弟)、「伯父」(父母の兄)の両方の意味があるから、実際にはどちらの意味もありうる。漢字表記する際に 「叔父」 を採用したのは、一般に兄弟では兄に優先的継承権があるのが普通なので、弟の一族に継承された挙句、クーデターに近い手法で君主の地位を簒奪しなければならない兄を描写した可能性が低いからである。もちろん、あえてそのような少ない事例の方を描写している可能性も排除できないので、本来はひらがなで「おじ」としておく方が無難だろう。ここで漢字で書いたのは、ひらがなが続くと読みづらいという都合を意識したものにすぎない (傍点をつけられるのなら、ひらがなで書いて「おじ」に傍点をつけただろう)。

 2行目の動詞は過去分詞(「殺される」)。性・数の一致からも「子どもたちが殺される」と訳す方が自然だが、それだと qui が浮いてしまう。そこで、活用形からすれば少々変則的ではあるが、ラメジャラーもシーバースも単なる過去形として訳出しているので、複合過去の aura が省略されていると判断した。

 3行目は現在分詞なので、2行目に係らせて「民衆に呼びかけつつ、プロンクルに足を置きつつ、彼の子どもを殺してしまった叔父は」とも訳せる。その3行目の Peloncle は不明である。Orant は現代語でも祈祷像などの意味で残っているが、中期フランス語 orer は「祈る」(prier)、「頼む」(demander)、「話す」(dire, discourir) を意味する *3 。orant は orer の現在分詞である。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「彼はおじの手に落ちないかも知れない」 *4 は誤訳だろう。「かも知れない」という意味合いを含む語はない。これは大乗訳の元になったヘンリー・C・ロバーツの英訳で he might not が補われていたためだろうが、この補足自体、根拠が不明である。
 2行目「彼の子供たちを規則にしたがって殺害し」は誤訳。par regner がロバーツの英訳では for to rule と訳されていたのだが、勿論この場合の rule は「規則」ではなく「支配する」の意味。
 3行目「人々からはこびさり 足をはげ頭のうえにおき」はロバーツの英訳のほぼ直訳だが、orant を「はこびさり」(taking away)とする根拠も、Peloncleを「はげ頭」とする理由も、いずれも不明である (ちなみにロバーツの底本になっているテオフィル・ド・ガランシエール版では Peloncle のままになっている)。
 4行目「殺して 馬のあいだをひきずる」も不適切。馬についている形容詞 bardez (ロバーツ本では barbez と誤記)は 「馬に鎧をつける」 などの意味で、大乗訳ではこの単語の意味合いが抜け落ちている。

 山根訳は、おおむね許容範囲内である。

信奉者側の見解

 基本的に全訳本の類でしかコメントされてこなかった詩である。
 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、情景を敷衍したようなコメントしかつけていなかった *5


 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)の解釈は漠然としすぎていて何も言っていないに等しく、それは孫のロバート・ローレンスの補訂(1994年)でもそのままであった。
 エリカ・チータム(1973年)はPeloncleが謎のままであることを告白しただけで解釈はしていない *6

 セルジュ・ユタン(1978年)は数少ない例外で、アンリ4世を暗殺したラヴァイヤックが馬に裂かれる刑で死んだことと解釈したが、peloncleの説明をしていないのは勿論、詩の情景の不一致点の多さについてはコメントしていなかった *7
 ジョン・ホーグ(1997年)もラヴァイヤックには言及したが、詩の情景に繋がらないことは率直に認めていた (彼は特に他の解釈を示していなかった) *8

同時代的な視点

 詩の情景を大まかに述べれば、「おじ」が王位継承権を簒奪しようとして甥たちを殺し、自らの正当性を民衆に訴えるものの支持を得られず、(代わりに即位した新しい王の命令で?)残酷な刑罰で処刑される、といったところだろう。
 エドガー・レオニも指摘していたように、Peloncleがこの詩の唯一にして最大の障壁である。この意味を確定させられないことには、モデルの特定などには到らない。

 結局、ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールらもモデルとなる史実などは見つけられていない。


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