百詩篇第6巻69番

原文

La pitié grande 1 sera 2 sans loing 3 tarder, 4
Ceulx qui donnoient 5 seront constrains 6 de prendre:
Nudz 7 affamez 8 de froit 9 , soif, soy bander 10 ,
Les monts passer 11 commettant 12 grand esclandre.

異文

(1) La pitié grande : Grande pitié 1594JFp.182, La grand pitié 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1656ECL 1668, La pitié grand 1627, La grand pitie 1672
(2) sera : fera 1650Le 1668
(3) loing : long 1594JF 1605 1628 1649Xa 1656ECLa 1668
(4) tarder, : tarder ! 1594JF
(5) donnoient : dennoyent 1716
(6) seront constrains 1557U : seront contrains T.A.Eds. (sauf : constrains 1557B 1589PV 1590SJ)
(7) Nudz : Muds 1668P
(8) affamez : Affamez 1867LP
(9) froit 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1591BR 1772Ri : froid T.A.Eds.
(10) bander : bender 1557B 1589PV
(11) Les monts passer : Passer les monts en 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668, Passer les Monts en 1656ECLa 1672, Passer les mons 1656ECLb
(12) commettant : faisant 1557B 1589PV 1590SJ 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1656ECL 1668, saisant 1672

(注記1)1588-89では、3-4-1-2の順で百詩篇第4巻33番に差し換えられており、収録されていない。
(注記2)1605, 1628, 1649Ca, 1650Le, 1656ECL, 1668の1行目の異文は原文ママ(La grande pitiéではない)。
(注記3)1656ECLは2箇所(pp.133, 311)に登場しており、原文に僅かな違いがある。そこで上ではp.133を 1656ECLa、p.311を1656ECLb と表記している。

校訂

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594JF)の改変の結果が17世紀以降の少なからぬ版に影響したが、実証主義的な諸論者にはシャヴィニーの読みを支持する意見はほとんど見られない。なお、シャヴィニーの読みを採用したとしても、韻律上の変化があるだけで、大意としてはほぼ変わらない。

 4行目の commettant (犯しつつ)を faisant (しつつ)にする読み方はジャン=ポール・クレベールが採用しているが、支持しがたい。1557Bが faisant を採用したのは、十六折版という小さな版型ゆえに狭いスペースに字を収める必要があったからだろう(実際、1557Bのこの詩の2行目と4行目はかなり窮屈に印刷されている)。そのような印刷上の都合をノストラダムス自身の判断に帰すべき正当性は見られない。
 ブリューノ・プテ=ジラールは commettant を採用しつつ、faisant という異文自体に触れていないが、考慮に値しないものとして割愛したのか、単なる見落としなのかはよく分からない。

日本語訳

大いなる惨めさがすぐにもあるだろう。
与えていた者たちが奪わざるをえなくなるだろう。
寒さと渇きによって飢えた丸裸たちが群れをなし
不祥事を仕出かしつつ山々を越える。

訳について

 1行目 loing (loin)は tard (遅れて)の意味もあった *1 。sans tarder はもともと「すぐに、さっさと」を意味する成句なので、loing はその強調だろう。ピーター・ラメジャラーの英訳では before long、リチャード・シーバースの英訳では soon があてられている。
 「与えていた」を意味する donnoient (donnaient)は直説法の半過去。「奪わざるをえなくなるだろう」は直説法の未来形。
 3行目はどこで区切るかによって若干意味合いが変わる。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「短いあいだ何とみじめで」 *2 は不適切だろう。上述の通り、loin や tarder は遅れる意味合いでそれがない(sans)といっているのだから、「みじめ」な状態が「短いあいだ」というのは、本来の意味と隔たりがある。大乗訳の元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳では before long となっている。
 2行目「与えた人々は受けることを強いられ」は、確かに prendre を「受ける」と訳すことも可能である。当「大事典」では3行目以降との整合性を考慮して「奪う」と訳出した。
 3行目「はだかで寒さにふるえ 反抗し」は誤訳。soif (渇き)をはじめ、反映されていない単語がいくつもある。

 山根訳は若干の意訳はあるものの、おおむね許容範囲内と思われる。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は最初の3行は1569年のプロテスタントの惨状と解釈した *3 。シャヴィニーは詳述していないが、1569年は第三次ユグノー戦争(1568年 - 1570年)の最中で、プロテスタントはジャルナックの戦い(3月)、モンコントゥールの戦い(10月)などで敗北を重ね、前者ではコンデ親王を失っていた。

 1656年の解釈書では、1行目に「すぐにも」とあることから、1556年のブリサック元帥の軍隊と解釈した。この年、ギーズ公がピエモンテ攻略に赴いてブリサック元帥と合流した際、ギーズ公の軍隊の待遇のよさを見たブリサック元帥軍の兵士たちには隊を離れ、ギーズ公の下に加わる者たちが出たという *4
 テオフィル・ド・ガランシエールは、この解釈を踏襲した *5

 アナトール・ル・ペルチエ(1867年)はフランス革命期の聖職者たちの亡命と解釈した。アンシャン・レジームにおいて絶大な富を誇った聖職者たちが革命によって窮乏し、山を越えてイタリアへと亡命する様が予言されているとしたのである *6
 この解釈はチャールズ・ウォード(1891年)、エリカ・チータム(1973年)、ジョン・ホーグ(1997年)らが踏襲した *7 。他方で、ル・ペルチエの解釈を多く引き継いだヴライク・イオネスク(1976年、1987年)はこの詩を解釈していない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は近未来のイタリアの戦況と解釈していた *8 。息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年、2006年)は解釈していなかった。

 アンドレ・ラモン(1943年)は1930年代のヨーロッパにおける大量の亡命者に関する予言とした *9

 セルジュ・ユタン(1978年)は「大虐殺、飢饉、集団脱出(exode)」という3語だけの解釈しかしなかった。これは後のボードワン・ボンセルジャンの補訂でもそのままだった。

同時代的な視点

 詩の情景は比較的単純である。他人に分け与えることはあっても施されることなどなかった有力者が困窮し、配下の軍隊とともに山を越える時にも不祥事(大義のない略奪行為か)を引き起こしながらのことになる、といったところだろう。

 ピーター・ラメジャラーは1656年の注釈書の解釈を踏襲し、ブリサック元帥についてがモデルになっていると解釈した *10

 この詩の初出は(実在性が疑わしい上に内容の全く分からない1556年ドニーズ版が本当に実在し、そこに収録されていた可能性を除けば)1557年9月6日版『予言集』であるから、1556年のブリサック元帥の軍隊をモデルにこの詩が書かれたと考えることは十分に可能である。


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