百詩篇第10巻70番


原文

L’oeil 1 par obiect fera telle excroissance 2 ,
Tant & ardante 3 que tumbera 4 la neige 5 ,
Champ arrousé viendra 6 en descroissance 7 ,
Que le primat 8 succumbera 9 à Rege 10 .

異文

(1) L’oeil : Loeil 1653
(2) excroissance : croissance 1653 1665 1840
(3) ardante : ardent 1611B 1653 1665 1840
(4) tumbera 1568 16271628 1630Ma 1590Ro 1772Ri : tombera 1597 1600 1605 1610 1611 1644 1649Xa 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1660 1665 1668 1672 1716 1840
(5) neige : Neige 1672
(6) viendra : vienpra 1627
(7) descroissance : descroissanc 1668A
(8) primat : Primat 1672
(9) succumbera 1568A 1568B 1590Ro 1653 1668A : succombera T.A.Eds.
(10) Rege : Rhege 1672

日本語訳

目が物体(に当たること)により、かくも腫れ上がるだろう。
かなり(腫れ)、そして熱い。しかるに雪が降るだろう。
潤った耕地が減退することになるだろう、
レッジョで首座司教が屈するであろう時に。

訳について

 1行目の読み方についてはピーター・ラメジャラーの英訳を参考にした *1
 2行目もラメジャラーらの読みを踏まえつつ、「熱い」を腫れた目についてと理解したが、「熱い雪」と理解して、当時噂になった驚異(未作成)(超常現象)の「赤い雪」と結びつけるジャン=ポール・クレベールのような読み方もある *2 。赤い雪と結びつけたのはおそらくロジェ・プレヴォが最初だろうが、プレヴォは読み方についてあまり踏み込んだ説明をしていない。
 2行目の que の前後の繋がりが不明瞭。tant... que... は普通「あまりにも・・・なので~」あるいは「・・・と同様に~」などの意味だが、この場合は et (&) の位置などからすると、その構文に理解するのは少々不自然である。もっとも、burning so much that...と英訳したエドガー・レオニ、and shall burn so much while と英訳したピーター・ラメジャラー、and burn, much like と英訳したリチャード・シーバースらの英訳を見る限りでは、彼らは一様に tant やet の位置を調整したうえで訳しているようである *3
 中期フランス語の que は様々な que を含む句の代用になったので *4 、この場合の正確なニュアンスはよく分からない。上記のようにラメジャラーは while を使い、シーバースは like をあてている。当「大事典」が「しかるに」でつないだのは暫定的な読み。

 Rege は『予言集』ではここにしか出てこない単語だが、イタリアの地名レッジョ (Reggio) の変形という点で、ラメジャラー、クレベール、プレヴォ、エドガー・レオニマリニー・ローズリチャード・シーバースらの間では異論がなく、ほぼ定説化しているといえるだろう。
 かつて19世紀の信奉者アナトール・ル・ペルチエは à Rege をラテン語の a rege の借用として「王により」の意味と理解していたが、ローズは誤りと断じていた。現代の実証主義的論者で、その読みを引き継いでいる者はいない。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「物体の目は非常にじゃまなものをつくり」 *5 は、元になったヘンリー・C・ロバーツの英訳のほぼ直訳だが、ロバーツの英訳自体が不適切である。par は主に英語の by や through に対応する前置詞であり、この場合にあえて of と英訳する根拠が不明。
 2行目「多くが焼けて そのあと雪が降る」は、前述のように que までに不明瞭な要素が少なくないので、一概に誤りと退けることはできない。
 3行目「水だらけの野はくさり」は不適切だろう。descroissance は croissance (増大)の反対で、「減退、減衰」の意味。ロバーツは decay を当てていて、確かに「腐る」の意味もあるが、この場合は「減衰」の方だろう。また、「水だらけ」はロバーツの watered を訳したものだろうが、なぜ普通に「灌漑された」と訳さなかったのか、よくわからない。
 4行目「大司教はレジオで屈服する」は、primat を大司教 (archevêque) とするのが微妙である。倉田・波木居の『仏英独日対照 現代キリスト教用語辞典』には「首座〔大〕司教」という訳語が掲載されている。「首座司教」とは「自分の管区だけでなく全国に裁治権を行使した司教。現在では単なる尊称で、フランスではリヨンの大司教を指す」 *6

 山根訳について。
 1行目 「対象ゆえに片眼が異様に腫れあがり」 *7 は可能な訳。もっとも、objet を「物体」ではなく「対象」と訳してしまったのでは、何を言っているのか意味が伝わりづらいのではないだろうか。
 4行目「レッジョでプリマートが息絶えるとき」は、primat という分かりづらい役職を固有名詞的に訳すのはまだいいとしても、表記が不自然である。フランス語の primat は「プリマ」であって、t は発音しない。語源のラテン語表記は「プリマス」(primas)、イタリア語はプリマーテ (primate) であって、「プリマート」では何語か分からない (しかも、山根訳では添えられている解釈部分でも「プリマート」の解説は一切ないため、予備知識のない読者には何のことか、さっぱりであろう)。

信奉者側の見解

 全訳本の類を除くと、あまり解釈がみられない詩である。
 テオフィル・ド・ガランシエールは、レッジョ周辺で異常な豪雪があり、指導的地位の人物が困窮することを予言しているとした *8


 ヘンリー・C・ロバーツは「火山のような」(volcanic-like)噴火がレッジョで起こって、周辺に被害が広がる予言と解釈した *9

 エリカ・チータムは1973年の時点では一言もコメントしていなかった。しかし、その日本語版(1988年)では、放射能汚染に関する描写として、チェルノブイリ原発事故(1986年)と結び付けられた。チータム自身は後の著書(1989年)で、レッジョでローマ教皇が死ぬ予言だが、過去に起こらなかったし20世紀末までに起こりそうもないとして、失敗した予言と解釈していた *10

 セルジュ・ユタン(1978年)は「熱い雪」をナパーム弾の爆撃の描写ではないかと解釈した *11

 中村惠一は、続く71番72番と関連付けつつ、1999年に起こるとしていた氷彗星の接近とそれが引き起こす豪雪、洪水に関する予言と解釈した *12

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォは、1556年2月に現在のフランス、イタリア国境にあるプチ=サン=ベルナール峠で血のように赤い雪が降ったという風説があったことと関連付けた。後半は1554年にレッジョ(レッジョ・ネッレミリア)を領地に持っていたフェッラーラのエステ家の一員、イッポーリト・デステ枢機卿が、カトリーヌ・ド・メディシスの縁者であるピエロ・ストロッツィによって、アンリ2世の名代の地位を取って代わられたことと解釈した *13
 プレヴォは前半と後半の結びつきについて詳述していないし、1行目についても説明していない。1556年2月に降ったとされる「赤い雪」が1554年にも降っていて、それがイッポーリトの更迭の予兆となった、ということなのだろうか。

 ジャン=ポール・クレベールは前半について、「神の眼」すなわち太陽が膨張して見えるという驚異や、大雪もしくは「赤い雪」の驚異についての描写ではないかとした *14

 ピーター・ラメジャラーは、後半についてプレヴォの読みを踏襲しつつ、前半はノストラダムス自身の目のケガではないかとした。つまり、1554年にノストラダムスは目を何かにぶつけてケガをし、その年にイッポーリトの更迭があったことから、自分のケガはイッポーリトの更迭を告げるものであったと考えたのではないかというのである *15

【画像】 関連地図


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