百詩篇第3巻41番


原文

Bosseu 1 sera esleu par le conseil 2 ,
Plus hideux monstre 3 en terre 4 n'aperceu 5 .
Le coup volant 6 prelat creuera 7 l'œil 8
Le traistre au roy 9 pour 10 fidele receu 11 .

異文

(1) Bosseu 1555 1840 : Bossu T.A.Eds. (sauf : Boussu 1627 1644 1653 1665)
(2) conseil : Conseil 1672
(3) monstre : Monstre 1672
(4) terre : Terre 1672
(5) n'aperceu : n'apperçeu 1600 1649Xa, u'apperceu 1627, napperceu 1672
(6) volant 1555 1557U 1557B 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 1672 1840 : voulant T.A.Eds.
(7) prelat creuera 1555 1644 1650Ri 1653 1665 1840 : Prelat creuera 1557U 1557B 1589PV 1590Ro 1649Ca 1650Le 1668, creuera 1568 1590Ro 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1716 1772Ri, prela creuera 1627 1981EB, luy crevera 1672
(8) l'œil : un œil 1672
(9) au roy 1555 1557U 1557B 1589PV 1840 : au Roy T.A.Eds. (sauf : Roy 1590Ro)
(10) pour : Pour 1627
(11) receu : reçeu 1568C 1600 1772Ri, reçû 1716

(注記1)1588-89は百詩篇第1巻83番に差し替えられており、不収録。
(注記2)1630Maは欠落のため比較できず。

日本語訳

傴僂 〔くる〕 が会議で選ばれるだろう。
それ以上に醜い怪物が地上で目撃されることはない。
飛来する一撃が高位聖職者の目を裂くだろう。
売国奴が王に忠臣と受け取られる。

訳について

 1行目 Bossu は「ひどく背の曲がった男」のことで、昔は「せむし」と呼ばれた。「傴僂」 という熟語は、病名として 「くる」 と読むほか、「せむし」 もこの字を当てる。高田勇伊藤進訳では Bossu の訳語として「傴僂(くる)」を採用しており、ここでもそれに従った。
 詩の文脈は2行目が容姿の描写なのだとすれば、かなりこの病気に対して差別的な描写といわざるをえず、それを踏まえるならばあえて歴史的表現として「せむし」の語をあてるのも、一概に否定されるべきでないのかもしれない。
 3行目は 「高位聖職者の目」 と理解するには prelat の位置が不自然にも思えるが、エヴリット・ブライラーピエール・ブランダムール高田勇伊藤進ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースらがいずれもその読みで一致している。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「せむしが議会で選ばれ」 *1 の「せむし」の扱いは上述の通り。
 2行目「地上では決してみられないようなみるも恐ろしい怪物になり」は、aperçu (目撃される) の訳としては意味合いが変わってしまうのではないだろうか。
 3行目「一陣の風が彼の目をつらぬき」は転訳による誤り。元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳では flying blow が使われている。この blow が「風」でなく「一撃」の意味であろうことはフランス語原文の coup から明らかであろう。また、高位聖職者を意味する prelat も訳に反映されていない。

 山根訳について。
 3行目 「狙いすました一撃が彼の目を砕くだろう」 *2 は、山根訳の底本となったチータム本が1568年版に基づいており、これには prelat (高位聖職者)の語が抜けていた上に volant (飛ぶ)が voulant (望む) になっていたため、その訳としては一応許容されるだろうが、そうした原文は明らかに改変されたものであり、ブランダムールをはじめとする20世紀末以降の信頼できる論者は採っていない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「説明の必要なし」とだけ述べていた *3

 ジャン・ル・ルー(未作成)(1710年)はアンリ2世の横死と解釈した。アンリ2世の目を裂いたモンゴムリ(モンゴメリ)伯 (Comte de MONTgomery) の称号には「山」(Mont) が含まれており、背中に瘤が出来ることもある傴僂は、それを指す言葉遊びとした。アンリ2世は目を裂かれたが、高位聖職者 (prelat) は何の関係もなかった。しかし、この匿名の著書では、prelat は第一位のものを示す形容詞的に使われており、ここでは一撃を形容して「第一撃」の意味であると説明した *4 。著者不明の『暴かれた未来』(1800年)はこの解釈を踏襲した *5

 しかし、アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)がこれをノストラダムスの時代のコンデ親王と解釈すると *6 、その線での解釈が整備されていくようになった。この解釈を踏襲したのはアナトール・ル・ペルチエ(1867年)、チャールズ・ウォード(1891年)、ジェイムズ・レイヴァー(1942年)、エリカ・チータム(1973年)、ジョン・ホーグ(1997年)など多数にのぼる *7
 コンデ親王ルイ(1世)・ド・ブルボン (1530年 - 1569年) は小柄で畸形であったとされ、プロテスタントの指導的地位にあった一人として度々国王側に捕らわれたが、恩赦によって放免されていた。しかし、1569年のジャルナックの戦いでは負傷で身動きの取れなくなったところを銃で頭部を狙い打たれて命を落としたのである。

 もっともフランス生まれの解釈ではあるが、あまり20世紀以降のフランス語圏解釈者には引き継がれなかったようで、ル・ペルチエに傾倒していたヴライク・イオネスクも、一切触れていなかった。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は解釈していたが、彼は3行目の高位聖職者の目をローマ教皇の権力の象徴的表現 (目を権力の意味で使うことがあった点自体は、実証主義的研究でも認められている) と解釈し、未来に反キリストが現れた後のローマ教皇の受難を予言したものと解釈していた *8
 しかし、息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年のベストセラーでも、晩年の著作でも、この詩を一切解釈しなかった。

 セルジュ・ユタン(1978年)は、歴史的事件などとの対応は一切示さなかった。これは、ボードワン・ボンセルジャンの補訂でもそのままである *9

 秋津邦彦(1991年)はソ連最後の指導者のミハイル・ゴルバチョフと解釈した。ゴルバチョフの姓は傴僂の子(子孫)の意味であることから、彼と結びつくとしたのである。

懐疑的な見解

 高田勇伊藤進はコンデ親王とする解釈を紹介した際に、3行目の「高位聖職者」と整合しないと指摘していた *10 。「訳について」の節で触れたように、1568年版ではこの語が省かれており、ル・ペルチエが依拠したピエール・リゴー版などでもそれは同様であった。つまり、従来の解釈は不正確な原文の上に成り立っていたことに留意する必要がある。

 なお、ル・ルーの prelat の読み方について、ブランダムールは「わたしにはほとんど説得的に思えない」と一蹴している *11

同時代的な視点

 同時代的な視点に立っても、コンデ親王がモデルの可能性は指摘されている。しかし、ロジェ・プレヴォの場合、1560年代初頭の政治情勢と結び付けられており *12 、1555年に公刊されていたこの詩の解釈には不適切だろう。
 ピーター・ラメジャラーもコンデ親王をモデルと見ているが、史実に依拠しているのは前半で、後半はむしろ熱心なカトリックを標榜していたノストラダムスの、プロテスタントに対する嫌悪感が投影されたものと解釈した *13
 仮にコンデ親王をモデルと見るにしても、ラメジャラーの解釈の方が適切だろう。


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